上山高史さんのジャズ・ヴォーカル


上山高史氏(向かって左、撮影庄司征彦氏)

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      目 次

1 見果てぬジャズの夢
 朝日新聞に載った活動の紹介記事です。
2 65歳の新人歌手
 日経新聞に載った堀晃氏の「交遊抄」の記事で、上山高史さんのことを採り上げています。
3 人との関係が元気の源
 三田評論2002.10月号に載った上山さん自身の手記です。
4 誕生日ライブ
 NMCの友人の荒川氏が、上山さんのホームページに書き込んだ感想の写しです。
5 人生自分流
 NHKの衛星放送で放映された上山氏の紹介の概要です。
6 上山さんのCD
 彼が出した一枚目のCD"Allegiance"をご紹介します。

1 見果てぬジャズの夢
 エンジニアリング会社の日揮を三年前に退職し、その後同社の嘱託社員を続けている上山高史さん(62)は、昨年秋、半世紀ぶりのレコーディングに挑んだ。
 十一歳のときキングレコードで童謡を録音して以来で、曲はブルー・ムーンなどのジャズ。十五曲中二曲は旧知のジャズピアニスト、山下洋輔氏の伴奏で、この五月にCD(非売品)が完成した。山下氏とのつき合いは、上山さんが大学卒業後、歌手をしていた時に始まった。「歌手はわずか三年間。僕の顔、周囲に『テレビ映りがよくないから商品価値がない』と宣告された」
 日揮では海外で計十四年間勤めた。歌を捨て仕事に没頭したつもりだったが、ホテルのピアノバーで「ジャズを一曲だけ歌わせてくれ」とせがんだこともあった。「アフターファイブとはいえ日揮の正社員だし、人前で歌うのは気が引けた」
 それが、退職を機に吹っ切れ、目下、今月下旬に開くライブに向け練習中だ。
(出典 朝日新聞2000年6月17日夕刊)

2. 65歳の新人歌手
 緑の丘の赤い屋根……。
ラジオで「鐘の鳴る丘」を聞いた世代は、たぶん昭和19年生まれの私あたりが最後だろう。この国民的ラジオ番組で、古関裕而のオルガンをバックに主題歌を歌っていた天才少年歌手がいた。それが上山高史さんである。
 経歴を先に紹介しよう。少年時代、童謡歌手として15枚を録音。慶大時代にジャズ・コンテストで優勝、水原弘と共演するなど、新進ジャズシンガーとして注目されていた。だが「ルックスに商品価値がない」という評価を受けて歌手生活を断念、エンジニアリング会社の日揮に入社する。海外駐在14年を含む35年の勤務ののち定年退職、記念に製作したジャズCDが話題になった。今や注目の男性ジャズ・ヴォーカル、白髪のきれいな65歳の大型新人歌手である。
 上山さんとはこのCDが縁で知り合った。ジャズ関係で30年を超える共通の知人がいること、何よりその経歴に共感するところがあって、長年の先輩のような親近感を覚える。ちなみに筆者の会社生活は作家兼業でたった31年である。
 「鐘の鳴る丘」世代もそろそろ定年という人が多い。余裕ができれば、ラジオから半世紀、今度はぜひ上山さんの小いきなスタンダードに耳を傾けていただきたい。
堀 晃(ほり・あきら=SF作家)
(出典 日経新聞 2002.4.19 交遊抄)

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3 人との関係が元気の源
  上山高史(かみやま たかし JAZZポーカリスト・昭36文)
  ホームページ;http://business2.plala.or.jp/tkkamijv

 長年の"夢″であるプロ・JAZZ・ボーカルの道に再び足を踏み入れたのは、全くひょんな事からだった。退職後、仕事や個人的にお世話になった内外の知人・友人に趣味を生かしてジャズ・ボーカルのCDを製作し、これを記念品として贈呈する事を思いたった。山下洋輔さん他の一流演奏家の協力をいただき実現に漕ぎ着けた。この事が思わぬ展開をするに至った。"このCDを店頭で売りましょう"とこの協力者達が言い出したのである。
 その昔、諸般の事情があって、ボーカルの仕事をやめ、プラント業界に入った。海外営業を担当、所長として約十五年に亘る海外勤務を含め、三十五年の会社員生活をする。仕事柄、石油・化学会社、金融、商社、製造会社他の多くの関係者との接点を持って、興味の尽きない仕事に没頭。
 しかし、いよいよ人生最後の選択を迫られる節目を迎えて、第三の人生をどのように過ごしたらよいかを考え始めた時に、なぜか最初に頭に浮かんだのが、事もあろうにプロ・JAZZ・ボーカリスト。忘れていた"夢"が長年潜在的に脳裏に巣くつていた事に我ながら驚いた。実現は容易でなく、他の選択肢をと考え始めた折に、"ハップニング"が起こる。前述のCD店頭販売である。この夢の実現に向け真剣に考えさせる発端であった。熟考の結果、辿り着いた結論は、成否は兎も角、音楽活動開始。無謀な選択であったが、ライブを中心とする活動に入った。"上山丸"の船出である。
 不思議にも、一旦決心すると流れが自然と動き出したのだ。諸先輩からのライブで共演のお誘い、私の唱法を気に入ってくださった方がライブの機会をくださったり。そのうえ、二枚目のCD発売の話が実現し、ジャズ専門誌の男性歌手人気投票で五位にランクされる等、予想外の展開であった。人生の運気がなにやら悪戯をして花咲かせたような気がしてならない。
 私がライブ活動を重視したのには、"人との出会い"を楽しむ事にあった。これが的中、この醍醐味を大いに味わっている。出会った方々との関係が鎖のように知人・友人にも及んでいて、驚く事がしばしばである。友人からの紹介で関係が広がる事もある。今年四月の日経新聞"交遊抄"に、私の事を"六十五歳の新人歌手"と紹介してくださったSF作家の堀晃さんはそのお一人。どんな事が起こるか、人間関係への興味は届きない。
 出会った人々との良い関係に幸せと元気をいただき、正に至福の時を過ごしている。元気なうちに、ライブ活動の集大成として、ご支援くださっている方々に感謝を込めて、大ホールでコンサートを開くという目標に向け頑張っている今日この頃である。

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4. 誕生日ライブ
 誕生日おめでとうございます。
 いつも楽しいライブを有難うございます。
 上山さんのライブの楽しさは、歌はもちろんですが、趣向を凝らした企画とトークにあると思います。
 今回もご自身の誕生された年代の曲を揃え、それに相変わらす楽しいトークが加わって、当時のアメリカの状況を想像しながら、本当に楽しい一時を過ごさせていただきました。
 私は昨年から友人の紹介で上山さんのライブを何度かお聴きしていますが、回を増すごとに歌に若々しさや清々しい息吹のようなものを感じ、またご自身も心から楽しんでで歌っているお気持ちがこちらにも伝わって、好感を持って聴かせていただいています。
 特に上山さんが歌うBLUE MOONが好きです。また今回趣向で挑戦されたと聞いていますMY ROMANCEもボレロ調を取り入れて良かったと思います。ちょっとしたリズムの変化がライブを効果的に盛り上げていると思います。
 上山さんの歌をバックで支える、嶋津健一トリオの伴奏も楽しみの一つです。上山さんとの呼吸もぴったりあって素晴らしい演奏をされていると思います。トリオの皆さんもライブで回を重ねる度に腕を上げられているのではないでしょうか。
 以上、勝手な感想を述べさせて頂きましたが、これからも益々のご活躍を期待しています。
 また楽しいライブで素晴らしい歌とトークを聴かせてください。(荒川孝史)

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5 人生自分流
 人生自分流 「40年目のアンコール」−第2の人生をはつらつと生きる人
 NHK衛星第二(BS11CH) 2002.11.27 19:30〜20:00

 主人公は横浜郊外在住の上山高史氏(65才) 2年前にCDデビュー
 リポーターは葛西聖司アナウンサー

新宿のライヴハウスDUGでのリハーサルと本番の風景。お客さんを前にして、歌のメッセージを伝えたい。
会社を定年退職したあとプロのジャズシンガーとしてデビューした。
自宅への訪問 アンプとマイク 奥さん(美穂子さん)へのインタビュー。本人の好きなことをさせてあげたい。

歌手としてのデビューは三回目
 第1回目 子供の時、音羽ゆりかご会で「鐘の鳴る丘(NHKの人気ラジオドラマ)」の主題歌を歌い、レコードも15枚吹き込んだ。変声期で中断。
 第2回目 大学3年〜卒業3年後まで。 ラジオコンテストで優勝した。お父さんとの約束で3年間プロとして活躍した。
 第3回目 今回のプロデビュー ジャズ雑誌(Swing Journal)人気投票は10位から昨年は5位へ上昇した。

人生上山流その1 歌は人生の応援団
  歌は人生の楽しみ、癒しであり、自己満足の歌では駄目。
人生上山流その2 スウイングしなけりゃ歌じゃない
  クラシックの発声練習風景も。ジャズに応用。
人生上山流その3 いつまでも夢を歌いたい
  自分で編曲もする。

 大ホール(広島県呉市。定員千八百人)での40年ぶりの公演も実現した。山下洋輔氏(第二のデビュー時からのジャズ仲間)のリサイタルにゲスト・シンガーとして出演
 歌った曲 ブルー・ムーン、TOO YOUNG(OLD)。アンコールは「鐘の鳴る丘」

カラオケに役立つ上山流発声法のこつ
1. 背筋を伸ばす
2. あごを引く
3. 腹から喉まで筒になる

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[Last Updated 12/31/2002]