Speak about Speech: Shuno の方言千夜一夜




第522夜

GAJ から (後)



月刊言語』の「方言文法全国地図 (GAJ: Grammer Atlas of Japanese Dialect)」の特集から、つづき。

 命令形の調査がある。調査のとき「『早く起きろ』をどういいますか」と質問すると、「『起きろ』なんて乱暴な言い方はしない」という反応が帰ってくることがあるそうである。
 記事では、標準語では命令形は使いにくい、としているが、これはひょっとしたら、方言社会において標準語を使うのは一種の敬語表現であることの裏返しではないだろうか。
 東北あたりで「起きれ」「起きろ」というストレートな形が優勢なのに対して、西に行くにつれて「起きなさい」「起きないか」というような、「一手間かけた」言い方になるのは、敬語体系が整っているかどうか、というのとリンクしてないかな。
 で、敬語の方だが、相手を「偉い人」と「近所の人」として 2 つのパターンが紹介されている。
 前者で、標準語形が全国的に見られるのは、それが敬語表現の一つだからである。
 二枚の地図を比べると一見してわかるのは、東北地方の様子がそれほど変わらない、ということである。常識的に、前者の方が丁寧で後者がやや砕けた言い方になるのは想像がつくが、その二つに大きな差がない、というのが東北地方なのである。
 乱暴に言ってしまえば、秋田の敬語表現は、標準語形と、「書ぐすか」のように「」をはさむ形の二つしかないわけで、前者で散在する標準語形が減った (なくならないことに注意) のが後者の地図、ということになる。

「(餌を) やる」の調査は、「やる」「くれる」の方向に関するものだが、ちょっと逸れる。
 久しぶりに「『正しい日本語』教」の話をすると、信者の中でも、愛犬に「ごはんをあげる」人は少なくない。これも「乱れた日本語」として槍玉にあげられることは多いのだが、そこは譲れないようだ。
 自分の大事なパートナーに「やる」なんて表現は使えない、という気持ちは十分に理解できるが、それを「正しい」などと臆面もなく言い切れる感性が、俺には信じられない。

 最後に取り上げられているのが「おはよう」と「こんばんは」である。
 ここでは、「決まった表現形式はない」という回答に注目したい。またしても方言から逸れる。
 近頃、「挨拶をしよう!」という声が高まっているが、これが実は、親しみや礼儀といった観点からのものではない、ということに言及する人が少ないような気がするのだがどうか。
 防犯の観点から言われる「挨拶は大きな声で」は、「自分が怪しいものではないことをきちんと表明しろ」という意味であり、「人を見たら泥棒と思え」の別表現なのだが、従来からあった礼儀上の要請とゴッチャになってしまっているからか、誰も異議を唱えない。
 これは決して大げさな話ではなく、幼児虐待が話題になる昨今、子供をつれて帰省したら、疲れたのか環境が変わったからか子供がどうしても泣き止まない、そうこうしているうちに不審に思った近所の人が警察に通報してしまった、という話は時々耳にする。「地域コミュニティの崩壊」ということはよく言われるが、もう「崩壊」どころの騒ぎではないのではないか。隣の家の娘夫婦もしくは息子夫婦すら信用されていない状況では、挨拶なんか交わしたって焼け石に水だと思う。
 そういうことで挨拶が強要されているせいだろうか、俺の職場では、新卒後数年という若い人たちを中心に、自席以外で顔を合わせたら必ず「お疲れ様」と言う、という事態が起こっている。トイレだろうが給湯室だろうが、朝だろうが夕方だろうが、それがその日の何回目だろうがお構いなし、である。
 うわべだけ整えようとするからこうなるのだと思うが、薄気味悪いと思いませんか。

 言語地図はこの辺で。
「暦のことば」という連載がある。今回は、「私大」というのが紹介されていた。
 南部藩で行われていた習慣で、十二月が小の月だった場合、それを大の月にして一日増やすことだそうだ。そんな習慣があったのか。
 初代の南部光行が鎌倉から引っ越してきたのが 12/28 で、そんな間際ではきちんと正月を迎えられないから一日増やした、というのが始まりらしいのだが、さらに驚くのは、武家が 1/19 をスキップすることで調整したのに対して、庶民は 1/9 をスキップした、ということである。
 ものすごい話だ。

 さらに伸ばす。
「新語・世相語・流行語」という連載では「なにげに」を取り上げている。「なにげなく」の短縮形で、これを「予想外」という意味で使い始めている、としているが、それって大分、前からじゃないか。つか、「なにげに」が定着してすぐだったような気がする。メモをひっくり返してみたら、本屋のアルバイトが「何気にウチの会社は大きいらしい」ってメールマガジンに書いてるのを目にしたのは、2000 年のことだった。まぁ、メモしてあったのは、それが珍しい表現だったからだろうけど。
 大田区の中小企業の連携組織、「オオタコレクションネットワーク」は省略して「オタコレネット」らしいのだが、その字面を見て「オタク コレクション」だと思った人は少なくないのではあるまいか。
「老会話」は、年寄りによく見られる、話の流れから浮いている発言のことだが、時々やる。俺の場合、「何か言わなきゃ」という有形無形内外の要請に応えようとしてのことが多い。そもそも発言に無理があるわけ。

 俺の文章が長い割に、リアルで口数が少ないのはその辺と関係があるのかもしれない。




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