ユング心理学と仏教
BUDDHISM AND THE ART OF PSYCHOTHERAPY

  目 次

1. まえおき
2. 目 次
3. 要 約
4. 内容紹介
5. 著者紹介
6. 河合隼雄さんを悼む
7. この本を読んで


著者 河合 隼雄
発行所 株式会社 岩波書店

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1.まえおき
 今年(2007年)の7月中旬に河合 隼雄(かわい・はやお)さんが亡くなり、追悼文を載せるに当たって調べたところ、氏の著書が一冊も入っていないことがわかりました。今回取り上げた「ユング心理学と仏教」はNMCの読書会で1998年2月に報告したのですが、その時はまだホームページを作っていなかったためだとわかりました。そこで遅ればせながら改めて取り上げることにしました。

2. 目 次
まえがき(D・H・ローゼン)
プロローグ
T ユングか仏教か
U 牧牛図と錬金術
V 「私」とは何か
W 心理療法における個人的・非個人的関係
エピローグ
フェイ・レクチャー紀行−日本の読者のために
あとがき

3. 要 約
 世界でトップクラスのユング心理学者のなかから毎年一人を招聘して行われる由緒あるフェィ・レクチャー(米国)に東洋から初めて呼ばれた著者が、世界の心理学者や分析家を前にして行い、好評を博した連続講演。自身の人間理解が、西洋近代的思考法と仏教的な思惟、世界観の間で深められてきたとの認識を持つ著者が、人の心を理解することの意味、そしてその方法と考え方について平易に語る。

4. 内容紹介
1. まえがき(D・H・ローゼン)
 「底の石動いて見ゆる清水哉(漱石)」この俳句は河合 隼雄の本質をついている。彼もまた、言葉数のすくない、だが、賢明な言葉の人だ。たとえば、河合に、今回のフェイ・レクチャーの題目について、本になるときの表題ともども尋ねると、「非個人的心理療法」という答えが返ってきた。それはどういうものかと、わたしは説明を求めた。するとつぎのような説明がなされれれた。「あなたがた西洋の人たちは個人的心理療法とか、人間関係的心理療法とか、超個人的心理療法について議論している―――わたしが、話そうとしているのは、非個人的心理療法です」。ここでまた、わたしは、彼のいわんとするところについて説明を求めた。最後に彼はこう答えてくれた―――「わたしは患者たちが石のようになるのを手助けするのです」と。
 河合は第二次世界大戦の幻滅のなかで、最初西洋の自我(自己)の立場をとることになる。しかし個性化の道程で、彼は最終的に禅仏教的なスタンスである非自我(非自己)の立場をとる。沈黙というかたちで河合は、対立物すべてを創造的に包摂する。すなわち自我−非自我と、自己−非自己という対立のなかで、彼は「真の中庸」を保持するのである。
 歴史的にみると、仏教渡来以前の古代日本において文化は母系的であった。神道の主要な神は太陽の女神であったが、これは、他のほとんどすべての文化と異なる。なぜなら、ふつう太陽は男性神であるからだ。
 河合はすぐれたユーモアの持ち主であり、フルートを美しく演奏する才能を持っている。フェイ講演期間中我が家に滞在されたとき、鳥たちがよく彼のいる部屋の窓外の枝に一列に並んでとまり、彼の演奏に耳をかたむけていたものだ――まさに彼のいう、自然との同調ではないか。
 「此のあたり目に見ゆるものは皆涼し(芭蕉)」

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2. プロローグ
 心理療法においては、クライエント(患者)の意識と無意識がうまく調和して関係しあっている心の状態を得ることが重要であります。近代西洋文化において、西洋の人々は、強い自我意識を確立することに成功しました。此の強い自我は豊かな科学的知識の獲得を促進させましたが、それは常に無意識との接触を失うという危機にさらされています。現在の多くのクライエントは「関係性の喪失」に悩まされ、喪失からの回復をはかるには、深層心理学者が試みてきたように、自分自身の無意識の探索をすることが必要です。
 われわれはまた、自我意識についてのわれわれの信念や概念を検討することが必要だと思われます。近代西洋の自我は多くのことを成就させてきましたが、強い近代自我が無意識との接触を失いがちであることに注目するならば、それ以外の文化における自我意識について検討してみることに価値があるのではないでしょうか。わたしは日本人として、日本の状態について述べてみたいと思います。
 フェイ・レクチャーの始まる日の前日のパーティーでスピーチのスタイルの基本的な差について話をしました。アメリカ人は、そのスピーチをジョークで始めるのに対して、日本人は弁解で始めると言われています。西洋では、最初になすべきことは、他との関係をはかろうとします。これに対して、日本人はまず一体感を確立し、その一体感を基にしながら、他との分離や区別をはかります。ここで日本人とアメリカ人が他を批判することは容易ですが、実際にどちらが「正しい」かを決定することは不可能です。
 日本人の意識について考えると、それは仏教によって強く影響されていると思います。ユングも早くから禅の重要性を認識していますが、著者がいかにしてユング派の分析家となり、そしていかに自分自身および分析の実際に対する仏教の力を意識するようになったかについて、自分の個人的経験をお話しすることは、日本の読者にとっても西洋の読者にとっても価値のあることではないだろうかと思う次第です。

T ユングか仏教か
 「私」という個人がユング派の訓練を受け、ユング派分析家として「日本」という異文化の土地で、ひたすら仕事を続けているうちに、私の分析のあり方が意識的・無意識的な変容を遂げてきたことを仏教との関連という視点から、見直してみようということであります。[著者の立場、ユング派となったいきさつ、仏教との出会い、臨床心理の経験]
1 個より普遍へ
 フロイトもユングも自分の行っている心理療法が「科学」であることを主張しました。近代の自然科学においては、観察者と観測される現象との間に明確な区別があり、それだからこそ、観察によって得た結果は、「普遍性」を持つとされました。その方法は観察者が現象に深く関わっているという点で、近代の自然科学と明らかに異なっているということを認識しなくてはなりません。
 フロイトやユングは、その病の克服の課程を通じて、自分の自我を自分自身の全体と関係づける仕事を行い、そこから普遍的な知を見出そうと努めました。
 深層心理学の知の性質を以上のように理解するので、ここに私が私個人の体験を語るにしても、それが普遍性とどうつながるかを意識している限り、聞く人に対して意味を持つと考えています。著者が日本で分析を行ってきた体験から出発し、日本において迷ったり考えたりして生きているうちに、仏教が私についてどのような役割をもつに到ったかについて語りたいと思います。

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2 わたしと仏教
 幼少の頃から、私は仏教に対して漠とした拒否感を持っていたように思います。それは何となく不吉で不気味なもの、というイメージを与えていました。私も他の日本人と同じく、無自覚的仏教徒でありましたが、私が四歳の時に弟が死亡しました。
 ただ、子供心にも非常に印象的だったことは、父が禅の言葉が好きで、「日々是好日」という言葉を座右の銘としていたことです。
 思春期を迎える頃に日米の戦いが始まり、軍国的傾向は非常に強くなり、中学生の級友が陸軍や海軍の学校に入ってゆくのに、私の死の恐怖は一向に弱まらず、とうとう一番上の兄に手紙を書きました。
 「自分は恥ずかしいことに死ぬのが怖くて軍人になりたくない。どうしたらいいのか。父や兄が医学を学んだために死について悟っているのを見ると、自分は医師が好きでないが医学部に進みたいと思うがどうか」ということを書いて投函しました。兄からはすぐに返事がありました。「死ぬこことが怖いのは当然で、別に恥ずかしがることはない。医学を学ぶと、人間の体の死についてはわかるが、人間にとって死とは何かがわかることはない。それは一生かかって追求することで、父も自分も悟ってなどいない」という文面でありました。
 仏教との接触はまったく思いがけない機縁から生じてきました。それは私がアメリカに留学したことから始まります。後に述べる十牛図もマンダラも、私がそのことについて初めて知ったのは、アメリカでありました。
3 西洋へのあこがれ
 戦争末期に学校にきた偉い軍人の話を聞き、結局日本は負けると考えました。敗戦時に17歳でしたが、われわれがいかに非合理的な教育を受けていたかを知り、西洋的合理主義を全面的に受け入れようとしました。日本の神話に対して強い嫌悪感を感じました。
 日本が敗戦から立ち上ってゆくためにもっとも大切なことは、西洋の近代主義に学ぶことであり、そのためには科学の勉強をすべきであると考えました。私は大学で数学を専攻し、高校の数学の教師になりました。私は高校教師というものを自分の天職とさえ感じていたのです。そんなこともあって、実に多くの高校生が彼らの悩みの相談にきました。それらに対して責任ある対応をするために、私は臨床心理学の勉強を始めました。しかし、日本では、それはまだ始まったばかりで適切な指導者がいないことがわかりました。
4 ユング派の分析
 分析を受けることになって、分析家のシュピーゲルマンから、夢の分析をするといわれたときには驚いてしまいました。西洋合理主義を学ぶためにきたものに「夢のお告げ」など信じられるか、と言いたいところです。しかし、私はきわめて印象的な初回夢を見ました。私がハンガリーのコインをたくさん拾い、そのコインを見ると仙人の姿が描いてありました。
 ロスアンゼルスにいる間に仏教との少しの接触が生じました。分析の過程のなかで、ある日、分析家が禅の十牛図を見せてくれたのです。
 ロスアンゼルスの一年半の留学を終え、日本で一年間の準備をした後に、チューリッヒのユング研究所に留学しました。日本の古典を読みましたが、私が日本への根を見出してゆけたのは主として日本の昔話、伝説、神話などを通してでありました。
 私はユング研究所の資格論文として日本神話を取り扱い、特に太陽の女神アマテラスに焦点を絞って論じました。
5 西洋の意識
 他と区別し自立したものとして形成されている西洋人の自我は日本人にとって驚異であります。日本人は他との一体感的なつながりを前提とし、それを切ることなく自我を形成します。そのような差を意識していればよいが、それがわからないときは、何気ない日常会話においてさえも誤解が生じたり、違和感を感じたりします。
 エーリッヒ・ノイマンの「意識の起源史」によると、西洋近代の自我が世界の精神史においても希有な達成であることがよく理解できました。しかし日本人の自我はきわめて未成熟な段階にとどまっていることになり、一面では正しいと思いますが、まったくそうだとも言えないと思うのです。簡単にいってしまえば、西洋近代の自我は、自我の多様なあり方の一つであり、その強力さは認めるとしても、それを唯一の正しいあり方とは考えることはできない、というのが私の現在の意見であります。そのためには、多様な自我のあり方を具体的に示し、それらと近代自我との比較を行うことが必要であります。そのことをこの30年間に私はしてきたと言えます。そして、その一端を、特に仏教との関連において、この講義のシリーズでお話しすることになるでしょう。

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6 日本におけるユング派の分析(帰国後のユング派臨床心理学者としての活動)
 日本文化を欧米のそれと比較するときに、母性原理と父性原理の優勢度の差を基にしてみるとよくわかります。私は日本で分析を行う際に、まず母元型の強さということを考慮することが重要であると考えました。
 分析をはじめて何年か経ってふと気がつくと、分析を受ける人の三分の一強がクリスチャンであることがわかりました。まず言えることは、日本人で近代自我に心を惹かれる人のなかで、宗教心に関心のある人はキリスト教に関心を持つ人が多いことであります。
7 治して欲しくない
 心理療法を行うときは、夢分析、絵画、箱庭などを相手の状況に応じて用い、時には対面の面接のみのこともありました。心理療法によって誰かを「治す」ことなどできない、と私は思っています。では治療者の役割は何なのでしょうか。自分のことを考える上で、仏教の考えが役立つことに気づきはじめました。
8 日本の師を見出す
 仏僧の明恵(みょうえ 1173〜1232)は生涯にわたって夢を記録し、それが「夢記」として残されています。ふとした機会に「夢記」を読み感心してしまいました。これは稀にみる人物だと思ったのです。明恵の導きによって私は仏教の経典などを読むようになったし、はじめて仏教に対して親近感を持つようになったのです。そして、仏教のことを知れば知るほど、自分の心理療法が仏教の経典に述べられていることと深く関連していることがわかってきました。
 日常の意識を自立させ洗練させて西洋の近代の自我が形成され、それは自然科学という武器を手に入れたので、その強力さで全世界を席巻するように見えました。これに対して仏教の説く意識は西洋の自我と逆方向にそのあり方を洗練させていったのではないでしょうか。そこには、能率とか操作だとかの概念がまったく存在しません。何の役にも立たないと言いたくなりますが、近代自我のかかっている病を癒す力をそれは持っているのではないかと思われます。
9 ユング派とは何か
 私はユング派であるということは、C・G・ユングがかって行ったように、自分の無意識から産出されてくる内容を慎重かつ良心的に観察し、それを基にして自分の生き方を決定し、個性化の道を歩もうとする、そして、そのために必要な基本的方法や知識を身につけている者、と考えています。自分の独善性や安易さを防ぐため、自分の信じる方法や考えを全面的にぶつけて検証する相手として、C・G・ユングを選び、そのことに積極的意義を見出す、というのがユング派であります。
 他方では明恵を心の師と仰ぐと言いましたが、明恵自身は宗派をひらくことには否定的でありました。私は「曖昧な仏教徒である」とでも言うべきか。ただ「あいまい」ではあるが、そのあいまいさに相当自信を持っていると言ってよいでしょう。

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U 牧牛図と錬金術
 分析家のマーヴィン・シュピーゲルマン博士より、廓庵(かくあん)の考えに基づき周文の描いた十牛図を見せられて感激してしまいました。十牛図として、ともかくそれは十枚の図として段階的に示されていることが、実に新鮮に感じられました。
1 牧牛図
 禅の修行の階梯を描いたこのような図は十牛図、牧牛図と呼ばれ、現存しているものとしては、普明の図は黒い牛が暫次に白い牛に変化してゆき、その課程の漸進性が示されるのに対して、廓庵の図では頓悟の立場から描かれており、黒牛が白牛に変化してゆくという表現がなされないのが特徴的です。禅家の説明によれば牛は「自己」とか「真の自己」であると言われています。
2 頓悟と洞察
 廓庵は頓悟(にわかに悟りを開くこと。日本で受け入れられていた)、普明は漸悟(順序を追って悟ること。中国で受け入れられていた)を示すといわれています。苦しんでいるクライエントが「洞察」というすばらしい体験をして、一挙にそこから抜け出します。
3 賢者の薔薇園
 ユングが「転移の心理学」において取りあげている錬金術「賢者の薔薇園」の図をはじめて見たとき、すぐに牧牛図のことを思いました。ユングは金属の化学変化の課程として述べられていることが、人格の変化の課程を象徴的に表していると考えられることに気づき、この十枚の図の中に、心理療法において、治療者と患者とがその関係を通じて内的にいかに人格変化を行うかというのを読みとろうとしました。
4 アニマ像
 仏教には大乗仏教の考えが強くなると、その救済は母性原理に基づくことが明らかになってきます。仏教が中国、日本とわたってくるうちに、むしろ、原理的には母性優位の宗教となったのです。
 私が仏僧の明恵を尊敬するのは、彼はきわめて稀な人として、仏教を信じつつ、アニマとしての女性像との深い関わりを持ったと思うからです。
5 円と直線
 ユングは、普遍的無意識の層は元型に満ちている、と言います。とすると、深層に行けば、子ども元型、母元型、父元型などすべてが共存しているわけだから、そこでは発達段階などナンセンスです。
6 アジャセ・コンプレックス
 日本の精神分析家、古沢平作(こざわへいさく)が、フロイトに分析を受けて日本に帰国した後、エディプス・コンプレックスのみではなく、アジャセ・コンプレックスというのを合わせて考える方が人間理解に役立つと主張して「罪悪感の二種」という論文を1931年に書き、その翌年に独訳してフロイトに送りました。
7 現代女性による牧牛図
 現代の日本女性の描いた牧牛図「さがしてごらんきみの牛」。
8 白鳥の癒し
 箱庭療法、ロマンチック・アニマ(白鳥の乙女)、8歳の重い喘息に苦しむ女の子の3回目においた箱庭、泉(癒しの泉)の中に今にも飛び立とうとしている3羽の白鳥。個人をどのように考えるかは、人間と自然との関係をどう見るかにも関係してきます。

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V 「私」とは何か
 ここでは「私」とは何かについて考えてみます。
1 自我と私
 ego(自我)=Ich(I)、id(精神の奥底にある本能的エネルギーの源泉)=es(it)
 深層心理学はもともと自己分析によって生まれてきたものであり、他の人がその方法を用いるときに援助はできるとしても、自然科学の法則を適用するのとは異なっているのです。ところが、egoとかidなどという用語を用いて、それを「自然科学」の一つであると誤解することによって、そのためにアメリカで精神分析が広く受け入れられたという効用はあったにしろ、最近になって、その問題点が目立ってきたように思います。
2 私は観音である
 6世紀に仏教が日本に伝来して以来、それは急激に日本にひろがりました。しかし、一般の民衆にとって、仏教はその教義や戒律、儀礼などと結びついて理解されたのではなく、それまで日本人がもっていたアニミズム的な宗教と融合し、日常生活の中に入り込むような形で受けとめられました。
 ユング心理学はきわめて深く広いものですが、それを受け止める際に、西洋人が自我との関係において理解しようとするのに対して、日本人(あるいは東洋人)は、自他分離以前の存在との関連において理解しようとする、と私は感じています。
3 夢の中の「私」
 「私」とは何かを考える上で、夢のなかで行動する私は非常に大切で、考慮するに値するものです。
 Who am I?に対する答えとしては、「私は心理療法家です」と答えるでしょうが、What am I?に対する答えとしては、「私は治療家であると同時に患者である」ということになるのです。このことをはっきりと実感を通じて知ることができるのが、夢のすばらしいところであります。
4 華厳の世界
 わたしは、心理療法の場において「治療者」としてよりは、患者や観音や、時としては石として座っていることの方が多いように思いますし、その方が効果があがるのです。
 華厳経では、普通の現実の世界を「事法界」と呼んでいます。それに対して、事物を区別している境界線を取り外して、見る世界を華厳では「理法界」と言います。さらに、一度「空」を識った人は、その差別の背後に一切無差別の世界を見ます。すべてのものは理の挙体性起として存在し、「理」はなんのさまたげ障礙もなしに「事」の中に進入します。この「理」「事」関係の実相を、華厳哲学は「理事無礙」という術語で表わすのです(井筒博士の言葉)。
5 縁 起
 「ある特定のものが、それだけで個的に現起するということは、絶対にあり得ない。常にすべてのものが、同時に、全体的に現起するのです。事物のこのような存在実相を、華厳哲学は『縁起』といいます(井筒博士の言葉)。」

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6 意識の水準
 華厳の考えに従うと、「私」は本来空であり、私の自性、つまり私の本質などは無いということになります。私は他人どころか、動植物やその他のすべてのものと「同じ」ということになります。「私」とは何かを考える上で、私の意識ということが重要な課題になってきます。
 意識水準の下降について認識しておかねばならない非常に重要な点があります。それは意識水準は下降しても、そのときに意識的な判断力、注意力、観察力などが必ずしも低下するとは限らない、ということです。仏教では、このような意識のレベルの下降を、注意力や観察力を失うことなく気力を充実したままで行う方法を、瞑想、読経、座禅などの修行として開発してきました。
7 個性とは何か
 人間は一人一人が自分は他人と異なる独自(Unique)な存在だと思っています。そこでは、人間の個性(Individuality)を伸ばすことが、非常に大切だと考えられ、そのような考えは日本にも伝わってきて日本の現代人はそれに同意しています。
8 自 殺
 たとえば今回の地震(阪神大震災)のように大地震が起きても、略奪などが生じず、少ない物資しかないときでも人々が秩序を守っているのを見ると、そう簡単に自我が「弱い」などといえないのではないかと思います。
 心理療法家の仕事は場合によって、相当に異なった様相を呈します。この点に関して、ユングは心理療法の仕事を、告白、解明、教育、変容(Transformation)の四つに分類しています。

W 心理療法における個人的・非個人的関係
1 「易行(いぎょう)」としての訓練
 芸能を学ぶにしても、個性の存在は前提にならず、誰もが出発点においては平等と考えられます。しかし、よき芸能者となるためには、それにふさわしい「型」を身につけなければなりません。しかし、「型」を身につけさえすればどんな人でも上手になれるわけですから、それは「易行(他力の行い)」と呼ばれます。
2 関係のレベル
 そのうちに、クライエントが必要としている関係のレベルと、治療者の私が努力している関係のレベルが異なっている、ということに気がつきはじめました。
 このようなことがわかってくると、私はむしろ、私自身の意識のレベルを必要に応じて深くするようにし始めました。このようなことを心がけるのに、第V章で述べた仏教の考えが大いに役立ちました。華厳の説く縁起の考えが、治療者とクライエントの関係に深い示唆を与えてくれたのです。

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3 大乗起信論
 心理療法の場面で、個人的、非個人的レベルの間を私の意識は同時的に体験したり、あちこちにさまよっているようなのが実体であります。このような自分の心理療法の実際を証明してくれるものとして、仏教の『大乗起信論』が役立つことを最近知りました。井筒俊彦先生の『意識の形而上学――「大乗起信論」の哲学』によって知ることを得たものです。
 『起信論』で大切な言葉は「真如(しんにょ)」です。これは「第一義的には、無限宇宙に充溢する存在エネルギー、存在発現力の無分割・不可分の全一体であって、本質的には絶対の『無』であり、『空』(非顕現)である。」
 ここに存在論の用語としての述べた「真如」は『起信論』においては、「心」のこととして用いられれます。
 ともかく、私は『起信論』によって、意識の表層にも深層にも同時にかかわり、外的現実のこまごましたことをすべて大切にしつつ、同時にそれら一切にあまり価値をおかないような、矛盾をかかえこんだ、私の心理療法の態度を、支えられたように感じたのです。
4 アラヤ識
 今まで述べてきたことからもわかるように、心真如(図のA領域)と心生滅(図のB領域)との関係は微妙であり、両者の関係は図のように明確に区別できるものでないことは、あきらかであります。BはAの自己文節態であるわけなので、Aは本来的な現象志向性によってBへと転位し、またBは逆に本源であるAに還起しようとします。このようなAとBの相互転換の場を、『起信論』は「アラヤ識」と呼びます。
 西洋の深層心理学が、まず個人の自我ということを立て、そこから論を発展させ、ユングの場合は普遍的無意識という層にまで至るのですが、『起信論』の場合は、超個的で無分節の世界を先に立て、ここまできてやっと「個」ということが――それも潜在的に――語られるのです。
5 訴 え
 日本の青年たちを襲った極端な無気力状態の多くは、A領域に向かう心を「公案」としてもらっていながら、それにまったく気づかず、ともかくあらゆるB領域のことがらを無価値なこととして感じてしまうので無為になる状態である、と私は考えました。そのような無気力な青年に、仕事をすることの意味や、社会に活動することの価値を説くよりも、その人に与えられた「公案」がどのようなものかを探しだすことに、共に努力するという態度で会ってきました。
6 解釈と言語
 ユングもこのようなこと(夢の解釈)を相当に認識していたのだと思われます。彼が象徴と記号を区別し、象徴は簡単に既知の内容に置き換えられない内容であること、それが一番適切な表現でそれ以外のものに代えられないことを強調している点に彼の解釈に対する考えが示されていると思います。彼の警句、分析家は「何をしてもいいが、夢を理解しようとだけはしてはならない」という言葉が、そのことをよく示しています。
 言わば中心に沈黙があり、その沈黙の顕れとして言葉があるのです。

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7 かなしみ
 図30は赤面恐怖症のために家の外にでるのが不安で家に閉じこもってばかりいた、20歳近くの青年男子の作品です。中央に男の子を砂に埋め、顔だけ出して、そのまわりに火をおきました。彼の不安や苦しみがそのまま伝わってきて、砂に埋まっている少年は泣いているようにも感じられました。
 治療者の本来の役割は、この中心に位置を占めることではないでしょうか。クライエントと分離しがたいほどの深いレベルにおける、苦しみとかなしみのなかに身をおいていると、自然に日常の世界がひらけてきて、そこではもちろん楽しく愉快な経験も沢山できるのです。

8 人間の科学
 免疫学の研究によれば、人体の中の、神経系、内分泌系、免疫系の各システムは、それぞれが独立して機能しつつ、しかもお互いがうまく調和的にはたらいておりますが、これら三者を統合する中枢は存在しないとのことであります。
 これからヒントを得て私が今考えていますののは、人間の心もスーパーシステムとして見るべきではないか、ということです。つまり、心全体としてうまくはたらいているとき、そこに敢えて統合の中心を求める必要はない、と考えるのです。
 通常の意識の中心をユングは自我と呼びましたが、西洋の近代が自我をもっとも大切と考えていたとき、自己の重要性を指摘したことは、ユングの偉大な功績であります。
 いろいろと努力を重ねてくるにつれて、その「統合」などは不可能と思い知りましたし、「統合」を性急に図ることは危険であるとも思うようになりました。統合を焦る人は、都合の悪いことを無視しがちであることに気づいたからであります。おそらく「新しい科学」は論理的整合性をもった知識体系を持とうと努力しないのではないか、と思ったりしています。

エピローグ
 「フロイドが1907年にユングと初めて話をしたとき、『それで転移についてどう思っていますか』と問いかけた。私は深い確信を持って、それは分析におけるアルファでありオメガであると答えた。それに対して彼は即座に『あなたは大切なことをつかんでいる』といった」。
 それ以後、転移/逆転移は心理療法の領域で最も重要な問題の一つとなってきました。

フェイ・レクチャー紀行−日本の読者のために
1 フェイ・レクチャーの招待
 分析心理学(ユングの創始した心理学)に関する学問的な研究成果を分かち合うためのものである。そして、その記録はテキサス州A&M大学出版局より書物として出版されるとあって、これまでに講義をした四人の講師と演題が示されている。
フェイ・レクチャーについて
 私は仏教徒であった!(ローゼン博士からの講演依頼とタイトルのいきさつ)
2 ロスアンジェルス
 翻訳  地震
3 テキサス
 ユング教育センター
 エールワード神父
 原罪
4 カレッジステーション
 講義の前に
 真如と自己(Self)
 スーパーシステム
 あとがき
  以 上

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5. 著者紹介
1928年 兵庫県生まれ
1952年 京都大学理学部数学科卒
1959年 カリフォルニア大学留学
1962年 ユング研究所留学
1965年 ユング派精神分析家の資格を得る
1967年 教育学博士
      京大教授
1995年 国際日本文化センタ所長
      大佛次郎賞、NHK放送文化賞、朝日賞 (1997年度) 受賞
[著 書]
昔話と日本人の心
明恵夢を生きる
中空構造日本の深層
ユング心理学入門(培風館)
心理療法序説(岩波書店)
ブックガイド心理療法(日本評論社)
河合隼雄 全対話(第三文明社)
[その他]
無意識の世界 フロイドとユング
(NHK文化セミナー 心の探究[ラジオ第2放送 97/10〜98/3 月曜日 21:30〜22:00 火曜日 11:30〜12:00 再放送])

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7. この本を読んで
 河合隼雄さんのことを紹介するのに、この本が適当かどうかは判断できません。たまたま仏教にも関心があったので、取り上げました。ただ河合さんの経歴や立場を考えると、こういう作品は海外でもっと読まれるのではないでしょうか。
 いろいろな経緯から、心理学の本としては河合隼雄さんの著書を一番多く読んでいます。いま並行して取り上げている遠藤周作さんの「私の愛した小説」も、こうした本を読んでいたことが助けになっています。

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[Last updated 8/31/2007]