「アースダイバー」の
スポットを訪ねて
        目 次

1. はじめに
2. 猿楽古代住居跡と猿楽塚
3. 三田


猿楽塚
(ヒルサイドテラス内)
              

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はじめに
 アースダイバーを読んだとき、つぎの二つのことを考えました。一つは中沢新一さんの他の著書を読むことです。それと本に出ているスポットを歩いてみることです。幸いウオーキングが好きなので、何カ所かを歩いてみることにしました。実際に歩いてみると、中沢さんもいっているように、この東京のど真ん中に縄文時代のこんな遺跡があるのだと実感できると同時に、どんどんと変わって行く東京の新しい街を再認識することができるようです。

猿楽古代住居跡と猿楽塚

           目 次

1. 概 要
2. 第1回 猿楽古代住居跡
3. 第2回 猿楽塚
4. その他(アドレス代官山ほか)

1. 概 要
  最初に採り上げたのが渋谷区代官山の猿楽町の古代住居跡と猿楽塚です。アースダイバーのスポットリスト(P.251)には、次のように所在地と簡単な説明が記されています。
[猿楽古代遺跡]
 所在地 渋谷区猿楽町12
 1977年に発掘調査。他地域よりも大型の弥生時代後期と見られる住居跡や土器が発見。
[猿楽塚]
 所在地 渋谷区猿楽町29 ヒルサイドテラス内
 2基の築山が並んており、いずれも6〜7世紀の円墳。このうちの大型のもの(約高さ5m)が昔から「猿楽塚」と呼ばれ親しまれてきた。

 地図で番地を調べ、猿楽町が代官山に近いことを確認しました。このあたりは、車では時折通るのですが、東急東横線の代官山駅(始発駅渋谷から一つ目)を降りるのは初めてです。今年(2006年)の正月、家の近くの散歩に行こうとしたとき、少し足を伸ばして、この地を訪ねてみようと思い立ちました。後から判ったことですが、ヒルサイドテラスは山手通りの両側に分かれ、正月に行ったときは見つかりませんでした。そこで2月になって、暇を見て再び代官山に行き、今度は猿楽塚を見つけることができ、アドレス代官山も見てきました。以下は、その探訪記です。

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2. 第1回 猿楽古代住居跡[平成18年1月3日(火)]
 東急東横線の代官山で降り、まず猿楽町29のヒルサイドテラスに向かいました。旧山手通りに出、通り沿いに少し歩いてみました。ところが、それらしいところに出ません。少し歩いてから猿楽塚はあきらめて古代遺跡に向かいました。こちらは駅の構内に出ていた周辺の地図にも載っており、猿楽町12にある猿楽古代遺跡公園が直ぐに見つかりました。公園には渋谷区教育委員会が建てた標識があり、昭和52年の発掘の記録と、古代住宅の復元の経緯などが判ります。公園には、近くの地形や川などを示した模型もあり、考古学の愛好家には、一見の価値があると思います。
「猿楽古代住居跡         渋谷区指定史跡   猿楽町12
 このあたり一帯は古代人が居住していたところであろうと推定されていました。
 昭和52年1月、渋谷区教育委員会ではその調査を国学院大学考古学第一資料研究室に委託して発掘しました。
 発掘作業を行っているうちに出土してきた土器は壷(つぼ)、瓶(かめ)、高坏(たかつき)などの破片ばかりでしたが、この土器に付けられた模様からみると、久ケ原式、弥生町式、前野町式に属し、それらが作られた時期は今から約2千年前の弥生時代で、これらの文化は南関東一帯にひろがっていました。
 弥生時代というのは、生活の方法はその前の縄文時代と同じですが、現代人のように米を栽培して食べる習慣がはじまり、文化が進んだ時代といえます。
 発掘を進めて行くと、いくつかの住居跡が発見されましたが、中には他の地域でみられる住居跡よりも大型で珍しいものが発掘されました。
 区は昭和53年、樋口清之博士の指導により古代住居を復元しましたが、その後焼失したので、現在は居住跡の上を被覆し保存に努めています。                 東京都渋谷区教育委員会」
 正月とあって、午後遅くになってから家を出たので、猿楽塚はまたの機会に訪ねることとし、渋谷に近いところを廻って駅に戻ることにしました。その途中で大きな建物に出会い、あとで代官山アドレスであることを確認しました。正月とあって商店街も閉まっており、場所を確認しただけで駅に戻りました。家に帰ってからホームページで同潤会アパートの跡に出来たものだとわかりました。
 「アースダイバー」の13ページには次のように書かれています。「表通りにはパリとそっくりなすてきなお店の並ぶ代官山の裏山には、猿楽町の遺跡群が泥の堆積のようにうずくまっている。」こうして一つ目の遺跡には出会うことができたのです。

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3. 第2回 猿楽塚[平成18年2月19日(日)]
 前回は、ヒルサイド・テラスがどこにあるのかわからず、猿楽塚は突き止められなかったので、ホームページで調べました。その結果、ヒルサイド・テラスは旧山手通りの両側にまたがっており、通りの山側に主要部分のあることがわかりました。そこで今回は通りを渡ってヒルサイド・テラスを調べました。東側の端に猿楽塚が見つかりました。この頁最上段の写真にあるように、鳥居の奧に階段があり、そこを登って行くと、猿楽神社がありました。写真に写っているこんもりした築山が6〜7世紀の古墳時代末期の円墳です。
 写真にも写っている標識には、次のように記されています。
「猿楽塚(さるがくづか)             渋谷区猿楽町29
 ここにあるこんもりとした築山は、6〜7世紀の古墳時代末期の円墳で、死者を埋葬した墳墓の一種です。
 ここにはその円墳が二基あって、その二つのうち高さ五メートルほどの大型の方を、むかしから猿楽塚と呼んできました。
 この塚があることから、このあたりを猿楽といい、現在の町名の起源となっております。
 ここにある二基の古墳の間を初期の鎌倉道が通っていて目黒川にくだっていました。
 渋谷区のように開発が早くからはげしく行われた地域に、このような古墳が残されていることは非常に珍しいことです。                 東京都渋谷区教育委員会」

4. その他(アドレス代官山ほか)
 正月に訪問したときは、駅から時計回りに猿楽塚のある猿楽町29に行き、続いて猿楽町12にある猿楽古代遺跡公園を訪ねたわけですが、駅に帰るのに、地図にもある代官山アドレスを通りました。前にも書いたように、代官山に降り立つのは初めてだったので、帰りの道によっては通らない可能性もあったわけですが、たまたま線路に近いところを通ってみようと思ったために、高いビルに近づくことになったわけです。その時は同潤会アパートの跡地に建ったビルということも知らなかったわけですが、帰宅してホームページで調べたところ、代官山アドレスの建物群の建設途中の写真が載っているホームページがあったりして直ぐにわかりました。建って5年も経っているのに、はじめて気が付いたわけです。
 2回目に訪れたときはバスの「駅入口」の方から入りました。ブティックに興味があるような方は、是非訪れるとよいと思います。
 ヒルサイド・テラスも含めて代官山を訪れる方の参考に、二つのホームページを載せておきました。

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[Last Updated 4/30/2006]