Speak about Speech: Shuno の方言千夜一夜




第437夜

この必殺技を受けてみろ!



 車の修理中である。
 一体、何度、修理したかなぁ。一番ひどかったのは、秋口に車検だか 12 ヶ月点検だかに持ってったら「エアコンが壊れてます。気づかなかったんですか」。気づかなかった。
 こんなこと言うと、母親が、そんなボロ車やめてしまえ、と言うのだが、どう頑張っても数十万単位の買い物だ。おいそれと買い換えるわけにはいかん。
 そもそも、今、売られている車はまったく俺の興味を引かない。
 車はコンパクトな楔形に限る。直角ばっかりのセダン、巨大なバンやワゴン、座高の高い小型車なんか頼まれても買わない。
 となると、ないわけだな、現状のラインナップでは。smart のロードスターくらい。高価でかつ自転車が積めないから買わんが。

 津軽では、車を運転することを、「車を引っ張る」という……らしい。証言者が一人しかおらず、他の用例も見当たらないので明言は差し控えるが。
 これを別にすると、なにせせいぜいが 100 年前のものなので、俚言はほとんどない。車を題材に使った、ほかの言葉の用例なら山ほどあるんだが。

 に、「自動車学校」の省略形が様々だ、ということは書いた。どうやら地域性もある。「じしゃが」「車校」「自校」などなど。
 車のメーカーが、自動車整備の技術者を養成する学校を持っている。これなんかひょっとしてかぶるんじゃないか、と思ったが、「トヨタ東京整備専門学校」は「東整校」、名古屋のは「中整校」と呼ぶらしい (前は「中部日本自動車整備専門学校」だった)。「東整校」と「東急自動車整備専門学校」というのはかぶらないかな。
 日産や三菱も学校を持っているが、略称が見当たらなかった。

 この分野では、なんと言っても、交通安全の標語である。
 に「ドンと一発かまどけし」を写真つきで取り上げたが、どうやら北東北に広く分布しているらしい。こうなるとどこが最初だかわからない。
「竈」の「火を消す」のか「ひっくり返す」のか、いずれ、御家断絶・一家離散の悲劇を言う。秋田では「かまけし」という言い方もする。
 前に、“JAF Mate” で「気をつけろ おべた時には もうおそい」というのを見つけた。島根である。この「おべる」は、「記憶する」ではなく、「知る」「認識する」という意味である。
 こっちでも似たような使い方をする。「おべでる人」は、直訳すると「覚えている人」だが、「知人」という意味である。
 秋田県で、去年、秋田弁を使った標語を募集している。にも紹介した。
 入選作の中から、個人的に気に入ったのを紹介すると「赤だでば 今日命日にする気だが」。
 応募資格として 65 歳以上としたせいか、高齢者の事故に注目しているものばかり。「ちらましね 加害被害のとしょりだぢ」というのもある。
ちらましね」は「つらましね」とも言う。ここでは「無残だ」という意味だが、「憎らしい」という意味を持つこともある。
 秋田弁っぽいのは「けどわだる光る長けり 気が締まり」あたりか。
けど」は「街道」で「道」「道路」、「長けり」は「長靴」。「靴」のことを「けり」という。「蹴る」からか。昨今は「ケッタ (蹴った)」が自転車のことを指したりするのだが。
 全体の意味は、「反射材のついた長靴を履いて渡る人を見つけると、気が引き締まる」。最初の句が「り」で終わると、リズム感のある標語になったのに。「けどわだり」じゃ無理だもんな。
 こういうのは、「交通安全 AND 方言」で検索するとかなりの数が見つかる。
 なんでだろう。
 親しんでもらうため、と言う人はいたりするが、逆じゃないか。道路沿いという公の場で、方言でものを言ったら目立つ、ってことじゃないのかなぁ。

 方言とは呼びにくいが、砕けた言い方を探すと、高速道路に対する一般道。「下道」「地道」という呼び方がある。前者は「したみち」である。後者は「じみち」でいいんだろうか。
 どちらも、高速道路が、高架だったり土盛りをしてあったり、地面より高い場所を走っていることが多いことからの連想だろう。まさか、有料道路を走っている人が、一般道を走っている人を「貧乏人め」と見下しているからではあるまい。

 馬車なら山ほどある――かと思ったら、見当たらない。牛にまで範囲を広げれば 1000 年以上も遡れる代物なのに。
 平安時代は、「車」と言ったら「牛車」を指した。
 今更の疑問だが、人を乗せる馬車が日本に登場したのは明治以後か? 時代劇なんかで見た記憶が全くないのだが。
 ちょっと調べた範囲では、あんまり決定的な説明が見当たらない。ヨーロッパと違って道が悪いから、というのは牛車があることとぶつかるような気がするし、道が狭かったり曲がりくねってたりするからスピードが出せない、というのは騎馬があることと矛盾するのではないか。
 馬を持っている、というのはステータスだった、ということはないだろうか。
「馬そり」はあるけど「牛そり」はないよなぁ。それぞれの特徴から、向き不向きがあったのではないか、とも思う。

 車の世界は、スタイリッシュな外来語が乱舞する世界である。新聞の折込みとか読んでても、「それは何?」というのが山のようにある。
 ハンドルが“steering wheel”であることから「ステアリング」と呼ぶ人がいるが、これなんか、「携帯電話」が「携帯」になったのと同じ、修飾される本体が省略されて、修飾部分だけが残った例だ。素人には、意味が全く逆だろう? と思われるのは、「ショック アブソーバ」を「ショック」と省略する使い方。
 ドアとか、車の横の部分を補強するための「梁」を「サイト インパクト ビーム」と呼ぶのだが、変身ヒーローの光線技にしか聞こえないのは、俺がオタクだからか。





"Speak about Speech" のページに戻る
ホームページに戻る

第438夜「金 vs. 赤の決闘」へ

shuno@sam.hi-ho.ne.jp