アースダイバー

  目 次

1. まえおき
2. プロローグ
3. 目 次
4. エピローグ
5. 著者紹介
6. この本を読んで
7. 書 評
8. ベストセラーの裏側


中沢新一著
株式会社 講談社
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1.まえおき
 今年の夏(2005年8月)にNHKテレビの「週間ブックレビュー」で、この本が紹介れました。新聞にも書評が載ったので購入して読んだところ、なかなか独創的で面白いと思いました。そこで、この本をご紹介して、ご参考になればと思っています。中沢新一さんの本としては、「僕の叔父さん 網野善彦」を採り上げたので、この本は二冊目になります。

2. プロローグ 「裏庭の遺跡へ」
 数年前にチュニジアを旅行したとき、旅行会社のカウンターで偶然知り合いになったイタリア人の女性から、いっしょにタクシーを割り勘でチャーターして、砂漠の遠足に出かけましょうと誘われた。その女性は中学生くらいの男の子連れで、さきほどからぼくが値下げ交渉をしながら口にしている地名を耳にして、そっちのほうへ行く気なのだったら、いっしょに一台チャーターしたほうが絶対にお得だと、ぼくを説得にかかったのだった。悪い話じゃない。さっそく出発は今日の午後ときまって、運転手のムスタファ氏が大きなからだを揺らしながら、部屋の奥のほうからあらわれた。
 空はどこまでも高く澄み渡り、砂漠の空気はさわやかだった。前の座席にはローマで精神分析医をしているというその女性が陣取り、さっきからおしゃべりなムスタファ氏と行き先と料金をめぐつて、大声のフランス語でしゃべりあっている。いや、どなりあっている。後ろの座席では、登校拒否児童となってこうして母親と長い旅に出ているドゥーチョ君が、ぼくの隣に座ってニコニコしながら、代わる代わるにあらわれる砂漠と海の光景に、感動しっぱなしだ。
 そのうちどなりあいを中断して、精神科医のお母さんがぼくのほうに振り返った。「ムスタファは悪いのよ。自分が決めたルートを変えろって言うと、じや奥さん、もうちょっとたくさん払ってもらわなけりやね、と来るのよ。いったいさっきから同じような遺跡ばっかりでうんざりだと思わない。あなたもなんとか言ってやってよ」
 ムスタファ氏も負けてはいなかった。
「あっしがご案内してるのは、チュニジア観光の定番お墨付きの遺跡ばかりで、どうして文句をつけられるのか、ぜんぜん見当もつきませんや。砂漠に花開いたこのローマ時代の遺跡の、いったいどこが気に入らないって言うんでさあ」
「それが気に入らないのよ。どこへ行っても競技場跡だの風呂場の跡だのモザイクの床だの、ローマ、ローマ、ローマばっかりじやない。ローマじゃあねえ、家の裏をちょっと掘れば、こんな遺跡がごろごろ出てくるのよ。せっかくチュニジアにやってきて、私は別のものが見たいの。あなたもそう思わない。東京だってそうでしょう。二千年前の遺跡なんてめずらしくもない」
 遺跡なんてめずらしくもない、とくにローマ時代の遺跡なんて、面白くもない。アフリカにまでやってきて、そんなもの見たくもない。まったく同感である。しかし、東京だってそうでしょう、と言われたとたん、ぼくは思わずうろたえて、こんなことを口走ってしまった。
「東京の家の裏庭を掘れば、五千年以上も前の縄文時代の遺跡が出てくるんだ。新石器時代ですよ。そんなのがごろごろですから、ローマ時代の遺跡ぐらいじゃあ驚きませんね」

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 その発言を聞いて、ムスタファ氏は大笑い、精神科医はあきれたような顔をする。
「あなた、それは古すぎるわ。新石器時代と私たちと、いったいどんな関係があると言うの。ひょつとして東京は石器時代の遺跡の上に、直接建てられた都市だとでも言うの。東京に三度も行ったことのある私に、その冗談はないわよ。そんなこと言うから、ムスタファごきげんになっちゃったじゃない。冗談がわからないのは、まるでこの私だけみたいにされちゃった」
 ドウーチョ君は、厳しいお母さんが他人から言い負かされているらしいのを見て、ちょっと楽しそうだった。
 そんなつもりじやなかったのに。イタリア人のインテリの女性を相手に、東京の家の裏庭を掘り返せば、縄文遺跡がぞろぞろ出てくるなんて口走っちゃって。それじゃあまるで、ハイパー資本主義の都である東京は、その足許(あしもと)からすぐに新石器時代につながっているみたいじゃないか。どう考えたって冗談にしか聞こえない。ぼくは笑ってごまかした。
 それから何年もたって、ぼくはそのときのことをすっかり忘れてしまっていた。ところが、記憶の底に沈んでいたはずのそのときの光景が、二年ほど前のある冬の目、忽然(こつぜん)としてぼくの脳裏によみがえったのである。
 9・11のあの出来事があって以来、一神教の本質について考えることが多くなっていた。その宗教は、グローバリズムの見えない背骨をつくっている。一神教という宗教がなければ、おそらく資本主義というシステムは、いまあるような形をとって発達はしなかっただろう。人類はもっと別の形の資本主義を発達させていたはずなのである。ところが、キリスト教という一神教と一体になった資本主義は、大成功をおさめて、いまや地球のすべての場所を、自分のシステムに都合のよいようにつくりかえようとしている。
 しかし、それにはげしく反抗する人々がいるのである。しかもそれは、同じ一神教であるイスラムを深く信仰している人々だ。人類の全体が、好むと好まざるとにかかわらず、一神教のたどる宿命的な展開に巻きこまれてしまっている。ニューヨークで起こったあの出来事は、そのことをあからさまにしてみせた。グローバル資本主義の裏庭を掘ると、そこにはユダヤ教にはじまる一神教の精神的遺跡が、すぐに顔を出すのだ。あの出来事以来、そのことを考えないではいられない。
 さて、その日は久しぶりに暇ができたので、吉祥寺(きちじょうじ)まで長い散歩に出かけてみることにした。地図を見て、住んでいるところから神田川(かんだがわ)にそって歩けば、だいたい一時問半の距離とにらんだ。それだとちょっと長めのオぺラのCDの全曲を通しで聴くのに、ちょうどよい時間だ。一神教に入れ込んでいたぼくは、迷わずシェーンベルクの『モーゼとアロン』をザックに詰め込んで、神田川にそって歩き出した。深刻な音楽。神が重々しく人間に語りかける。人間はその問いかけを受けて、深刻に悩んでいる。
 耳には一神教の神の声。しかし、眼は……眼は別の風景を見ていた。神田川の両脇には、こんもりと広葉樹のしげる林が、そこここに点在していた。たっぷり時間のあるぼくは、その林のなかにゆっくりと入っていく。するとそこにぼくの眼が見たものは、縄文時代の住居の跡をしめす表示板。そこで発掘されたという、ボリューム感覚にあふれた土器の写真。復元された住居のなかでは、五千年前の親子が楽しそうに食事をしている様子を再現したお人形。広葉樹の林のなかに差し込んでくる、柔らかな冬の光。

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 別の音が頭のなかで聞こえてきた。ぼくは知らず知らずのうちにヘッドフォンを外していた。そのときである。数年前の、チュニジアの砂漠のなかで交わされた会話が、忽然として思い出されたのである。「東京の裏庭を掘れば、縄文遺跡がごろごろですよ」。あのときの発言は、いい加減なでまかせではなかったんじゃないか。ぼくたちの心の裏庭を掘ると、そこはすぐに縄文遺跡だというのは、ひょっとすると本当なのかも知れない。
 吉祥寺に着いたぼくは、迷わず自転車を買った。神田川沿いに歩いていると、おや、あそこにも気配がする、ひょっとしたらあのあたりもそうかも、という不思議な予感がしたからだ。裏庭の遺跡を探査するのに、マウンテンバイクはちょっとおおげさだと思ったから、黄色いしゃれたママチヤリにした。その日以来、自転車にのった東京散歩がはじまったのである。ぼくはこの散歩に「アースダイバー式」という名前をつけることにした。その名前の由来を、ちょっと説明しておこう。

アースダイバーの神話
 最初のコンピューターが、一神教の世界でつくられたというのは、けっして偶然ではない。一神教の神様は、この宇宙をプログラマーのようにして創造した。ここに空を、あそこには土地を、そのむこうには海を配置して、そこに魚や鳥や陸上動物たちを適当な比率で生息させていくという、自分の頭の中にあった計画を、実行にうつしたのがこの神様であった。神様でさえこういうコンピューター・プログラマーのイメージを持っているのであるから、その世界を生きてきた人間たちが神様のようになろうとしたときに、最初に思いついたのが、コンピューターを発明することだったのは、ちっとも不思議ではない。
 ところが、アメリカ先住民の戦士やサムライの先祖を生んできた、環太平洋圏を生きてきた人間たちは、世界の創造をそんなふうには考えてこなかった。プログラマーは世界を創造するのに手を汚さない。ところが私たちの世界では、世界を創造した神様も動物も、みんな自分の手を汚し、体中ずぶぬれになって、ようやくこの世界をつくりあげたのだ。頭の中に描いた世界を現実化するのが、一神教のスマートなやり方だとすると、からだごと宇宙の底に潜っていき、そこでつかんだなにかとても大切なものを材料にして、粘土をこねるようにしてこの世界をつくるという、かっこうの悪いやり方を選んだのが、私たちの世界だった。
 アメリカ先住民の「アースダイバー」神話はこう語る。
 はじめ世界には陸地がなかった。地上は一面の水に覆われていたのである。そこで勇敢な動物たちがつぎつぎと、水中に潜って陸地をつくる材料を探してくる困難な任務に挑んだ。ビーバーやカモメが挑戦しては失敗した。こうしてみんなが失敗したあと、最後にカイツブリ(一説にはアビ)が勢いよく水に潜っていった。水はとても深かったので、カイツブリは苦しかった。それでも水かきにこめる力をふりしぼって潜って、ようやく水底にたどり着いた。そこで一握りの泥をつかむと、一自心で浮上した。このとき勇敢なカイツブリが水かきの間にはさんで持ってきた一握りの泥を材料にして、私たちの住む陸地はつくられた。
 頭の中にあったプログラムを実行して世界を創造するのではなく、水中深くにダイビングしてつかんできたちっぽけな泥を材料にして、からだをつかって世界は創造されなければならない。こういう考え方からは、あまりスマートではないけれども、とても心優しい世界がつくられてくる。泥はぐにゅぐにゅしていて、ちっとも形が定まらない。その泥から世界はつくられたのだとすると、人間の心も同じようなつくりをしているはずである。

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無意識都市
 人間の心のおおもとは、泥みたいなものでできているにちがいない。ぐにゅぐにゅと不定形で、スマートな思考をする部分とぼんやりとした夢を見続けている部分とが、ひとつに混ざり合って、人間の心をつくつている。そういう心が集まって社会をつくつているわけだから、それをあんまりハードな計画や単一な原理にしたがわせると、どうしてもそこには歪みが生まれてくる。
 泥みたいな材料でできた心を「無意識」と呼ぶことにすると、この「無意識」を歪めたり、抑圧したりするのではないやり方で、人の生きる社会もつくられていたほうがいいのではないか。日本列島に生きてきた人間たちは、「無意識」を泥のようにしてこねあげるやり方で、自分たちの社会をつくつてきた。なんだか得体のしれないところをもっている、私たちの社会は、まぎれもないアースダイバー型の特徴をもっている。
 どんなコンピューターだって、結局はシリコンがなければつくれないが、このシリコン自体がもともと「泥」からできたものである。どんなスマートな思考も、自分だけでは存在できない。思考が空中に軽やかに飛び立っていけるのも、水中から引き出されてきた泥のような「無意識」の働きが、支えてくれていればこそである。つまり一神教の創造神話は、正直なアースダイバー神話などの前に出されれば、嘘をついていることがはっきり見えるのだ。
 一神教の文明は、人間の心のおおもとをなしている泥のような「無意識」を、抑圧してしまうことによってできてきた。そのおかげで、どんくさい(泥臭い)「無意識」の介入なしに、スマートで合理的な文明を築くことができた。しかしそうやって抑圧してきた「無意識」が、いまさまざまな形のテロによって、コンピューターに管理されたグローバル経済の社会に、挑みかかろうとしている。9・11の出来事があからさまに示してみせたことの本質とは、こういうことなのである。
 そこでぼくは自分もカイツブリにならなければ、と思ったのである。泥を材料にしてつくられてきた「人間の心」という陸地が、水中に沈みかけている。そこでもういちど水の中に潜って、底のほうから一握りの泥をつかんでこなければいけなくなった。その泥を材料にして、もういちど人間の心を泥からこね直すのである。そんな気持ちで東京を見回してみると、驚いたことにそこには、大昔に水中から引き上げられた泥の堆積(たいせき)が、そこここに散らばっているのが見えてくるのだった。
 東京という都市は、「無意識」をこねあげてつくつたこの社会にふさわしいなりたちをしている。目覚めている意識に「無意識」が侵入してくると、人は夢を見る。アースダイバー型の社会では、夢と現実が自由に行き来できるような回路が、いたるところにつくつてあった。時間の系列を無視して、遠い過去と現代が同じ空間にいっしょに放置されている。スマートさの極限をいくような場所のすぐ裏手に、とてつもなく古い時代に心の底から引き上げられた泥の堆積が残してある。この不徹底でぶかっこうなところが、私たちの暮らすこの社会の魅力なのだ。
 表通りにはパリとそっくりなすてきなお店の並ぶ代官山の裏山には、猿楽町(さるがくちょう)の遺跡群が泥の堆積のようにうずくまっている。それと同じょうに、そこに暮らしている人々の心も、さまざまな時間を同時に生きている。誰もが泥でできた心の動きをもてあまし、計画どおりに運ばない出来事に不安をいだいている。古い心のなりたちを映す夢の部分が、プログラマーの神様によってつくられた経済社会の現実の中に、ひそかに忍び込んできて、システムに不調を生み出しているのだ。ぼくたちは、なんてぶかっこうな心を抱えたままなんだろう。しかし、カイツブリが水底から運びあげてきた、泥を材料にしてできた心を持った生き物にとっては、そのぶかっこうさこそが生命であり真実なのである。

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散歩の用具
 さてアースダイバー式の心構えで東京の街を散歩するとき、ぼくはいつも一枚の大きな地図を持ち歩くようにしている。この地図はお店では売っていない。若い友人にコンセプトを伝えて、それをコンピューター上で描いてもらった、お手製の地図である。
 地質学の研究によって、いま東京のある場所が、縄文海進期と呼ばれる時代に、どんな地形をしていたのか、詳しいことまでわかっている。洪積層(こうせきそう)というのは堅い土でできている地層で、これが地表に露出しているところは、縄文時代に海水の浸入が奥まで進んでいたときにも、陸地のままだった。この陸地だったところをえぐつて水が浸入してきたところには、沖積層(ちゆうせきそう)という砂地の多い別の地層がみつかる。この二つの地層の分布をていねいに追っていくと、その時代にどの辺まで海や川が入り込んていたのか、わかってくる。
 このやり方で東京の地図を描き直してみると、そこがまことに複雑な地形をしたフィヨルド状の海岸地形だったことが、よく見えてくる(学術用語としての「フィヨルド」はちょっと違う意味を持っているのだけれど、これからぼくはその言葉を東京の地形をよく示しているものとして、象徴的な意味で使うことにする)。そこに縄文時代から弥生(やよい)時代にかけての、集落の跡をマッヒングしていく。貝塚や土器や石器やらが発見されている場所である。そこに古くからの神社の位置を重ねていく。さらに古墳と寺院のある場所も、重ねて描く。こうして出来上がったアースダイバー用の地図と、現在の市街地図をいっしょにザックに詰め込んで、街を歩くのてある。
 どんなに都市開発が進んでも、ちゃんとした神社やお寺のある場所には、めったなことでは手を加えることができない。そのために、都市空間の中に散在している神社や寺院は、開発や進歩などという時間の浸食を受けにくい、「無の場所」のままとどまっている。猛烈なスピードで変化していく経済の動きに決定づけられている都市空間の中に、時間の作用を受けない小さなスポットが、飛び地のように散在しながら、東京という都市の時間進行に影響を及ぼし続けている。
 そして、そういう時間の進行の異様に遅い「無の場所」のあるところは、きまって縄文地図における、海に突き出た岬ないしは半島の突端部なのである。縄文時代の人たちは、岬のような地形に、強い霊性を感じていた。そのためにそこには墓地をつくったり、石棒などを立てて神様を祀(まつ)る聖地を設けた。
 そういう記憶が失われた後の時代になっても、まったく同じ場所に、神社や寺がつくられたから、埋め立てが進んで、海が深く入り込んでいた入り江がそこにあったことが見えなくなってしまっても、ほぼ縄文地図に記載されている聖地の場所にそって、「無の場所」が並んでいくことになる。つまり、現代の東京は地形の変化の中に霊的な力の働きを敏感に感知していた縄文人の思考から、いまだに直接的な影響を受け続けているのである。
 東京を歩いていて、ふとあたりの様子が変だなと感じたら、この縄文地図を開いてみるのである。するとこれは断言してもいいが、十中八九そのあたりはかつて洪積層と沖積層のはざまにあった地形だということがわかる。そういうところはたいてい、沖積期の台地が海に突き出していた岬で、たくさん古墳がつくられ、古墳のあった場所には後にお寺などが建てられたり、広大な墓地がてきたりしている。あるいは天皇家の所領となっていたそのような土地を戦後になって買い占めた大資本が、都内有数のホテルを建てたりしているが、そのあたりはかならず特有の雰囲気をかもし出している。つまりそういう場所からは、死の香りがただよってくるのだ。
 東京はけっして均質な空間として、できあがってなどはいない。それはじつに複雑な多様体の構造をしているが、その多様体が奇妙なねじれを見せたり、異様なほどの密度の高さをしめしている地点は、不思議なことに判で押したように、縄文地図においても洪積層と沖積層がせめぎあいを見せる、持異な場所であったことがわかる。そこから、東京という都市が轟(とどろ)かせている「大地の歌」が聞こえてくる。ぼくはその「歌」を、文章に変換するだけでいい。 

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3. 目 次

フプロローグ 裏庭の遺跡へ 5

第1章  ウォーミングアップ                 東京鳥瞰 16

第2章  湿った土地と乾いた土地            新宿〜四谷 34

第3章  死と森                    渋谷〜明治神宮 58

第4章  タナトスの塔                   東京タワー 78

         異文/東京タワー 95

第5章  湯と水                      麻布〜赤坂 100

第6章  間奏曲                        坂と崖下 118

  トーキョウダイビング(フォト・ギャラリー)  144

第7章  大学・ファッション・墓地        三田、早稲田、青山 118

第8章  職人の浮島                   銀座〜新橋 166

第9章  モダニズムから超モダニズムヘ 浅草〜上野〜秋葉原 186

第10章  東京低地の神話学                   下町 210

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第11章  森番の天皇                      皇居 230

  エピローグ  見えない東京 241


              参考文献 247

            スポットリスト 252

    写真・大森克己

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4. エピローグ
見えない東京
 学生の頃からくりかえし本棚から取り出してきては読み返している本のなかに、ルイ・アラゴンの『パリの農夫Le Paysan de Paris』がある。アラゴンがシュールレアリスト時代の最後に書いた実験的な小説で、主人公はパリという大都市そのもの、そのパリを田舎から出てきた農夫のように、詩人は目をいっばいに見開いて新鮮な驚きで見つめるのである。すると合理的な意識にみたされて、健康な日々の運行にいそしんでいるとみんなが思い込んでいるその都市が、無意識のしめす奇妙な運動に通底器によってつながれて、魔術的な魅惑にみちた一大異空間に変貌を遂げていく。その様子をアラゴンは、正確で細密な手さばきで描き出してみせたのである。出版されたのは1926年、すぐさまそれを読んだヴァルター・ベンヤミンは、その本に描かれたオぺラ座周辺の商店街の光景に深い印象を受けて、のちにやはりパリそのものを主人公とした、画期的な一連の「パッサージユ論」の文章を書くことになる。
 この『パリの農夫』を読んで以来、東京そのものを主人公として、意識と無意識がループ状につながった詩的な作品をつくりあげることは、ぼくの夢となった。田舎から東京に出てきたぼくには、それを書く資格がじゅうぶんにあった。東京に暮らしはじめて以来、来る日も来る日も、あきることなくぼくはこの都市の街路と言わず路地と言わず、商店街と言わず歓楽街と言わず、表と裏のあらゆる地帯を、深い興味をもって散策しっづけてきたが、そのときぼくの目はいつもアラゴンの言う「農夫=詩人」のように、ま新しい好奇心によって大きく見開かれつづけていたからである。
 ほかのどの都市を散歩するよりも、ぼくには東京の散歩が興味深く感じられたのだが、その理由を理解するまでにはずいぶんと時間がかかった。東京の歴史的な形成を考えてみると、ヨーロッパの都市などとはちがって、都市の中心部でくりひろげられる機能と周辺の農村的機能があいまいにつながりあって、ひとつのなだらかな連続体をなしているのが、東京の特徴になっている。つまりここでは都市と農村の対立軸は決定的なものではなく、それゆえ都市を散策する「農夫=詩人」の思考は、この対立軸をとおして東京の魅惑を感受しているのではなく、もっと別の軸にしたがって、そこになにやら奥の深いポエジーを感じ取ってきた様子なのである。いったいその軸をどこに発見したらよいのか。感覚がとらえているものを理性的な思考に結びつけるのは、そんなにたやすいことではなかった。
 しかし、ある冬の日に、ぼくに啓示がやってきた。プロローグに書かれたあの日、神田川のほとりを『モーゼとアロン』を聴きながら井の頭公園に向かって歩いていたとき、ひょっとしたら東京という都市の魅惑は、ほかの大都市ではすでに完全に見えなくなってしまっている人間の精神層が、なにかの理由で地表近いところにむきだしになっていて、そのためにいわば「野生の思考」と資本主義的な「現代の思考」とがひとつのループ状に結び合って、東京の興味深い景観をつくりなしているのではないか、と思いいたったのである。
 家に戻ったぼくは、さっそく考古学の本を取り出して、縄文海進期と呼ばれる時期に、のちの東京となる地形の奥深くまで浸入していた海がつくり残していった、例の「沖積層」の跡を追跡してみた。するとこれまで知らず知らずに散策しているうちに、「うーん、この町並みはずいぶんとまわりとちがった雰囲気を醸しているなあ。なぜなのかなあ」と感じながら歩いていた界隈の多くが、沖積地の名残として長いこと湿地帯であったことが、一目瞭然なのであった。さらに驚いたことには、縄文時代から古墳時代にかけて埋葬地や聖地がつくられていた多くの場所に、その後も江戸や東京のランドマークとなるべき重要な施設が設けられることになっていて、ここでも「野生の思考」と「現代の思考」のなだらかな連続線を発見するのはたやすいことだった。

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 現代東京の地図の上に、洪積層と沖積層を塗り分けたトレーシングぺーパーの縄文地図をのせてみると、東京の地形が発している複雑な意味作用のよってきたるところが、いよいよあきらかになってきた。しかもごくごく微細な、地形のひだにいたるまで、この対応は正確なのである。まったくこれはコロンブスの卵のような「発見」だった。
 考古学者たちはもうずいぶん以前から、東京の地形が洪積層と沖積層の複雑な交代によって決定されていることを知っていたが、その考古学的情報をベースにして、局所的な地形の変化が発する意味作用の層をつなぎあわせていくとき、ついには大域的な都市空間の構造があらわれてくる。これは「農夫の目」、いやそれさえもつきぬけた縄文的な「狩猟採集民の目」によって見抜かれた、見えない東京の構造である。
 この地図を持って東京を散策すると、見慣れたはずのこの都市の相貌が一変していくように感じられるから不思議だった。どうして渋谷や秋葉原はこんなにラジカルな人間性の変容を許容するような街に成長してしまったのか、猥雑な部分を抱えながら新宿がこれほどのバランス感覚を保ちつづけていられるのはなぜか、銀座と新橋はひとつながりの場所にあるのに、それぞれが受け入れようとしている人々の欲望の性質がこんなにもちがうのはなぜか、などなど、東京に暮らしながら日頃抱きつづけてきた疑問の多くが、手製のこの地図をながめていると、するすると氷解していくように感じられるのだから、ますます不思議な思いがしたものである。「農夫である詩人」アラゴンの見出したパリとちがって、東京で思考と感覚の「井戸掘り」をこころみると、数メートルも掘りすすめるだけで、パイプの口からはみずみずしい太古の水がこんこんと涌きだしてくる。資本主義経済のおこなわれているまさにその場所で、ぼくたちの思考と感覚はむきだしになった「野生の思考」の息吹に触れている。フェリーニはローマの「井戸掘り」をこころみて(『フェリーニのローマ』という映画のことを思い出していただきたい)、地下に眠っていたローマ時代のカタコンベ遺跡を掘り当てた。ところがアースダイバーのこころみる「井戸掘り」は、東京タワーや高層ホテル群の立ち並ぶ芝などで、やすやすと縄文人の設置したドリームタイム空間への出入り口を掘り当ててしまうのである。
 これが東京という都市の本質なのではないだろうか。東京ではなにもかもが過剰していて、ホピ・インディアンの預言者が見たら、それこそなにもかもが過剰してバランスを失った世界である「コヤニスカツツィ」を代表するまがまがしい都市である、と厳しい判定を下すかも知れない。しかし、縄文地図を片手におこなうぼくたちの新しい東京散策が立証しているように、東京にはいたるところに、過剰した物質文明の作物を溶解・解体する能力を失っていない無の場所が残されていて、ここがたんなるコヤニスカツツィとなっていくのを防いでいる。
 こうした事実をまっすぐに見つめようではないか。東京をつくりあげている精神の地層を横断していく、アースダイバー的散策を身につけていけば、直観はいつか揺るがぬ確信となって、この都市とそこに生きる人間の心を、根底からつくり変えていくことができるかも知れない。アラゴンが書いている。
「ぼくはいまこそ、夢想が目に見える現実と混ざっている地点にいるのだ。もはやここには、ぼくのための場所しかない。理性がぼくの官能の独裁を告発しても無駄だし、誤謬(ごびゅう)を警戒させようとしても無駄である。誤謬こそ女王なのだ。おはいりくだされ、女王さま、これがぼくのからだ、これがあなたの王座です。ぼくは、ぼくの熱狂を愛らしい馬のように愛撫する。人間の誤れる二重性よ、きみの虚妄についてしばらく夢想させてくれ」(『パリの農夫』佐藤朔訳、思潮社)。
 しばしば間違って人々から「誤謬」と呼ばれる無意識の思考こそ、この本を書いているあいだじゅうも、ぼくがその方の前ではうやうやしくひざまずく、愛する女王であったのだ。

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              *                *                  *
 ここに一冊の本となった文章は、はじめ『週刊現代』に2004年1月から2005年2月にわたって連載されたものである。政治家のスキャンダル記事や女性の裸の写真などが満載された成人男性向け雑誌に、およそ不似合いなこのような文章を掲載しようという突飛な思いつきが、当時の編集長であった鈴木章一さんの頭にひらめいた。その不似合いさはついに最後まで解消されることなく、鈴木さんは雑誌を去り、ぼくの孤独なたたかいだけが辛抱強く続けられた。しかし、こんなことでもなければ、ぼくは自分の抱いてきた夢の東京論を書いたりはしなかったろう。鈴木さんのある日の思いつきに、深く感謝しなければならない。
 写真家の大森克己さんと一緒の仕事をするのは、これが二度目だが、大森さんの撮る写真は自分の抱く「写真のイデア」にもっとも近いものを感じてきたのである。大森さんの写真において写真を撮るという行為そのものに深く浸入している「けがれ」や「ひがひがしさ」から、かぎりなく遠く離れたところにいる。そこで、あっさりと現実をとらえるのだが、その「あっさり」が切り取った裸の現実のもつ存在感に、しばしばぼくは圧倒されてしまう。大森さんといっしょに東京を歩くのは、だからぼくにとってとても刺激的な体験だった。助手の大城亘さんもごくろうさまでした。
 現代地図に縄文海進期の地形図を重ねてトレースするという、この仕事にとって決定的な重要性をもつ作業をおこなってくれたのは、若い友人の深澤晃平さんである。深澤さんは馬淵千夏さんといっしょに、膨大な数にのぼる資料を集めて、ぼくが読みやすいかたちに整理までしてくれた。彼らの協力がなければ、この仕事はできなかっただろう。また、素晴らしい装幀を仕上げてくださったのは、菊地信義さんである。
『週刊現代』連載時の最初の担当者だった花房麗子さんは、日本史になかなか造詣の深い方で、いっしょの取材中にかわした会話からいろいろなヒントをいただいた。二番目の担当者は山中武史さん、この方は歓楽街の風俗産業などについてぼくが書くたびに、いちいち実体験的な感想を事細かに語ってくれて、それがつぎの記事に役立つことが多かった。そして、こんなきれいな単行本にまとめる作業をおこなってくれたのは小沢一郎さん、園部雅一さんである。みなさんどうもありがとうございました。

5. 著者紹介
中沢新一(なかざわしんいち)

1950年生まれ。思想家・哲学者。
著書に、『カイエ・ソバージュ全5巻』(講談社選書メチエ、『対称性人類学』で小林秀雄賞)『精霊の王』(講談社)『緑の資本論』『僕の叔父さん 網野善彦』(集英社)『チベットのモーツァルト』(講談社学術文庫、サントリー学芸賞)『森のバロック』(せりか書房、読売文学賞)『哲学の東北』(青土社、斎藤緑雨賞)『フィロソフィア・ヤポニカ』(集英社、伊藤整文学賞)など多数。

大森克己(おおもりかつみ)

1963年生まれ。1994年、写真新世紀の優秀賞受賞。
おもな写真集に『Very Special Love』『サルサ・ガムテープ』(リトルモア)、『2760017』(ピエ・ブックス)などがある。

6. この本を読んで
 住み慣れた東京を歩くとき、江戸時代にはどんなだったかと古地図を見ることはありますが、縄文時代の地図を作り、この地図を片手に歩いた経験はありません。著者は民族学や宗教にも造詣が深いので、ユニークな目で、各地を歩いて感じたことをまとめています。
 ウオーキングは大好きなので、新しい視点で歩いてみたいと思っています。著者の他の本も読んでみるつもりです(2006.3.31に「アースダイバーのスポットを訪ねて」を設けました)。

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7. 書 評(週間ブックレビュー 2005.8.21放送)
地図を片手に自転車に乗って東京を巡り、「歴史の連続性を再発見」する一冊です。
縄文時代、大部分が海に覆われていた東京。
当時の地図と現代の地図を重ね合わせ著者は考えます。

「このやり方で東京の地図を書き直してみると、そこがまことに複雑な地形をしたフィヨルド状の海岸地形だったことが、よく見えてくる。そこに縄文時代から弥生時代にかけての、集落の跡をマッピングしていく。」(本文より)

東京タワー、歌舞伎町、秋葉原、銀座。 見慣れた東京の景色と地下数メートルにある5000年前の別世界。 著者の想像力と思考力によって、今まで意識しなかった東京の姿が浮かび上がります。
島田雅彦 (作家)

8. ベストセラーの裏側
中沢新一「アースダイバー」 東京の原点、縄文期に探る 
[概要]
 東京を歩いていて、ふとあたりの様子が変だなと感じたら、この縄文地図を開いてみるのである。するとこれは断言してもいいが、十中八九そのあたりはかつて洪積層と沖積層のはざまにあった地形だということがわかる。
[本文]
 縄文期の地形を示す地図を手に、宗教学者が東京を"散歩"した中沢新一著『アースダイバー』(講談社、18百円)。五千−六千年前の古層の記憶が、現在の東京に及ぽす影響を探った本である。
 東京の原点を縄文期までさかのぽって考えた本は珍しく、多くの読者の関心を集めている。5月下旬の刊行以来5刷、発行部数は2万3千部に達している。
 「縄文地図」は、地質学の研究成果に基づき、硬い土でできている洪積層と砂地の多い沖積層を色分けした。洪積層は縄文期も陸地であったのに対し、沖積層は海や川だった。それによると、縄文期の東京は複雑な地形をしたフィヨルドのような海岸地形だった。
 そこに縄文期から弥生期にかけての集落の跡、古くからある神社や寺院を重ねてみると、興味深い事実が浮かび上がる。「縄文地図」において神社や寺院は、海に突き出た岬か、半島の突端部にあったのだ。
 著者は「縄文地図」を持って様々な場所を散策、東京の新しい顔を見いだす。例えば青山墓地のある半島と並び、最も霊的なエネルギーが強い岬状の台地にあるという東京タワー。そこにたどりつくには墓地のそばを通り抜けなければならず、水子地蔵の行列や置き去りにされたカラフト犬の鎮魂碑もある。著者はこのテレビ塔が日本人の宗教的思考にとりつかれていると指摘する。
「岩肌」というざらつく紙を使った菊地信義氏の装丁は、読者に地層をめくっていく印象を与えることを狙った。「巻末に『縄文地図』をつけていることもあって、最近の散歩ブームが人気の背景にある。さらに精神的なものにひかれる人々の共感も集めているようだ」と担当編集者の園部雅一氏は話している。
(出典 日本経済新聞 2005.9.1 夕刊)

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[Last updated 3/31/2006]