奈良南部旅行(吉野ほか)
 目 次

1. 概 要

2. 第1日 長谷寺ほか

3. 第2日 当麻寺ほか

4. 第3日 吉野 


   大津皇子の墓(二上山雄岳頂上)

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1. 概要
 NMCの「歴史に学ぶ会」で、奈良の長谷寺などへ行く二泊三日の旅行があり、参加しました。
 1) 名 称    奈良南部旅行
 2) 訪問地    室生寺、長谷寺、当麻寺、二上山、今井町、吉野(地図参照)
 3) 期 間    2008.4.13〜15
 4) 参加者    9名
 5) 交通機関  新幹線、近鉄、ロープウエイ、バス。
 6) 感 想
  いつもの「歴史に学ぶ会」のメンバーのほか、NMCの一般会員も参加して、賑やかでした。 天気もまずまずで、吉野の桜は見事でした。
  新幹線での近い席の確保、ビジネスホテルの利用、移動の際の荷物のコインロッカーまたは休憩所での一括預かりなどのために快適な旅ができました。
  2. 第1日 長谷寺ほか
 第1日は、奈良への移動と室生寺・長谷寺の観光です。東京から新幹線(ひかり363号)で名古屋まで行き(東京発8時03分)、近鉄に乗り換えて(名古屋発10時30分名阪乙特急)室生寺に着いたのは12時少し過ぎでした(名張で普通電車に乗換 室生口大野着12時13分)。人数が多かったのでタクシーで室生寺に移動し、太鼓橋の手前にある橋本屋で、山菜料理の昼食をとりました。右の写真は女人高野室生寺の碑が建つ室生寺の入り口です。
 名物のしゃくなげには少し早かったようですが、仁王門、本堂、金堂、五重塔など国宝級の建物が山の傾斜に沿って建てられています。
 橋本屋まで戻って、次は長谷寺です。雨も落ちてきたので、タクシーで移動しました。
 古くからこの地は豊初瀬(とよはせ)、泊瀬(はせ)などと呼ばれ、山麓の櫻井市初瀬は、観音信仰の門前町として栄えてきました。真言宗豊山派の総本山です。千3百年以上の歴史を持っています。
 朱鳥(しゅちょう)元(686)年に、道明(どうみょう)上人が天武天皇の病気平癒を祈願し、銅板法華説相図(千仏多宝仏塔)を安置したのが始まりとされます。
 正面の石段を上って仁王門をくぐると、108間399段のゆるくて長い回廊形式の登廊(のぼりろう 右の写真)が本堂(山の斜面に建てられている)に導いてくれます。もう少し遅い時期(4月下旬から5月上旬)だと登廊のまわりにはボタンが見られます。本堂は舞台造、南面入り母屋造、本瓦葺きで慶安3(1650)年に徳川家光の寄進によって造られました。本尊は十一面観音で、楠の霊木で作られ、高さは約10メートルあり、天文7(1538)年の作です。境内には五重塔、一切経堂、御影堂があります。
 泊まったのは八木西口駅近くの大和橿原シティーホテルで、個室でした。近鉄の八木駅からも近くです。雨が降っていたので食事は近くでとりました。

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3. 第2日 当麻寺ほか
 近鉄南大阪行きで当麻寺(たいまでら)駅に着き、駅からは歩いて当麻寺に出ました。途中、蹴速(けはや)という力持ち(相撲のルーツ)で有名な当麻町相撲館(けはや座)の前を通りましたが、生憎と休館日でした。当麻寺は二上山(ふたかみやま)山麓にあります。当麻寺は推古天皇20(612)年、聖徳太子の弟、麻呂子親王(まろこのみこ)が河内に建立し、その後、当麻国見(たいまくにみ)が役の行者(えんのぎょうじゃ)開山の地に移したといわれています。この寺に、天平時代、藤原家の娘中将姫が16才で訪れます。継母に命を狙われ、現世の浄土を求めていたといわれています。姫が仏菩薩の加護を受け、当麻曼陀羅(まんだら)を蓮の糸で一夜で織り上げたという伝説があります。寺の庭園はボタンの花で埋まるそうですが、少し時期が早かったようです。皆で二上山に登山しました。雌岳、雄岳と二つの頂があり、雄岳には大津皇子(おおつのみこ)のお墓があります。右の写真の遠景が二上山で左が雌岳の頂、右の少し高いのが雄岳です。天武天皇を父に持ち、聡明でたくましく、人望もあった皇子は、天武天皇が崩御すると、突然反逆者の汚名を着せられ処刑されてしまします。病弱な我が子、草壁皇子(くさかべのみこ)を皇位にと願う皇后(持統天皇)にとって、大津皇子は邪魔だったとみられています。姉の大伯皇女(おおくのひめみこ)は二上山に葬られた弟をしのんで、次のような歌を詠みました。
 現身(うつそみ)の 人なる吾や 明日よりは 二上山を 弟脊(いろせ)と吾が見む
 昼食は当麻寺中の坊にて精進料理を戴きました。食後は中の坊のお庭や折口信夫さんの「死者の書」の展示などを拝見しました。
 一旦八木西口駅に戻り、歩いて今井町に向かいました。今井町は前に飛鳥に来たときも寄っているので詳細は省略しますが、東西600米、南北310米の町内に江戸時代の商家や民家が並んでいます。
 夕食は八木駅前のデパートのレストランで、中華料理を食べました。

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4. 第3日 吉野
 吉野は「紀伊山地の霊場と参詣道」として「高野山」「熊野三山」と並んで「吉野・大峯」ということで、世界遺産に登録されています。
 吉野川は奈良県のほぼ中央を東西に流れています。その中流に吉野町が広がっており、町を見下ろすように吉野山があります。標高8百メートルあまり、なだらかに延びる尾根に沿っておよそ3万本、日本一の桜の山です(右の写真は中千本から見た桜です)。
 橿原神宮経由で近鉄吉野駅に着き、駅前のコインロッカーに荷物を預けました。歩いて数分のところにロープウェイがあります。終点の辺りが下千本で、道の両側は飲食店、みやげ物店、宿などが並び、その間の道を登って行きます。しばらく登ると仁王門が見え、その先に権現堂(金峰山寺[きんぷせんじ])があります。山の下の方の桜は散りかけていましたが、中千本辺りは丁度見頃でした。昼食は途中で柿の葉すしを買い、中千本のあたりで平らな見晴らしの良い場所を見つけて食べました。
 食後にバス(上千本から奥千本まで)の駅に戻り、並びましたが行列長さと道路の渋滞を考えると、特急券のとってある列車に間に合わない危険性があるので、引き返すことにしました。
 列車には余裕を持って乗ることができ、橿原神宮前で近鉄特急に乗換え京都に出ました。
 京都駅では新幹線の発車時刻まで1時間くらいあったので、京都駅ビルのツアーをしました。出石、大阪行きのとき京都駅ビルのホテル[ホテル・グランヴィア・キョウト]に泊まったのですが、駅ビルの中は歩かなかったので、今回が初めてです。
 帰りの新幹線では他の仲間と近い席だったので、NMCでの活動のことなど話し合いました。

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[Last Updated 5/31/2008]