みんなの広場
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改訂履歴とみんなの広場(バックナンバー)09に戻る

 アクセスされた方々との交流の場です。今月も次の三項目を取り上げました。先月の「みんなの広場」は「12 改訂履歴とみんなの広場(バックナンバー)」に移しました。
 7月は、中旬に梅雨明けが宣言され、急に暑くなりました。後半は九州や山口で豪雨が降り、気温はエアコン無しで過ごせる程でした。この陽気を梅雨寒というようですが、梅雨が一時的に戻ったようです。さらに多雨、低温のため野菜が不作で値上がりし、家計に影響が出ているようです。
 22日には日蝕がありましたが、東京は曇っていて、ほとんど見えませんでした。庭にはハイビスカスやほていあおいの花が咲き、朝顔・向日葵(ひまわり)などもそろそろです。
1. 「今月の追加内容」など
 1.1 今月の追加内容
  今月追加した内容の、ご紹介です。
 1.2 新聞の記事から
  「戦争が生むのは悲劇だけ」という作家、澤地久枝さんへのインタビューを載せました。
2. 7月のトピックス
 7月の主なトピックスをご紹介します。
 2.1 木曽駒ヶ岳トレッキング
  7月13日〜15日、BSA主催のトレッキングに参加しました。右の写真は千畳敷カールを経て駒ヶ岳に登る途中から、振り返ってカールを眺めたもので、左下に赤屋根の千畳敷ホテルが小さく望めます。
 2.2 ゴーギャン展
  7月23日、竹橋の東京国立近代美術館で開かれている展覧会を見に行きました。
 2.3 上山さんの誕生日ライヴ
  神田岩本町のTuc(Tokyo Uniform Center)で、標記のライブがあり、テニス仲間で聞きに行きました。

3. 来月の予定
 今、来月に向けて計画していることを、お知らせします。

1. 「今月の追加内容」など
 1.1 「今月の追加内容」
 「9 趣味」「5. 演劇」に「44 鳥の飛ぶ高さ」は、今年(2009年)の6月に見た青年座公演のご紹介です。上演後に行われた「ラウンドテーブル」も参考になりました。
 「9 趣味」「7. テレビ・ラジオ」の「9. Jブンガク」は、真夜中に放映される、ちょっと変わった文学紹介テレビのご紹介です。興味のある方は是非とも覗いてみて下さい。
 「11 興味あるリンク」には、「10.2 絵画」に「10.2.24 ゴーギャン展」、「11 趣味2−旅行」に「11.67 木曽駒」の2項目を追加しました。両項目とも、このページの「7月のトピックス」に関連した内容です。

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 1.2 新聞の記事から
    「戦争が生むのは悲劇だけ」
 9条の重み伝えたい
    昭和史からの警告 澤地久枝さんに聞く
「軍国少女」が昭和の裏面史を追いかけた
 東京・渋谷の繁華街に近い住宅地の一角にある自宅の書斎で、琉球絣(かすり)に身を包んだ澤地久枝さん(78)は、元気いっぱいの笑類と明るいよく通る声でインタビューに応じた。28歳、38歳、64歳の時と、3度の困難な心臓手術を経験したとは思えない精神の強靱(きょうじん)さを感じる。
 「小学生時代は足が速く、健康優良児。しかし心臓手術以来、走ったことも泳いだこともない。手術の度に、死ぬかもしれないが、人生に悔いはないと思った。常に前向きに生き、逃げ出さなかったと自信を持って言える」
 「母方の祖母の生き様に大きな影響を受けた。祖母は山梨県から一人で上京、貝類の行商をして生計を立てた。学校に一日も行ったことがなく、読み書きができなかったが、生活者として腹が据わっていた。女から女への物語として生き方を教えてもらい、生きる力強さを受け継いだ」
 父親の就職で旧満州(現中国東北部)に渡る。吉林市の高等女学校3年で終戦を迎え、1年後に帰国。
 「軍国主義教育の申し子のような少女だった。兵隊さんの苦労を思って、子供用の茶わんで2膳以上は決して食べないと心に決めて、戦時中ずっと実践した。敗戦の知らせを聞いて『神風は吹かなかった』と真剣に思った。その時感じたことは、国家が何と簡単に亡(ママ)くなるのか、上官に捨てられた兵士は何と哀れなものかということ」
 「日本は一夜にして軍国主義から民主主義に変わったが、私は旧満州で何も知らずに難民生活を送った。帰国しても無知で2、3年間の精神的空白期があった。その時の怠惰な生活が屈辱として悔しい。それを晴らそうと、必死で勉強、織物の裏糸のような昭和史の裏の部分の、簡単に踏みにじられてきた、名も無き人のかけがいのない人生をひたすら追いかけてきた」

戦争をしてはいけない
 作家としてのデビューは1972年の「妻たちの二・二六事件」。
 「五味川純平さんから資料助手に誘われ、ちゃんとした助手でありたいと思って万全の準備をした。五味川さんの間違いを指摘、彼が怒り出すこともあった。約10年間手伝ったころ、中央公論社の元同僚から、『そろそろ書いたらどうか』と勧められた。五味川さんに提出した関係資料の中で、使われなかった二・二六事件の妻たちを書いた」
 「天皇親政を旗印にした軍部内のクーデターを、鎮圧して未遂に終わらせた軍人たちが利用、政治に全面介入した。日本の大きな分岐点になる歴史的事件なのに、真相が明らかになっていない。弁護人なし、一審即決の非公開の軍法会議で青年将校たちは銃殺刑を宣告された。そこにはトリックがあり、ちゃんと裁かれていない。残された妻たちには人生の大きな分かれ道になった。その女性たちが35年間の沈黙を破って初めて語った」
 80年代に取り組んだ「滄海(うみ)よ眠れ」 「記録 ミッドウエー海戦」は昭和史の金字塔的な作品だ。
 「(42年の)ミッドウェー海戦は戦況が逆転する分水嶺(ぶんすいれい)となった有名な海戦なのに、戦死者は概数しか分からないことが不思議だった。日本と米国で戦死の扱いに相違があるのかどうかも知りたかった。厚生省(現厚生労働省)はミッドウエー海戦の戦死者名簿をいまだに公表していない。私の調査で日米合計の戦死者総数3419人と、すべての所属、階級、年齢が初めて明らかになった」
 「日本は国際赤十字から捕虜の情報を知らされていたが、『天皇の軍隊は捕虜にはならない』という建前から、日本人捕虜の実在を認めなかった。日本軍は敵国捕虜の扱いでも、『捕虜を人道的に扱わなければならない』というジュネーブ条約の存在を周知徹底しなかった。これらのことが多くの悲劇を生んだ」
 「戦争で不幸な人生を送った人々のことを私は一生懸命書いてきたが、国籍にかかわらず、どの人も最後に言うのは『戦争をしてはならない』という言葉だ」

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 戦争を知る人間と若い人たちの橋渡し役が必要
 今年1月、「戦争へと至った昭和史の実相に迫るノンフィクションを著した業績」で朝日賞を受賞した。
 「日本が米英などと戦争をしたと聞いて、孫たぢの世代は『ウッソー、あんな大国と戦争したなんて信じられない』と答える。若い世代と戦争を多少とも知っている年寄り世代の間の橋渡し役、通訳が必要だ。『戦争であなたの祖父母の世代がどのように死んだのか』と具体的に話せば、感性の柔らかい若い人たちは理解するはず。昭和史の語り部として希望に賭けたい。
 2004年、故小田実氏、故加藤周一氏らと「九条の会」を立ち上げ、憲法9条を守る市民運動を盛り上げてきた。
 「日本には実質的に巨大な装備を備えた軍隊がある。『戦争とは経済問題だ』と、五味川さんが言ったように、産業と軍隊は結びついている。経済人の一部は軍需景気を期待して戦争を望む。辛うじて戦争を阻止しているのは憲法9条の存在。9条を外したら、徴兵制が復活する可能性があり、戦後64年間ゼロだった戦死者が初めて出るかもしれない。公務員の憲法を尊重擁護する義務を定めた憲法99条も忘れてはならない」
 「九条の会はいまや全国に7,400以上の地方組織がある。地方で開かれる講演会にはどこも大勢の聴衆が集まり、大変な盛況。しかし全国ニュースで全く報じられない。マスメディアの責任は大きい。核兵器が一発でも使われたら、戦争は止まらない。唯一の核被爆国の日本が最も率先して行動すべきだ。何もしないで後悔するよりも、一歩でも半歩でも前に出て行動する勇気が必要だ」
 (編集委員 木戸純生)

 さわち・ひさえ 1930年東京生まれ。ノンフィクション作家。4歳で家族と旧満州に渡り、終戦を吉林市で迎える。46年帰国、49年中央公論社入社。在職で早稲田大学第二文学部卒業。63年病気退職後、五味川純平氏の小説「戦争と人間」資料助手を務める。86年菊池寛賞の「滄海よ眠れ」など著書多数。
(出典 日本経済新聞 2009年7月16日 夕刊)

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2. 7月のトピックス
 7月の主なトピックスをご紹介します。
 2.1 木曽駒ヶ岳トレッキング
  BSAは平沢先生が主宰するスキー教室です。スキー以外にも春と秋にハイキングを行っています。今年は木曽駒トレッキングだと聞いて初めて参加しました。19名が参加し、現地集合・解散で宿泊は木曽駒高原の「森のホテル」でした。第1日目は木曽古道で御嶽山を眺めながら散策しました。2日目は木曽駒で、バスで権兵衛トンネルを通って伊那に出て、ロープウエイで千畳敷まで登り、そこでお花畑2組と登山の1組に分かれました。私は登山組(4名)で乗越(のっこし)浄土まで急登し、記念写真を撮った後、見晴らしの良い鞍部の小屋の前で昼食をとりました。帰りは宝剣岳を回って帰ろうとしましたが、急にガスが出てきたので、登った道を帰ることにしました。14時のロープウエイで下り、駒ヶ根市の光前寺に寄りました。3日目は木曽川源流の水木沢天然林のウオーキングで二つの滝を見ることができました。かなり充実した3日間でした。
 2.2 ゴーギャン展
  ゴーギャンの最高傑作といわれる「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」が今回の展覧会の目玉です。この絵は昨年(2008年)6月に米国に行ったとき、ボストン美術館で観た作品です。展覧会は、この絵を中心に、国内外から集められた油彩・版画・彫刻約50点の作品で構成され、ゴーギャンの作品が時代によってどのように変わっていったかがわかるようになっています。
 私にとっては若い頃の作品と、ゴッホと一緒にアルルで描いた作品が印象的でした。
 2.3 上山さんの誕生日ライヴ
  このところ数年来、テニス仲間だった上山さんのライブを、神田岩本町のTuc(東京ユニフォーム・センター)に聞きに行くことが年中行事になりました。今年は伴奏者が野口久和(piano), 香川祐之(Bass), 吉岡大輔(Drums)の三人で、とても良い演奏でした。同じ誕生月なので、金澤市からご夫妻でおみえになった形成外科医のKさんが飛び入りで唄ってくださいました。42歳から一念発起して声楽を習い始め、今や金沢の"パバロッティ"として、現地では名を馳せている方だそうです。会場では久しぶりにNMCの荒川さんにも会うことができ、楽しい一夜でした。

3. 来月の予定
 来月は次のような項目を予定しています。
 3.1 本の紹介
  「5 本の紹介」に木村秋則さんの「リンゴが教えてくれたこと」を取り上げたいと思います。
 3.2 趣 味
  「8 ウオーキング・旅行」に、今月行った「木曽駒トレッキング」を載せたいと思います。
 3.3 リンク集
  「興味あるリンク」を、少しずつ追加したいと思っています。

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[Last Updated 9/3/2009]