目 次 1. はじめに 2. 御田八幡神社 3. 三田台公園 4. 亀塚古墳 5. 慶應義塾大学 |
札の辻に建築中のビル (右の道路は第一京浜) |
1. はじめに
2. 御田八幡神社
「アースダイバー」の第2のスポットリストとして三田を選びました。通っていた学校と、かっての勤務先が近くにあって、土地勘があったからです。まず札の辻西側の三ヶ所(御田[みた]八幡神社、三田台公園、亀塚古墳)を選びました。アースダイバーのスポットリスト(P.250〜1)には、次のように所在地と簡単な説明が記されています。
[御田八幡神社]
所在地 港区三田3-7-16 03-3451-4687
和銅2(709)年、東国鎮護の神として鎮祀され延喜式内稗田神社と伝えられる。本殿奥にはパワー漲る稲荷がある。
[港区立三田台公園]
所在地 港区三田4-17-28
亀塚古墳のすぐとなり。1978年に縄文・古墳時代の貝塚断層が発見され、現在、竪穴式住居など、各種レプリカが保存・展示されている。
[亀塚古墳]
所在地 港区三田4-16-20
塚の形から亀塚とよばれているが、円墳。現在は亀塚公園に。「亀塚古墳」を調査したのも坪井正五郎てある。
地図で番地を調べ、都営地下鉄浅草線の三田(またはJR山手線または京浜東北線の田町)から第一京浜を品川の方に向かい御田八幡神社に行きます。この神社は電車の中から見たことがあります。港区立三田台公園と亀塚古墳は地図とインターネット(「11興味あるリンク」の「12.7 グーグル・ローカル」で番地を指定すると近くの地図が表示される)で大体の場所を推定しただけで出掛けました。
なお日を改めて慶應義塾大学と春日神社へ行きました。
[慶應義塾大学(スポットリストより)]
港区三田2-15-45 03-3453-4511
福沢諭吉により、安政5(1858)年に創立。
都営地下鉄浅草線三田駅のJTB寄り出口は、第一京浜国道に面しています。札の辻の方を眺めると、表題下のような背の高いビルが建築中でした。このビルの前を過ぎて品川の方に向かうと、暫くして右側に御田八幡神社が見えてきます。左右両隣にはビルがあり、その奧に階段があって、登った正面に右の写真のような本殿が建っています。
第一京浜や国電(東海道線)の海側は元々埋め立て地ですから、御田八幡神社は、かっては海に向かって建っていたであろうことは容易に想像できます。
本殿の左側には稲荷神社が建っており、さらにその奧には古い社が残っていました。
本(アースダイバー)には、次のように書かれています。
稲荷神社から慶應大学まで(P.155)
さらにそこ(芝増上寺の近くにある稲荷神社)から三田の方面に進む。三田は雄大な台地をなしている。その台地の崖下にあたるところには、御田八幡神社(みたはちまんじんじゃ)が建っている。境内には崖に出来た横穴らしいものを覆うようにして稲荷神社があって、すでに死の香りをあたりにまき散らしている。
大学は死霊に護られて(P.156)
その丘(今の芝公園のあたり)の上に立って、南の海を眺めると、そこからは三田の岬が海に突き出ているのが見えたはずである。そこにも死者の国がつくられていた。そこはいかにも「岬」と呼ぶのにふさわしい場所で、つまりあの世に向かって突き出た「さきっぽ」が、はげしく打ち寄せる波しぶきを受けていたのである。
3. 三田台公園
御田八幡神社の品川寄りの隣には、高輪郵便局が建っています。神社と郵便局の間を奥に進んで突き当たると、御田八幡神社の裏の辺りで崖の土砂留め(擁壁)工事をやっていました。工事名は三田台公園擁壁工事となっていました。後で判ったことですが、この崖の上は亀塚公園があります。
いずれにしろ、この近くには崖を登っていくような道がないので、第一京浜国道を泉岳寺の方に向かって歩き、コンビニampmの先の坂を登って伊皿子坂の途中に出ました。古川橋の近くから上り坂になる魚藍坂の海側に下って泉岳寺に出るのが伊皿子坂です。坂をほぼ登り切った辺りから東の田町方向に曲がります。
間もなく右の写真にも写っている三田台公園の前に出ます。公園には次のような立て札が建っています。
「昭和53年縄文、古墳時代の住居跡と貝塚断層が港区三田4丁目19番地で発掘されました。 これを永く保存すると共に、その当時の生活環境を身近に理解していただくため、これらを再現しました。 港区役所」
しかし、この公園も工事中で、再現した模型も見あたらず、見るべきものは殆どありませんでした。
4. 亀塚古墳
さらに田町方向に歩いて行くと三田4丁目のバス停があり、亀塚公園が現れます。このバスは五反田-三田間を走っている都バス「反90」ですが、運転間隔が日中でも約30分あり、田町駅前から五反田に向かうと、二駅目なので歩いた方が確実です。
公園はかなり大きく、その東南の角には右の写真にあるように柵で囲まれた一角があり、そこが亀塚古墳です。上から見ると亀のような形をしていたのでこの名があるようです。階段を登って行くと古墳を示す碑が建っています。公園から見ると、この方向に札の辻に建築中の背の高いビルが望めます。
この古墳の奧には工事用の囲いがあり、前項で述べた御田八幡神社奧で実施中の崖の土砂留め(擁壁)工事へと繋がっています。
5. 慶應義塾大学
JR田町駅または都営地下鉄三田駅で降り、国道を渡ります。慶應共栄会仲通りの道をたどると、国道一号に出ます。桜田門から赤羽橋を通って五反田へ通じる国道は、この辺りで右折します。右折せずに直進すれば札の辻に出ます。赤羽橋からの道は片側一車線の細い道でしたが、数年前に拡幅されて片道二車線になりました。赤羽橋の方を見ると、東京タワーが大きく聳えています。赤羽橋の方へ暫く歩くと国道の反対側に、右の写真のような門を兼ねた建物の前に出ます。これが慶應義塾大学の入り口です。道を渡って門を入り、坂を登って行くと右手に図書館が見えます。入り口を兼ねた建物は坂の下にありますが、キャンパス全体は高台にあるわけです。慶應大学の三田キャンパスには、経済学部等文科系の専門課程の校舎が十数棟あります。
門の赤羽橋の一軒おいた隣には、「アースダイバー」150頁の地図に出ている春日神社があります。
アースダイバーのP.157には次のような記述があります。
「三田の台地は、もともとがそういう岬(2項の「大学は死霊に護られて」参照)の形をしていた。死者の霊が集まって、あの世とこの世の間を行ったり来たりするのにふさわしい場所で、案の定そこにはいくつもの有力な古墳がつくられていた。その岬の形をした台地の北のはずれに、慶應大学の三田キャンパスがある。」
また、春日神社について別途調べた内容は次の通りです。
[春日神社]
今より1044年前、藤原正房卿が大和国より国司として武蔵国へ任国の折、藤原氏の守神である天児屋根命(あめのこやねのみこと)を春日大社より勧請奉斉しました。今では三田の鎮守「春日さま」として学問・平和の守護神として皆様に親しまれています。
住所 東京都港区三田2-13-9
電話 03-3451-5420