Speak about Speech: Shuno の方言千夜一夜




第564夜

今、アスペクトらしい



 先月の『日本語学』は正面切って「日本語学とは何か」、『言語』の方は「言語接触が拓く世界」という特集をやっていた。
 ここで奇妙にシンクロしていたのが、どちらも日本語、というか、方言における「アスペクト」を話題にしていたことである。
 今回はその「アスペクト」。

 まず、「アスペクト」をまとめておく。
 実は日本語と英語くらいしか知らないとちょっとわかりにくい。Wikipedia には「動詞が表す出来事の完成度の違いを記述する文法形式」とあるが、平たく言えば「やってる最中」「終わった」「ずーっとやっている」というようなことをあらわす。
 と言われてもピンとこないと思うのだが、英語の授業で、「現在進行形」「現在完了形」などというのを習ったのを思い出してもらいたい。この後半の「進行形」「完了形」が「アスペクト (相)」なのである。
「現在〜」と一体で覚えているとちょっと実感しにくいことになる。こっちは、いつなのかを表すもので、「テンス (時制)」というカテゴリに属する。
 英語のアスペクトで、我々が明確に認識できるのはこの二つ。be + 現在分詞が進行相、have + 過去分詞が完了相で見た目にわかりやすい。
 日本語ではどうか。「〜ている」が進行相を表わす。「〜ている」なら現在進行形、「〜ていた」なら過去進行形である。
 残念ながら、完了相であることを明確に示す形はない。「〜た」がそうなのかもしれないが、過去形と区別がつかない。「〜てしまった」は確かに完了相っぽいが、一定 (しかもマイナス) のニュアンスを持っていてニュートラルでない。

 日本語のアスペクトの話で気をつけなければならないのは、「〜ている」が進行形かどうかは、その動詞によって違う、ということである。
 たとえば、「書く」。「書いている」で、「書く」という動作が進行していることを表す。これはいい。
 一方、「知る」。「知っている」は、「知る」という動作が進行中なのではない。これは「知る」が完了した結果、そのことに関する知識がある、という状態を示す。このように、変化を表現する動詞については、「〜ている」が進行相を示さない。というか、「進行中」という考えと合わないのである。
「書く」であれば、「1 行書いて、2 行目に移って、あ、失敗してやりなおし」という具合に進行状況があるが、「知る」にはそういう状況の変化がない。「今、10% まで知ったところだ」とは言えないのだ。『言語』の「複数の日本語と言う視点から捉えるアスペクト (工藤真由美)」の例を借りれば、「開く」「建つ」「枯れる」なども同じである。

 俺も「雨」の例は何度も挙げている。3 取り上げているのでさすがに自分が情けなくなってくるが、適切だと思うので 4 回目。
 標準語の「雨が降っている」は、「今、目の前で降っている」と「俺は見ていないが、路面が濡れているところを見ると、さっき降ったらしい」の二つを表現しうる。逆に言えば、意味は状況に依存する。
 が、主に西日本で、これを「降りよる」と「降っとる」で表現し分ける。
 琉球方言 (その記事によれば首里方言) では、「話者が目撃した」ことを示すアスペクトがある。
 これは標準語の影響を受けた「ウチナーヤマトグチ」での表現だが、「犬、死によった」というのは、「死んでしまった」でも、西日本方言的解釈による「死のうとしている」でもなく、「死ぬところを見た」という意味なのである。
 また、「死んである」は、「血痕があった」などの明確な根拠に基づく推定を示す。

『日本語学』の今年の 6 月号「アスペクト研究の新展開」の「ロシア語から見た日本語と中国語のアスペクト (讃井 唯允)」によれば、ロシア語の動詞の 4 割には、完了体と不完了体のペアがある (完了の意味を持つときと持たないときとで語形そのものが違う) そうで、そこまで行かないにしても、日本語の方言の中でアスペクトの実態が全く違う、ということである。
 俚言の羅列と違って、説明するのも理解するのも大変だが、方言愛好者はこういうあたりに目を向けるべきではないだろうか。まぁ、それを根拠に「だから○○弁は優れている」とか言われても困るんだが。

 ところで、「複数の日本語と言う視点から捉えるアスペクト」の例について。
 上に挙げた「書く」を含む「主体動作動詞」は、「〜ている」が進行の意味を表し、完了 (文中では「結果」) の意味を持たないとしているが、たとえば「開ける」で、ある人が「(ほこりが入るから窓を) 開けるな」と言い置いて場を外し、戻ってきたら暑さに耐えかねて開けていた、という場合、「開けてるし」という言い方を、若い人を中心にするように思う。
 若い人中心ということは、破格な表現なのか、それとも、何か別の要素が働いているのか (「開けている」の省略ではなく「開けてある」?)。思いついたばかりなので、どういうことなのか不明。




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