「先(さき)」ってなんて不思議な言葉だろう、とずっと思っていた。
何が不思議って、例えば「
先の副将軍」とか言ったら、これは
過去のことだ。なのに、
「100 年
先」と言ったら、これは
未来のこと。
「お
先に失礼」と言ったら、彼は帰ってしまって、もう
過去のこと。でも「この
先が思いやられる」と言ったら、心配しているのは
未来のこと。
一つの言葉で
正反対の意味を持ってるなんて、どういうこと? と思っていたのだ。
しかし、漢和辞典
*1 を引いてみて分かった。
字の形としては、足跡なのだそうだ。
つまり、「
自分の前にあるもの」を指すのだ。
「お先に失礼」と言って帰った彼の直後に自分も帰ったとしよう。駅の改札で追いついて並んでみれば、彼が前にいるではないか。確かに彼が帰宅の途についたのは、俺から見れば過去のことだが、
並べば目の前だ。
「この先どうなるんだろう」と思ったときに、
暗雲が立ち込めているのは
目の前だ。
つまり、「先」と時間との間には、直接の関係はないのだった。
秋田では「
さきた」という。「た」がどこから来たのかは分からない。今では「せんだって」と発音することの方が多いが、「先立って」は「さきだって」とも読むらしいから、その「だ」が残ってるのかもしれない。
しかし、「
さきた」は「
さきたがら(さっきから)」と言う風に、名詞として使われる。「さきだって」とイコールとは言えない。副詞句が名詞に変化したのだろうか。
「
あさま」は、山荘がある山のことではなくて「朝」だ。「ま」の正体は不明だが、ま、単純に考えれば「間」だろうか。
「起きなさい。朝ですよ」のときに、「
あさまだよ」とも言うので、当たっているかどうかはともかく、「間」というニュアンスは弱い感じがするが。
「
ばげ」は「晩」「夜」。この「げ」も不明。
夕飯のことを「夕餉」等とも言うが、いくらなんでもこれとは無関係であろう。むしろ夕飯のことを「
ばげまま」という人もいる。
尤も、もともと夕飯のことであったが、時代を経て夜を指すようになった、という可能性が 0 だとは言えない。
「
あさま」「
ばげ」。法則性は見当たらない。
問:
「きのうの夜」とはいつのことでしょうか。
「馬鹿にするな!」と怒らないで、考えてください。
方言の友、古語辞典で調べていただいても結構。
答:
なんと「一昨日の夜」。
つまり、今日が水曜日であれば、「昨日の夜」は月曜の夜を指すのである。
で、なんとなく関係ありそうなのが「ゆうべ」。
現在は「夕べ」が昨日の夜を指す。
しかし、同時に「映画観賞の夕べ」という風な使いかたもある。
国語辞典
*2 に寄れば「上代・平安時代の時間観念として、『ゆうべ』は夜の始まりの時を示す語であったが、一日が夜中の一二時から始まるようになって、『ゆうべ』は前日の夜を指すようになった」とのこと。この変化に引きずられたのではないか? という気がちょっとする。
伊万里地方では「
きのんばん」という形で残っている。
*3
「時の記念日」も近いことだし、時間関係の話を続けて
前後編。
注1:
『旺文社漢和辞典』 旺文社、1990(↑)
注2:
『大辞林』初版 三省堂、1989(↑)
注3:
@nifty の<
全国ふるさと交流フォーラム>、「全国云いたい方言集」会議室で得た情報である。
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