Speak about Speech: Shuno の方言千夜一夜




第744夜

舌に草履



言語』の 2 月号の特集が「医療のことば」。
 1/4 の新聞に、にも取り上げた弘前学院大学今村かほる准教授たちがやっている、医療現場における方言研究結果がデータベースとして公開された、という記事が載っていて、そのうち取り上げようと思っていたのだが、この特集があることがわかっていたので、それを待っていた。
 待ってたはいいが、例によって読む暇がなく、気づいたら 3 月である。

 その今村氏の「医療と方言」。
 俺が知ってる医療っつーと医者と患者の関係くらいなのだが、ここでは、ソーシャルワーカーの例が挙げられている。「あんたは私の話す方言が理解できるか」と高齢の患者から聞かれたときに、わからない、と答えると、じゃ別の日 (おそらく、そのソーシャルワーカーが担当でない日) にする、と言われてしまうらしい。単に治療するって話ならまだしも、ケア、それも心のケアの領域に入ってくると、そういうことも起こるんだろう。
 これは新聞記事でも挙げられていたが、「ボンノゴガラ セナガ イデ (後頭部から背中にかけて痛む) 」と言われた医者が「お盆の頃から背中が痛む」と解釈した例がある。
 まぁそういうこともあるだろうね、位で見ていたが、評価運用中のデータベースでそれを引いてみると、後頭部、つまり、「ぼんのくぼ」は脳内出血があったときの診断には重要な部位なんだそうで、そうなると一分一秒を争うわけよね。
 この論文に寄れば、「くたばる」と「のたばる (腹ばいで横になる)」を間違った例というのは「都市伝説」なんだそうである。
 津軽には「こどばなさげ (言葉情け)」という言葉があるらしいが、ググっても数件しか例がない。あるいは、気づかない方言なのかもしれない。方言を使った会話でほっとした、助かった、というようなことらしいのだが、なんとなくわからないこともないけど、ぴんと来ない。
 認知症になると、自分が戻りたいと思っている時に戻るらしい。ということは、今よりもはるかに前の可能性が高く、そういう人はかなり前の方言を話すことになる。医療現場にはそういう問題もある。
 看護士に、必要だと思う津軽弁を尋ねたリストがあり、その中に「つづらご」という語がある。帯状疱疹のことなのだが、これについてはWikipediaにもいくつかの俚言が紹介されている。

「ケセン語辞典」で有名な山浦玄嗣氏の「医療の現場とことば」という文章では、「舌に草鞋を履かせる」という表現が出てくる。山浦氏は、土地の言葉を操ることができるので、患者も自分の言葉で話をすることができる。その結果、「舌サ草鞋ィ履カセナクテモイイ」と言う。無理して標準語を使うのは、舌に異国へ旅をさせるようなものだ、という例えは面白い。
 過剰修正の例もあった。「この土地では『頭痛』と言う」と言いにくそうにしていた老人がいらそうである。
 こちらでも色々な俚言が紹介されている。3p にもわたる中で面白かったのは「百銭落とし (ひゃくぜにおどし)」というもので、どうやら足の甲らしい。ここに、一文銭を紐で百枚まとめた束を落とすと死んでしまう、という俗信があったらしいのだが、ちょっとネットでは見つからなかった。
 一昨日の夜のことを「昨日の夜」と言うのだそうだ。別にケセン語に限らず全国に散らばっているらしいのだが、ググってみてビックリ。俺、十年以上も前に自分で書いてるじゃん。昔の俺に寄れば、古語辞典に書いてるらしい。
 で、緊急性のある病気の場合、症状が出たのが昨日なのか一昨日なのかは非常に重要な問題、とさっきと同じ話。
 こちらも「医療と方言」に書かれていたが、否定形の疑問文に対する「はい」が肯定なのか否定なのか、というのが地域によって違うらしい。つまり、「頭は痛くないか」という質問に「はい」という答えが返ってきたとき、頭が痛いのかどうかが人によって違うわけ。
 まぁ、否定疑問は誤解を招くからよくないよ、というのは医療に限らずよく言われることではある。

 今村氏の論文では、部位名称については方言の方が細かい、というようなことが書かれているのだが、そういう場合、医学はどう表現してるんだろう。名称がない、ってこともないと思うんだが、今なんて言ったの? それ日本語? てなものすごくややこしい名前になってしまうんだろうか。
 じゃぁ、その細かく分かれている俚言を全国区にすればいいかっていうとそういうわけでもないのが悩ましいところである。




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