Speak about Speech: Shuno の方言千夜一夜




第265夜

遠くて近きは隣県の仲 -盛岡編-




 にも書いたが、盛岡に行ったときに『もりおか弁入門』という本を買ってきた。一年近く前のことだ。もうそんなになるのか。
 買ったのは、さわや書店という本屋である。
 盛岡の駅前付近は一方通行が多く、行くのに難儀したが、なかなか気合いの入った本屋であった。
 入り口からの、地図−旅行関係ムック−地元出版という棚の流れは見事な「罠」である。手書きの POP も気合いが入っている。宝塚関係、特撮関係が妙な充実度を見せているのはなぜだ。

 さて、『もりおか弁入門』だが。
 なんというか、文章が、パソコン通信の書き込みを思わせる。どこかどう、と聞かれると困るが、そういう印象を持った。
 前半は、大雑把な品詞ごとの文章、後半が単語帳である。
 単語帳で気になるのは、単に音が変わっただけ、というのが多くはないか、ということである。
カマ・カゲル*1
ケッツマヅグ
ハンペラ (半分に切った紙、半片)
 次のなんか、一緒である。
テンデニ
タンマ (ちょっと待て、タイム)
ブッタギル
 まぁ、この辺が、その地域で (あるいはその人が) 何に方言臭を感じるかを知る上で重要な手がかりになるのだが。
 ただ、前にも書いたような気がするが、文体が低いことイコール方言臭という人が多い、ということは言っておく.

 標準語形で書かれている地の文や、俚言を説明する文に俚言が出てくるのも気になった。
「赤ん坊がまめに育つ」なんてのはその最たるもので、確かに辞書を引けば「忠実」と書き「丈夫」という意味だということはわかるのだが、東北以外の人間がそういう使い方をしているのを見たことがない。
グヤメガス」を「ぐやぐやと甲斐性のないことを言って回る」と言われても、よそ者は困ってしまうのである。
 以下、単語別。

チャコ
「猫を呼ぶ声」だそうである。鶏の「とーとーとー」みたいなものか。秋田では「猫につけられることの多い名前」である。

ケァッパリ
 誤って水に落ちること。秋田に「かっぱとる」という動詞があるが、音がやけに似ているのが気になる。「河童取る」ってのはひょっとして民間語源か?

サムツラスナ
「寒い顔をするな」ということだと思うのだが、意味は「寒い思いをするだけなのに」なのだそうである。意味は同情か?
ナンキ゜ツラスンナ」というのもあるそうだ。こっちは「難儀な思いをするだけなのに」。

ハラクソ・ワル
 これはわかる、と思ったのだが、「裏切られたり無理を強いられたりして非常に腹立たしいこと」と意味がやけに細かい。単に不愉快なのは「ハランベ・ワル」なのだそうな。

ヒジャッコ・タデル
「正座する」。
 立てるのか。

ブジョホ
 これは「不調法」。
ブジョホ・ヅケ」というのがあるらしい。漬物で、食べると中から汁が飛び出し、粗相をしてしまうのだそうな。
 何かというと、トマトの漬物。食ってみたいぞ。
 似たようなのに、「ブジョホ・マンジュウ」というのがあるそうな。こっちでは、飛び出すのは黒蜜。これも食ってみたい。

ブンマワシ
 コンパス (円を書く文房具の方)。
 盛岡の俚言ではない。昔から思っているのだが、「ぶん」というのをくっつけるほど勢いよく回すか?

ボンボ・フデ
 毛先の擦り切れた筆。
 これ、仙台では「ごんぼふで」だった。「牛蒡」かと思ったのだが、「ボンボ」というのは「先端が尖らず丸みをおびた物」なのだそうである。「ゴボウ」とは別物なのか?

「あとがき」に、南部藩の方言集に載っている単語の使用率に関するエピソードがある。10 年で 10% づつ減っているのだそうである。ということは 100 年で盛岡弁は消滅することになる。*2

 だが、減った 10% を全て標準語形がカバーしているわけではあるまい*3。方言自体が形を変える、「新方言」「ネオ方言」と呼ばれる現象もあるはずだ。
 もし、それも含めて方言の衰退というのであれば、日本語も英語もフランス語も全て衰退していることになる。「変化」と「衰退」は別物である。
 また、子供が「大げさに敢えて粗野に方言を言って遊ぶ?」現象もあるそうだが、いわゆるツッパリ系がわざと柄の悪い表現を好んで使う、というのは前から見られることである。確かに、汚い表現ばかりが残ってしまうのは好ましくないことだろうが、それも方言の活力として認めなければならないのではないか。

「まえがき」にもあるが、町興しや村興しというコンテキストで方言の「保護」を語られることがある。だが、一つだけ気になる話があるので書いておく。
 とある祭りが、文化財として指定された。
 後年、詳しく調べていってみたら、祭りの行列の形態が今とは違っていることがわかった。
 それではオリジナルに戻そうか、という話が出たが、文化財として指定されてしまったので変更は許されない、というお達しがあったのだそうな。
 お役所が、「これが○○弁である」と決めることもあるまいが、本来、役所と文化は水と油なのじゃないか、という話。




*1
 「ハッタリ・カゲル」が「かまをかける」という意味なのだそうである。 (
)

*2
 「10% 減る」というのが減算だとして、の話だが。 (
)

*3
 その統計について言えば全て標準語形になっているということもあるかもしれないが、盛岡弁全体としては、そうとは限らないはずである。(
)





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