Speak about Speech: Shuno の方言千夜一夜




第521夜

GAJ から (前)



月刊言語』で「方言文法全国地図 (GAJ: Grammer Atlas of Japanese Dialect)」の特集をやっている。
 これは国語研究所が 1976 年からスタートさせた調査で、全国で調べた語彙・文法現象を地図上に並べたものである。
 国語研究所のサイトにデータがあって自由に利用できるというからちょっとのぞいてみたら、本当に生のデータで、詳しく見たわけではないのだが、これなら視点を変えての集計も自由にできるのではないかと思う。俺にはそんな余裕はないが。
 相当前に始めた、自分の卒論の公開も第一回で止まってるし。それも、「卒論程度」ではありながらそれなりに調査・集計したものなのだが、手元にあるのは卒論の文章と元になった調査票だけで、集計結果がない。公開を続けるには、もう一度、集計をやり直さなければならないのだった。
『言語』の記事に沿ってコメントをつけていく。

 まず「へ」。「京へ筑紫に坂東さ」の「へ」である。
 東北弁と言えば「」であろうが、これが「さま」の変化したものであることは前に紹介した。つまり、本来は移動の方向を指す言葉だったわけだが、段々と意味を広げて「仕事さ行ぐ」「俺さ貸へ」「此処さ在る」など、目的語全般に使われるようになる。
 かと言って東北で一様なのではなくて、「見に行った」「大工になった」などの「に」は、少なくとも秋田では「」にはならない。太平洋側ではなるらしい。
 この調査では「犬に追いかけられた」を「さ」で表現した回答はなかったらしいが、俺の内省では違和感なし。言うような気がする。

 事実を述べるのではなく、「あの犬のせいで!」というような不快感を強調したいときには「犬にがって」という形になる。

 いくつか飛んで、「見ろ」。
 趣旨としては、上一段動詞の五段動詞化の調査*1なのだが、ここで思い出すのは、東北や九州西部で使われている形式の「見れ」が、若者を中心に全国で使われていることである。
 ネットでは「やめれ」と同様、頻繁に見かけるが、これがどういう経緯で使われることになったものか興味がある。
 このあたりをググると、「やめれない」など、いわゆる「ラ抜き」も一緒に引っかかってくるが、関係あったりするだろうか、とロクに考慮もせずに投げてみる。

 そういや秋田弁には、命令を示す「」という語尾がある。「やめれへ」などのように言うのだが、この例自体にはちょっと違和感がある。しっくり来る例を挙げられなくて申し訳ない。

 個人的に最も興味深いと思っている現象の一つが可能形なのだが、その項目も取り上げられている。
「能力可能」と「状況可能」というのは知っていたが、「属性可能」*2というのもあるとは知らなかった。ちょっと調べたら、「インクがたっぷり入っているから、この万年筆で書ける」というようなことらしい。そういうのは「状況可能」だとばっかり思っていた。
 前にも書いたような気がするが、秋田弁の例を表にすると:
状況可能能力可能
可能 (印刷がクリアなので) 読むにいい (学校で習ったから) 読める
不可能 (字が汚いので) 読まいね (外国語なので) 読めね*3
 となる。
 このパターンを明確に認識しているネイティブはそんなにいないと思う。さらに、「読まいね」が禁止の形でもある (他人の手紙だから読んではいけません、など)、ということも加えるとかなり面白い現象となる。
 記事では、近畿に能力可能として「よう読める」の形があることが示されているが、この否定形「よう読まん」になると単なる能力可能ではなく、心情的にできない、というニュアンスも持つと思うのだがどうか。「人様の手紙はよう読まんなぁ」というように。

 もう一つ、面白いと思っている、「ている」も取り上げられている。
「あ、雨が降ってる」は、「今、目の前で雨が降っている」という意味の場合と、「屋内に閉じこもっていて外に出たら路面が濡れている。今は晴れているが雨が降ったようだ」という意味のこともある、つまり、「進行形」と「完了形」が同じ形である、というのが面白いと思うわけだが、主に西日本で、この二つを、たとえば「降りよる」と「降っとる」など、別の形で表現するのは有名な話。
 でも、東日本でこの差 (というか同一性というか) に気づいている人もそう多くはないような気がする。

 意外に長くなったので、つづく。





*1
  言語は、単純な方に変化していく、というのが大原則だが、動詞の活用パターンもその例に漏れない。 「五段動詞化」というのは、さまざまなパターンの動詞が、日本語の動詞の大半を占める五段動詞に変化していくことである。
 未然 連用 終止 連体 仮定 命令 意向
見る (上一段) 見ない 見ます 見る 見る 見れば 見ろ 見よう
切る (五段) 切らない 切ります 切る 切る 切れば 切れ 切ろう
 という違いがあるわけだが、地域によって、「見ない」を「見らん (『見らない』の変形)」と言ったり、「見ろ」を「見れ」と言ったりする。(
)


*2
 あまり有名な語でもないようだ。ググったら 100 件ちょっとしかなくて、しかもその大半が、ゲームの世界で使われる、「属性をつけることができる」という意味の「属性可能」だった。 (
)


*3
 自分で説明がつかないのでとりあえず投げておくが、たとえば車を運転していて道を探している、前方に標識があるのだがまだ遠い、という場合、これは「読まいね」ではなく「読めね」だと思う。近くに行けば読めるわけだから「能力可能」ではないと思うのだが…。
「属性可能」についてググったとき、それこそ国語研究所の PDF 文書がヒットして、いくつか例文があったのだが、「にいい」になるものと「れる」になるものとがあった。秋田弁では属性可能について決まったパターンがなく、この標識の例が「属性可能」だ、ということだろうか。(
)





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