軽井沢逍遥


     目 次

1. 概 要
2. アクセス方法
3. 旧軽井沢を中心に
4. その他
5. 今後の計画

新軽井沢の矢ケ崎教会

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1. 概 要
 この数年間、毎夏のように、軽井沢に行っています。北軽井沢の近くにロッジがあるのと、親友が旧軽井沢に別荘を借りているためです。いろいろな場所(自然、美術館、遊歩道、商店街[軽井沢銀座]など)があり、繰り返し訪れても、新しい発見があることも理由の一つです。高速道路ができ、新幹線が通るようになって、アクセスが便利になり、東京からも気軽に行けるようになりました。ただ、新幹線でも片道約150kmあり、箱根と違って1泊は必要です。
 軽井沢の全体像が判るように地図(概念図)やアクセス方法を説明し、続いてまず旧軽井沢付近を採り上げます。空色の四角(角は丸い)は鉄道の駅を、緑色の四角は地区を、茶色の三角は山を表します。地図の北西には浅間山があり、すべての地区では高台に登れば浅間山が見えます。
 下部には駅が横に三つ並んでいます。新幹線が通るようになったため、軽井沢だけがJRで、軽井沢から中軽井沢、信濃追分には「しなの鉄道」が通っています。長野新幹線ができた折(平成8年)、在来線の軽井沢−小諸−上田−篠ノ井は第三セクターのしなの鉄道に移管されたようです。
 この概念図には道路は描いてありません。軽井沢駅から北に向かって道路が伸びており、駅の辺りが新軽井沢、ロータリーの先辺りが旧軽井沢です。
 しなの鉄道中軽井沢駅の北側には千が滝、星野温泉等が広がっています。その辺りから北の方に浅間山の山裾を車で登って行くと、峰の茶屋のある峠に出ます。そこから左の鬼押し出しハイウエイの方に行くと、鬼押し出しを経て万座鹿沢口(JR吾妻線)に出ます。右の一般道を進むと、北軽井沢に出ます。峰の茶屋から東に伸びている有料道路に入ると、白糸の滝を経て旧軽井沢に出ることができます。
 しなの鉄道の中軽井沢の次の信濃追分駅の北側には信濃追分があります。
 元に戻って軽井沢駅の南側は、南軽井沢で多くのゴルフ場がある地区です。

2. アクセス方法
 乗用車と列車に大別され、さらに軽井沢に出るルートと万座鹿沢口(地名としては三原)があります。場所によっては東京駅八重洲口などから出る長距離バスも利用できます。現地では路線バスも利用できます。
 2.1 乗用車−関越自動車道
  関越自動車道を北上し、藤岡JCT(ジャンクション)で上信越自動車道に入り、碓氷軽井沢IC(インターチェンジ)から県道に下り、和美峠を越えて南軽井沢へ到るルートが一般的です。碓氷軽井沢ICの一つ東京寄りの松井田妙義ICから、碓氷バイパス経由で南軽井沢へ入るルートもあります。
  南軽井沢から通称プリンス通りと呼ばれる県道(下仁田軽井沢線)を北上し、新幹線・しなの鉄道立体交差をくぐって国道18号に出て、右折すれば軽井沢駅前(旧軽井沢側)に出、逆に左折すれば中軽井沢駅に出ます。碓氷軽井沢ICから軽井沢駅前まで約9km、中軽井沢駅前までは約13kmです。
  北軽井沢に行くには、「概要」で触れたように中軽井沢から浅間山麓経由で行くか、藤岡JCTから関越道路の高崎ICまたは渋川IC経由で、前者の場合は倉淵村を通って直接北軽井沢に出るか、後者の場合は中之条、長野原を通り長野原の先から北軽井沢に出ます。
 2.2 列車
  東京・上野・大宮駅から長野新幹線あさま号で、軽井沢へ入るのが最も一般的です。新幹線あさま号は1日概ね22往復運転されます。30分〜1時間ごとに出ています。季節によっては臨時列車も増発されます。始発駅はすべて東京駅ですが、軽井沢駅に停車しない列車もあるので注意が必要です。
 JRの万座鹿沢口へは上野から渋川経由で、1日数本の特急電車が出ています。
 2.3 その他
 長距離バスは草津などへ行くもので、軽井沢、万座鹿沢口、草津などの間には路線バスが走っています。
 軽井沢の中では、JR軽井沢駅を中心に路線バスがありますが、本数が少ないので、あらかじめ確認しておくことが大切です。

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4. その他
  4.1 軽井沢の歴史
 ◆アレキサンダー・クロフト・ショー
 中山道の宿場町として栄えた軽井沢は、江戸幕府の崩壊後、交通の発達などにより宿場町としての使命を絶たれ、衰退の一途をたどつていきました。そんな明治19年、布教の途中、軽井沢へ立ち寄ったのが英国人宣教師A.C.ショーです。彼は、軽井沢があまりにも故国のスコットランドに似ていることに感動し、明治21年に大塚山に山荘を構えました。これが、軽井沢の別荘第一号です。これを記念して、ショーが宣教師をしていたイギリス聖公会には「ショー氏記念之碑」が建っています。また昭和61年、保健休養地百年記念としてショーの別荘が「ショーハウス」として復元され、同60年に建てられたショー氏胸像とともに新しい名所とりました。
(出典 保健休養地軽井沢ガイドブック 「軽井沢をめぐる」 軽井沢観光協会発行)
  4.2 軽井沢高原文庫
  南軽井沢塩沢地区に軽井沢高原文庫があります。軽井沢駅から、プリンス通りを南下し、碓井峠から来た18号線にぶつかったら右折し、中軽井沢を目指します。しばらく走ると塩沢湖の信号があり、左折すると左側に軽井沢高原文庫が現れます。タリアセンと称する公園(塩沢湖のまわりにできた公園で、いくつかの美術館もあります)の一角になります。敷地内には堀辰雄、立原道造、野上弥生子などの別荘が移築されています。
 文学者に関する資料の他、昨年(2005年)は北杜夫の、今年(2006年)は遠藤周作の特別展「復活した遠藤周作と孤狸庵展」をやっていました。
 なお軽井沢美術館・観光循環バスもあるので、時刻表などは軽井沢観光協会に問い合わせて下さい。
  4.3 ヴィラ・デステ(葡萄畑とワイナリー)
  エッセイストの玉村豊男さんがオーナーをしているワイナリーです。東御市和(とうみしかのう)にありますが、車だと約1時間で行かれます。軽井沢駅前から国道18号(北国街道)を西進し、菅平入口交差点を右折し県道4号線(菅平道路)に入ります。田沢から右折しワイナリーに向かいますが、曲がり角には道路標識が立っているのでそれに従って運転して下さい。なおJR上田駅からタクシーで20分位で、しなの鉄道「田中駅」または「大屋駅」下車だとタクシーで10分位です。
す。
  葡萄畑は南斜面の高台にあるので、眼下に上田市が広がり、その先に北アルプスの山々が望めます。季節には葡萄や新鮮な野菜を購入でき、ワイナリーを見学し、カフェでお茶を飲んだり、食事したりすることができます。
  4.4 佐久総合病院
 若月俊一さんが院長をしておられ、友人の息子さんが勤務しているこの病院を訪ねました。軽井沢から国道18号線または「しなの線(長野新幹線ができ、軽井沢−小諸−上田−篠ノ井は第三セクターのしなの鉄道に移管されました)」で乗換え小海線に乗ると佐久平(さくだいら 新幹線、上信越自動車道もここを通る)を通り、臼田(うすだ)に出ます。佐久総合病院はここにあります。病院の東側には千曲川が流れています。
所在地 〒384-0393 長野県佐久市臼田197番地
 ロビーは順番を待つ患者さんであふれ、河原の駐車場もほぼ満杯でした。中庭には若月俊一さんの銅像が建っており、友人の息子さんの名札も小児科医のほぼ真ん中にありました。
 若月俊一さんと南木佳士さんの対談や二冊の新書も参考にして下さい。

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 4.5 無言館
  長野県上田市に塩田平という丘陵地があり、そこに美術館の無言館が建っています。ここには太平洋戦争で亡くなった30余名の画学生の作品(主として油絵)、遺品300点余りが展示されています。次項の信濃デッサン館館主の窪島誠一郎さんが、画家の野見山暁治さんと協力し、2年間かかって収集し、平成9年5月に信濃デッサン館の別館として開館しました。
 このような美術館は、多分世界的にも珍しく、専門の勉強をしながら、好きな絵を描くことができなかった方々や家族の想いを偲ぶことも大切だと思います。
 住所 長野県上田市大字古安曽山王山3462 電話 0268-37-1650
 4.6 信濃デッサン館
  前項の無言館のすぐ近くに建っています。もともと窪島誠一郎さんが蒐集した、村山槐多(むらやまかいた)の素描コレクションをもとに作り上げた美術館です。ほかにも関根正二、戸張孤雁、靉光、松本竣介、吉岡憲、広幡憲、古茂田守介、野田英夫等、いづれも「夭折の画家」とよばれる孤高の道を歩んだ薄命の画家たちの作品があり、小さいながら貴重な美術館だと思います。
 住所 長野県上田市東前山300 電話 0268-38-6599
 4.7 アトリエ・ド・フロマージ(チーズとレストラン)
  東御(とうみ)市に本店とイタリア料理店があります。本店ではチーズの販売と軽食を摂ることができます。
 本店(軽食もできます) 住所 長野県東御市新張504-6 電話 0268-64-2767
 イタリア料理店(リストランテフォルマッジオ、本店に隣接しています) 住所 長野県東御市新張504-6 電話 0268-64-2767
  いずれも軽井沢と上田を結ぶ浅間サンラインの別府(小諸の上田寄り)から、湯ノ丸高原方向に5分位走行したところにあります。
  軽井沢には売店・スイーツ、軽食(ピッツエリア・カフェ)があります。
 売店・スイーツ 住所 長野県佐久郡軽井沢町東18-9 電話 0267-42-7394 軽井沢駅前の通りを北上し、ロータリーの少し手前、ショー通りへ曲がる角にあります。チーズの売店で、喫茶もできます。
 軽食(ピッツエリア・カフェ) 住所 長野県佐久郡軽井沢町軽井沢東22-1 電話 0267-42-0601 軽井沢駅前の通りを北上し、最初の信号のある東雲(しののめ)の手前左側にあります。
 4.8 ラ・プリフェレータ(イタリア料理)
 住所 長野県佐久市岩村田2447-8 電話 0267-67-6436 ホームページ http://www.preferita.net
 長野新幹線佐久平駅から中込方面(R141)に約2kmの処にあります。湯川にかかる鳴沢橋のたもとです。4.4項の佐久総合病院からも近くです。前菜、パスタ(スパケッティやピザ)、サラダなどおいしい料理が、良心的な価格で食べられます。
 4.9 浅間縄文ミュージアム(御代田)
 御代田には浅間縄文ミュージアムがあります。軽井沢駅から、しなの鉄道線に乗って小諸の方に向かうと、中軽井沢、信濃追分と続き、その次が御代田です。国道16号はロマンチック街道とも呼ばれますが、御代田の少し手前に三谷東という信号があり、ここを左折し御代田駅に向かって走ると町役場入り口の信号があり、そこの右側の町立図書館などの建物の中にあります。
 展示としては「浅間山麓の縄文文化」と「浅間山の自然史」が常設展示で、2012年9月29日〜12月2日は「浅間火山展」が企画展です。「武満徹の世界」は、作曲家の武満さんが浅間山麓、御代田に居をかまえ、多くの作品を残されました。そのご縁から2003年4月15日〜9月7日まで行われた企画展の情報がホームページに載っており、「武満徹 御代田の森のなかで」という本のことも載っています。

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 4.10 ジオパーク(下仁田)
 月に1回行われているV Age Clubの「新書を読む会」で参考書1で示した尾池和夫さんの本を読むことになりました。この著者は京大の総長までなさった方ですが、地震や噴火など地球科学の説明をしながら芭蕉の「おくのほそ道」にも触れるなどユニークな本です。氏は日本ジオパーク委員会委員長も務められていますが、たまたま軽井沢に近い下仁田にジオパークがあることを知り、この夏(2012.9.5)に寄ってみました。
 軽井沢から上信越自動車高速道路に碓井軽井沢IC(インターチェンジ)で乗り、高崎方面に向かうと2つめ(妙義松井田ICの次)が下仁田ICです。
 ある地域がジオパークとなるための条件は次の通りです。
 まず地域の人たちが、地球科学の研究者の指導を得て、地形や地質や地域の歴史や生態を理解し、それらを含む大地の価値を知って、しっかりと保全していること。
 次に、子どもたち、とくに地域の子どもたちや、よそから来た観光客に、その大地の科学的な価値を、一連の物語として伝えることができること。
 三つ目には、その地域の大地の仕組みや恩恵を愉しむことができるように、ジオツーリズムを推進していて、地域の持続的な発展にも寄与すること。
 日本のジオパークは2012年7月現在20ヶ所あり、そのうち5ヶ所が世界ジオパークネットワークに登録されています。
 下仁田はもともとねぎとコンニャクで有名な町です。下仁田町自然史館は旧小学校だった建物を利用しています。群馬県甘楽郡下仁田町大字青倉158-1にあります。ジオパーク下仁田の拠点となる施設で、下仁田町とその周辺で採取した岩石や化石を展示しています。野外だけではわからない地質の魅力についても、この施設で知ることができます。
 [付加体とは]
 長い時間をかけて海の底を移動してきた海洋地殻上には、チャート(海底堆積物)、石灰岩(サンゴ礁)、水中溶岩などがたくさん堆積しており、海洋地殻が沈み込む際これらが大陸地殻に押しつけられて、張り付くことがあります。このようにできたものを「付加体」といいます。
見どころ1 海底から陸へ「付加体」の形成(古生代のベルム紀から中生代の三畳紀・ジュラ紀にかけて)
 下仁田の南部の山々は大昔恐竜が繁栄していたころ、遠い海の底で堆積し海洋地殻にのって陸側に移動し、海溝付近で陸側にはぎとられ、その後隆起した秩父帯の山々です。小沢岳や奥栗山渓谷ではこれらの海で堆積したチャートや石灰岩が見られます。
見どころ2 移動する大地「跡倉(あとくら)クリッペ」(中生代の白亜紀から新生代の中新生にかけて)
 下仁田町の中心部から南の山々は、根無し山(クリッペ)です。根無し山の基盤は青岩公園に広がる青い岩石で、その上を覆う地層は別の場所から移動してきました。この「跡倉クリッペ」は非常に珍しい地質現象が観察できるとして日本の地質百選にも選ばれました。
見どころ3 日本列島の背骨「中央構造線」と多彩な岩石(中生代の白亜紀から新生代の中新生にかけて)
 下仁田の川井の断層露頭は中央構造線と呼ばれる「日本列島の背骨」です。西は九州から続いています。また、中央構造線の北側では、わずか数キロ四方のエリアの中に8種類もの多彩な岩石が密集しています。
見どころ4 火山活動「本宿二重陥没」(新生代の中新生にかけて)
 下仁田町の西方、本宿を中心とした直径10キロの地区では950万年前と700万年前の2度にわたって大陥没し、陥没内部では大規模な火山活動がありました。
見どころ5 鏑(かぶら) 川が造った段丘と古代人の住処(新生代第4紀の更新生)
 下仁田を流れる鏑川の流域には、数10万年かけて大地の隆起と鏑川が削ったことによってできた丘陵地形が見られます。馬山エリアの河床より少し高い平坦面には旧石器時代、縄文時代に人々が住んだ跡があります。
[参考書]
1. 尾池和夫著 「四季の地球科学---日本列島の時空を歩く」 岩波新書 2012.7.20第1刷発行
2. 「下仁田ジオパーク基本構想」 下仁田町 ジオパーク下仁田協議会

5. 今後の計画
  年に一度位しか訪れないので時間はかかると思いますが、南軽井沢など、他の地区も採り上げて行く予定です。

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[Last Updated 11/30/2012]