おいはぎ坂


鐙坂(桜並木側から坂上を望む)

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5. おいはぎ坂
 大田区西馬込−南馬込の坂めぐりは馬込坂から続ける。馬込坂下歩道橋の手前の信号を右へ入ると二本木坂へ、左へ上ると南坂だ。
 二本木坂は交通局の引き込み線を渡った所から始まり、横須賀線と新幹線が走る二本木橋まで、静かな住宅街を上っていく。旧池上村根方に向かう古道で、坂名は旧馬込村の小字二本木に由来する。坂上のうっそうと茂った屋敷林が心を和ませる。
 元にもどり南坂へ。道幅の狭い急坂でS字状に駆け上る。馬込の中心にある八幡神社から見て南側にあるので南坂と呼ぶ。馬込坂から吹き抜ける寒風が、寂しさを一層かきたてる。
 八幡神社の十字路を右折し、3本目を右折すると大田区立郷土博物館。馬込の歴史や馬込文士たちの展示、坂の古い写真に目をみはる。さらに直進し、東急ストアを左折すると馬込区民センター下の信号。この先1本目を左折すると出世稲荷神社がある。この脇を善照寺の墓地に沿って上る急坂が、おいはぎ坂だ。
 昔よくおいはぎの被害に遭う者が多かったからなのだろうか。ユニークな名だ。いつぞや夕暮れに歩いたことがある。突風に墓地の卒塔婆(そとうば)がカタカタ鳴り、路地のお地蔵さんの首かけエプロンがバタバタ揺れた。絵に描いたような情景も、愛すべき坂の魅力なのだ。
 十字路を左折して馬込桜並木通りの信号を左折すると鐙(あぶみ)坂の上りになる。梶原景季の愛馬「磨墨(するすみ)」が鐙を谷に落としたという伝説から鐙谷の地名が生じ、坂名につながった。昔は狭い農道だったが、今の坂道は大正末にできたという。優雅なたたずまいの中を迂曲(うきょく)する情景は、何とも心地よい。  (坂道研究家・山野勝)
(出典 朝日新聞 2004.1.19)

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6. おいはぎ坂-2
 南馬込4丁目9番の北向(きたむき)台上稲荷(その境内は区立ひばり児童遊園)の社前(北側)をカーブしながら北東へ上るかなりな急坂で、坂の右側、稲荷社の続きは浄土真宗善照寺の乱塔婆である。この坂の名を知っている住民はいまはいないが、『新版大森風土記』には「おいはぎ坂西1丁目(馬込)森氏の居所をたちうど(立人)と称し、この地から小径を塚越に行く道があり、左方の墓地附近を俗に鐘塚と称してゐる。往古万福寺の梵鐘を鋳造した場所である処からこの俗称が起った。
 亦此処から下る坂をおいはぎ坂と呼ぶ、その昔よくおいはぎ被害に逢ふことから揶揄(やゆ)的に皮肉なあざなが生れるに到った。この傍に北向台上稲荷がある」と書かれている。坂下のほうは南馬込4丁目の最西端、5、6丁目との境界点である。
(出典 「江戸東京坂道事典」 石川悌二著 新人物往来社)

7. おいはぎ坂についてひとこと

 我が家から地図(右)の馬込区民センター下までは百メートル余りです。地図は一般の方に解りやすいように第二京浜を起点に説明していますが、桜並木通りの右下の延長上にある我が家からは数分で達することができます。
 南坂、鐙坂といった大きな坂には坂名を書いた標識が立っていますが、おいはぎ坂は小さな坂なのでこの記事のような紹介がないと、見つけることができません。

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[Last Updated 11/30/2006]