Speak about Speech: Shuno の方言千夜一夜



第850夜

もう二年、まだ二年 (2)



 先週、「日本語学」の 2012/5 月号に触れたわけだが、なんと途中で終わってしまった。このペースじゃいつまで続くかわからんぞ。
 とは言っても、「日本語学」はあと 7 月号があるだけで、ほかに紹介するのは言語をテーマにした本ではないので、何か月も続くってことはないと思うが。

 次の記事は「被災地域方言とコミュニケーション」。
 書いたのは竹田晃子氏だが、新聞で記事を読んだことがある。
 地震のとき、ニュースで被災者が「いづ死ぬがど思ってだ」と言ったのに「いつ死ぬかと思ってた」というテロップがついているのを見て、間違いに気づいたそうだ。
 俺でもわかる。これは、「いつ死のうかと思っていた」という意味で、身の危険を感じていた、というのではなく、自殺を考えたことがある、と言っているのだ。文脈によっては「いつ死のうかと思っている」ということである可能性もある。氏はこれを見て、まずい、と思った。
 そこで作成されたのが、「東北方言オノマトペ用例集」。
 記事では、医療者の反応が書かれているが。中に「地元を離れた被災者にとって、地域の言葉に触れることができる資料として心の支えになる」というのもある。そういう意義もあるらしい。となると、先週、紹介した「東日本大震災と被災地の方言」にある、大規模な避難が行われた地域の方言はなくなってしまう虞がある、という指摘がさらに重要になってくることがわかる。
 方言で生じた誤解としては、「救助ヘリが墜落した」という誤報も紹介されている。秋田でもそう言うところがあるが、「降りる」を「おちる」という地域があるのである。この文脈では不謹慎に響いてしまうかもしれないが、駅のアナウンスなどで「降りる方が済んでから」が「おちるかたがしんでから」になる地域もある。
 医療と方言の話を書いたことがあるが、よく考えてみると、そういう問題を解消…は無理でも、軽減しようという試みが広がっていない、というのはある意味、不思議である。医師会単位で行われていてもいいくらいなのに。田舎の医師不足解消を進めるうえでも必要なんじゃないのかな。
 氏は、だから方言なんかなくしてしまえ、とも言われたらしい。実務的にはその方が楽だろうが、まだそんなこと言う人いるんだ。じゃぁ、全世界で英語しか使われない、という状態を良しとするのだろうか、その人は。

「災害ボランティアとコミュニケーション」は、言葉が通じりゃいいってもんじゃないんですよ、ということを言っている。
 ボランティアについては、「簡単に行くな」「今すぐ行け」が交錯してた感じがあるが、結果的には、「今すぐ行け」が正しかったらしい。後でちゃんと紹介するが、『ふたつの震災 (西岡研介・松本創、講談社)』によれば、震災後一か月以内に現地入りしたボランティアの数は、阪神淡路で 60 万人だったのに対して、東日本では 12 万人だったそうだ。渥美公秀氏のいう「秩序化のドライブ」がマイナスに作用して、「行っても邪魔になる」という考えが広まってしまったわけである。
 効率的な活動にはある程度の整理は必要だろうが、それが「やらない理由はいくらでも見つかる」に利用されてしまったのかもしれない。まぁ、募金するだけで何もしなかったやつが言うことではないかもしれないが。

 この号を読んで一番、印象に残ったのは「命を救うための命令表現」にあった女川町の津波の様子である。
 できれば地図を見てほしいのだが、女川町は宮城県の北部、南方向に突き出した牡鹿半島の付け根にある。西側に万石浦という湖があるが、それは石巻湾につながっており、そのあたりの浦宿という町と太平洋の間には山がある。
 震源地は太平洋側だったから、津波は東側からくる。この津波は山を乗り越えて浦宿にまで到達した。つまり、浦宿には津波が海からではなく山から来たのである。
 この地震では軽く使われてしまったが、「想定外」という言葉は、こういうとき以外には使ってはならないのではないか。
 山があるため、浦宿の人々には女川港あたりの様子がわからない。そうした人に知らせなければならない、という意識があるから選択されたのがあの防災無線の「逃げろ!」だったのである。




"Speak about Speech" のページに戻る
ホームページに戻る

第851夜「もう二年、まだ二年 (3)」へ

shuno@sam.hi-ho.ne.jp