富本 憲吉



色絵更紗模様飾皿
(富本憲吉記念館蔵 1941年)
「人間国宝の日常のうつわ もう一つの富本憲吉」展 2005年 カタログより

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4. 富本憲吉
 富本憲吉(1886〜1963)は、奈良・斑鳩法隆寺に近い、安堵村の桃山時代から続く旧家に生まれました。幼少の頃から絵画と数学が得意で、長じて東京美術学校で建築図案を学びました。陶芸を志すきっかけは、イギリスに留学中、ウイリアム・モリスの工芸・デザイン思想に関心を持ったことにあります。過去の引用とアレンジで行われていたそれまでの陶磁器制作に、作家自身の個性的な形・模様を打ち出すことを主張し、近代的な陶芸を目指した富本は、色絵金銀彩、白磁、染付などの多彩な技法を駆使し、理知的で洗練された形・模様を持つ格調の高い傑作を数多く作り出していきました。1955年、第1回の重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定され、また陶芸界では板谷波山に続き二人目となる文化勲章を受章しています。
 その富本はまた、高価な鑑賞のための陶器ではなく、「出来る限り安価な何人の手にも日常の生活に使用できる工芸品」、「日常のうつわ」の制作にも強い関心を寄せる陶芸家でもありました。こうして信楽(滋賀)・波佐見(長崎)・益子(栃木)・瀬戸(愛知)・九谷(石川)・清水(京都)などの窯業地に赴き、その地でつくられた既成の素地に独自の模様を措いて、積極的に日常のうつわの制作に取り組んだのです。色絵金銀彩の大作の作家とは全くイメージを異にする富本の別の側面が見えて大変興味深いものです。
 今回の展覧会は、その別の「もう一つの」側面である、富本が「安価な陶器」と呼んだ、量産を目的につくられた「日常のうつわ」に焦点をあて、100点余の作品を紹介します。またあわせて色絵金銀彩、自磁、染付の代表作を比較展示するとともに、当時の写真や関連資料も添えて、富本の想いを探ります。
(出典 展覧会のカタログ 東京国立近代美術館長 辻村哲夫「あいさつ」より)

[新聞記事]
華麗な作陶支えた量産思想 富本憲吉展
 東京・北の丸公園の東京国立近代美術館工芸館で、「人間国宝の日常のうつわ−もう一つの富本憲吉」展が開かれている(27日まで)。独創を貫き、豊かで華麗な陶芸の世界を開いた先駆者の、知られざる新たな素顔がそこにある。
 「安く造って多くの人に使ってもらうのが工芸本来の姿であり 私が作陶するとき 何時もその心持を忘れた事がない」と宮本憲吉(1886−1963年)は晩年に述懐する。模様を「自然から採る」ことに徹し、「模様より模様を造るべからず」を終生の信念に、既成のものからの模倣を許さなかった富本。個人作家の草分けとして理知的で洗練され、格調高い陶磁器を生んだこの作家を思う時、多くの人に作品を行き渡らせたいという「量産の思想」は、やや意外な気がする。
 ところが、「日常のうつわ」をつくること、量産システムを確立し「安価な陶器」を広く世に出すことが富本の隠れた宿願だった。そんなうつわの行方を追い、一堂に集めたのが本展である。
 その初志を貫くために富本は、信楽、益子、瀬戸、九谷、清水(きよみず)などの名高い窯業地で、ご当地の素地に独自の模様を描いて、実用陶磁器づくりに取り組んだ。一介の渡り職人のように窯揚に座り、各産地独特の陶技を吸収した。
 展示は、住まいと工房を構えた奈良、東京、京都の三つの拠点の作品を時代とともに並べたほか、色絵金銀彩や白磁大壷(はくじだいこ)などの代表作も出陳、約百点で名匠の実像に迫っている。三千枚の素地に模様を描いたり、注文により一万五千点の帯留めの絵付けをしたりと、ダンディーな風貌(ふうぼう)・姿勢に似合わず、猛烈なスタミナと鍛えの入った腕力の持ち主だったことをも、うかがい知ることができる。 (編集委員 竹田博志)
(出典 日経新聞 2005.2.2)

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[Last Updated 3/1/ 2005]