Speak about Speech: Shuno の方言千夜一夜




第27夜

時は羽なり



「先(さき)」ってなんて不思議な言葉だろう、とずっと思っていた。
 何が不思議って、例えば「の副将軍」とか言ったら、これは過去のことだ。なのに、 「100 年」と言ったら、これは未来のこと。
「おに失礼」と言ったら、彼は帰ってしまって、もう過去のこと。でも「このが思いやられる」と言ったら、心配しているのは未来のこと。
 一つの言葉で正反対の意味を持ってるなんて、どういうこと? と思っていたのだ。
 しかし、漢和辞典 *1 を引いてみて分かった。
 字の形としては、足跡なのだそうだ。
 つまり、「自分の前にあるもの」を指すのだ。
「お先に失礼」と言って帰った彼の直後に自分も帰ったとしよう。駅の改札で追いついて並んでみれば、彼が前にいるではないか。確かに彼が帰宅の途についたのは、俺から見れば過去のことだが、並べば目の前だ
「この先どうなるんだろう」と思ったときに、暗雲が立ち込めているのは目の前だ
 つまり、「先」と時間との間には、直接の関係はないのだった。

 秋田では「さきた」という。「た」がどこから来たのかは分からない。今では「せんだって」と発音することの方が多いが、「先立って」は「さきだって」とも読むらしいから、その「だ」が残ってるのかもしれない。
 しかし、「さきた」は「さきたがら(さっきから)」と言う風に、名詞として使われる。「さきだって」とイコールとは言えない。副詞句が名詞に変化したのだろうか。

あさま」は、山荘がある山のことではなくて「朝」だ。「ま」の正体は不明だが、ま、単純に考えれば「間」だろうか。
「起きなさい。朝ですよ」のときに、「あさまだよ」とも言うので、当たっているかどうかはともかく、「間」というニュアンスは弱い感じがするが。

ばげ」は「晩」「夜」。この「げ」も不明。
 夕飯のことを「夕餉」等とも言うが、いくらなんでもこれとは無関係であろう。むしろ夕飯のことを「ばげまま」という人もいる。
 尤も、もともと夕飯のことであったが、時代を経て夜を指すようになった、という可能性が 0 だとは言えない。
あさま」「ばげ」。法則性は見当たらない。

 問:「きのうの夜」とはいつのことでしょうか
「馬鹿にするな!」と怒らないで、考えてください。
 方言の友、古語辞典で調べていただいても結構。
 答:なんと「一昨日の夜」
 つまり、今日が水曜日であれば、「昨日の夜」は月曜の夜を指すのである。

 で、なんとなく関係ありそうなのが「ゆうべ」。
 現在は「夕べ」が昨日の夜を指す。
 しかし、同時に「映画観賞の夕べ」という風な使いかたもある。
 国語辞典 *2 に寄れば「上代・平安時代の時間観念として、『ゆうべ』は夜の始まりの時を示す語であったが、一日が夜中の一二時から始まるようになって、『ゆうべ』は前日の夜を指すようになった」とのこと。この変化に引きずられたのではないか? という気がちょっとする。
 伊万里地方では「きのんばん」という形で残っている。*3

「時の記念日」も近いことだし、時間関係の話を続けて前後編



注1:
『旺文社漢和辞典』 旺文社、1990(
)

注2:
『大辞林』初版 三省堂、1989(
)

注3:
 
@nifty の<全国ふるさと交流フォーラム>、「全国云いたい方言集」会議室で得た情報である。()





音声サンプル(.WAV)

さきた(11KB)
あさま(13KB)
ばげ(10KB)



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