『
e とらんす』という雑誌に、字幕/日本語版ディレクターという肩書きの石原 映二という人の文章が載っていた。「現場監督月報」という連載である。
話題は、かの「
シュレック」である。ダウンタウンの浜田 雅功氏が声優として出演しているが、その話。
台本は当初、標準語だったんだそうである。どうも雰囲気が出ない。本人が、大阪弁でやらせてくれ、と言ったので、試しにそうしてみたところ、俄然、調子づいていい雰囲気に仕上がった、とのこと。
石原氏は、シュレックの性格設定なども考えれば、その方がいい、というようなことを書いている。氏は東京出身・東京育ちなんだそうで、それによるエキゾチシズムではないか、ということは本人も感じている様である。
注目するべきは、好かれることのないシュレックという怪物のメンタリティが大阪弁で描き出された、というところ。一般に、大阪弁は陽気というイメージがあるが、ここでは別の面を引き出したことになる。
ところで、『
翻訳家の書斎 (宮脇 孝雄)』という本が手元にある。こないだ、渋谷に用事があったのだが、飛行機なんかの移動の時間を使って一気に読んだ。
それで、ドキュメンタリーっぽいバラエティ番組で農夫が出てくると決まって南東北辺りの方言に似せた言葉遣いをさせている、あの件が触れられていた。
あれはまぁ、方言そのものというよりは、農民イコール東北みたいなイメージの産物のような気がする。
聞くところによると、最近はおさまってきているらしい。製作側が心を入れ替えたのか、東北の農業が壊滅に瀕しているせいなのかは知らない。お笑い番組なんかで誇張した形でネタにされているのも理由かもしれない。
いずれ、ステロタイプの無批判の使用であって、誉められたことではない。
「
シュレック」については予告を何度か見て、浜田氏の声優ぶりも確認した。確かに雰囲気が出ていると言えば言える。
が、それは大阪弁そのものによるのではなくて、石原氏が述べているとおり、浜田氏が自分の言葉遣いに近い言葉で演じたからではないか。
こう言っては申し訳ないが、浜田氏に標準語で演技させようと思ったのは、一体どういうわけだ、と思う。氏のスタイルは、あの大阪弁込みで成立していると思うのだが。
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逆にそれが氏の俳優としての活躍の範囲を狭めているといえる。
今年の第 2 四半期に「明日があるさ」というドラマがあって浜田氏が主役を演じていた。舞台は東京なのだが、浜田氏は大阪支社から転勤してきた課長という役どころ。浜田氏を起用する以上、そういう設定にせざるを得ない。
赤井 英和氏もそういう感じだったが、どうやら、標準語っぽい話し方を勉強したようだ。ただし、発音はまるっきり関西風である。これはそう簡単には直るまい。
「
明日があるさ」は、吉本興業が製作したので、関西チームが主体である。花 紀京、間 寛平、ココリコ、藤井 隆、山田 花子。ココリコの遠藤 章造は大阪弁丸出し、田中 直樹は標準語っぽい。藤井 隆は別の番組で見るまでは関西出身だとは気づかなかった。どこまで大阪弁を押し通すかについては、やはり個人差があるようだ。個々人の言葉遣いのほか、芸風も関わってくるのだと思われる。
伊東 四郎はきっちり江戸弁である。柳葉 敏郎は、三の線もいける二枚目俳優としての座を固めたが、稀に、二枚目をやっているときでも秋田っぽい発音が観察されることがある。
聞くところによると、「スケバン刑事 III」では、最初はやはり標準語での台詞だったのだそうだ。だが、
浅香 唯のイントネーションがどうしても標準語っぽくならず、宮崎出身という設定にしたらしい。つまり、「スケバン刑事 II」における土佐弁とは違い、宮崎弁の使用は当初の計画にはない「路線変更」だった、ということである。
浅香 唯自身は運動神経がいいらしいので、それとあいまって「宮崎の山猿」という設定が出来上がったのではないか、と想像する。
こないだも横浜であったイベントで「ゴ
ミを」を「
ゴミを」と発音していた。
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それにしても肉眼で見るとその可愛さは百層倍。
ご当人もファンの皆さんも怒らないでいただきたい。発音・イントネーション・アクセントは変更しにくいのだ、ということを言っているだけである。
で、こういう批判をした以上、「実は『シュレック』は見ていない」などと言うと怒られたりするのだが、見に行く気は全くない。アメリカ アニメ特有の動きと、邪気の無い勧善懲悪は苦手なのである。
「ゴジラ」と「ハム太郎」が同時上映というので頭を抱えているくらいだ。
そうそう、秋田にも
シネマ コンプレックスができた。この正月休みにでも行こうかと思っている。
これで秋田の映画人口が増えるのか、どこかの映画館がつぶれるのか。
前者は望み薄だが。