台湾からカンボジアへ

      目 次

1. 概 要
2. 第1日 成田空港−台北
3. 第2日 台北−プノンペン
4. 第3日 プノンペン市内観光
5. 第4日 プノンペン−シムリアップ
       (アンコールワット観光)
6. 第5日 アンコールトム等の観光
7. 第6日 シムリアップ−プノンペン
       −台北
8. 第7日 講演会と台北市内観光
9. 第8日 台北−成田空港
  


今回の目玉はシムリアップの郊外に広が
るアンコールワットなどの遺跡巡りです。

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1. 概要
 0) 名称      「邱永漢東南アジア投資考察団」
 1) 場所(目的地) 台湾、カンボジア
 2) 期間      2005.2.21〜28
 3) 参加者     22名
 4) 交通機関    航空機、観光バス
 5) 訪問地(カンボジアの地図)
  (1) 台北
  (2) プノンペン
  (3) シムリアップ
  (4) 台北
 

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 6) 特徴
  (1) 邱永漢さんの主催する旅行に初めて参加しました。
  (2) ご夫婦が二組、親(母)子(息子)が一組、ほかに女性が一人、あとは男性でした。
  (3) 泊まったホテルは、最高クラス、所在地は便利な場所でした。
  (3) 食事は昼夜外部のレストランで中華・ベトナム料理などでした。
 7) 印象に残ったこと
  (1) 台北の講演会は勉強になりました。
  (2) アンコールワットなどは素晴らしい遺跡で、一見の価値があります。
  (3) プノンペンでは、日本の商工会議所の方々から現状の説明がありました。投資の対象としてはまだまだのようです。
  (4) 台北は滞在時間が短く、表面に触れただけでした。
 8) 旅行の概要
 油絵のサークル・トライと、地元のV Ageクラブ(主に陶芸)の仲間である田中さんから誘いを受け、行ってみることにしました。邱永漢さんは直木賞を受賞した作家で、かつ事業家です。株式投資に関する本など著作数は4百冊を超えるそうです。中国本土や台湾などで不動産をお持ちです。中国旅行は数十回、東南アジアは2年前にベトナムへ行ったそうで、今回が2回目です。参加メンバーは普段から先生に教えを受けている人が大半です。台北は雨で日本の気温とほぼ同じでしたが、カンボジアは20〜30度で、午前の観光後、日中はホテルで休み、夕方涼しくなるのを待ってまた出掛けるほどでした。
 ツアーの名前は「第二回 邱永漢東南アジア投資考察団」で、期間は2月21日(月)〜28日(月)(7泊8日)で、往復とも台北に寄りました。
 コースは具体的には次の通りです。台北 (1泊)→プノンペン (2泊)→シェムリアップ(2泊)→台北 (2泊)

2. 第1日 成田空港−台北中正国際空港−台北
 成田空港に着く前に、京成電鉄第二空港駅で田中さんに会いました。邱永漢事務所の徐さんに到着を告げてから、それぞれ宅配会社にスーツケースを受取に行きました。出国手続きの後、別室で注意事項の説明等がありました。航空会社は聞き慣れないエバー航空(長栄航空)で、中国との関係から日航などは乗り入れをしていないのだと思います。
 台北には約4時間で着きました。時差は1時間です。少し雨が降っているのと、東京とほとんどど変わらない寒さでした。ホテル(ホテル・ロイヤル・タイペイ 日航インターナショナルの経営)は町の真ん中の便利なところにありました。部屋割り、明日の予定の伝達のあと各自の部屋に落ち着きました。部屋は田中さんと相部屋です。
 ホテルの近くの中華料理店で夕食を摂りました。ここから邱永漢さんも合流しました。

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3. 第2日 台北−プノンペン
 朝食後、観光バスで台北中正国際空港に着き、昨日と同じエバー航空でプノンペンのポチェントン国際空港まで飛びました。飛行時間は約3時間半で、時差は更に1時間です。
 プノンペンのホテルはインター・コンチネンタル・ホテルです。ホテルはリージェンシー広場にあり、マオ・ツォートン通りに面しています。ここに二泊しました。
 昼食の後、ポルポト派の収容所跡(ツールスレン・ミュージアム)に行きました。元高校だった建物で、独房・拷問道具などが残っています。その後、セントラル・マーケットに行きました。
 途中、シャヌーク通りとノロドム通りが交わるロータリーにある独立記念塔の前を通り、バスを降りて記念写真を撮りました。
[トゥール・スレン博物館]
 1975年4月から1979年1月まで、 3年8ヵ月に及んだポル・ポト政権下では、全土で無謀な社会主義改革が強行されました。それを妨害する「反革命分子(スパイ)」とみなされた人々は家族とともに次々に捕えられ、激しい拷問を加えられて尋問されたあと、処刑されていきました。
 その"粛清"の舞台のひとつとなったのが当時「S21(Security Office 21)」と呼ばれたトゥール・スレン刑務所で、現在はポル・ポト派の残虐行為を後世に伝える博物館として公開されています。
 元高校の校舎を転用した4棟の建物のうち、向かって一番左のA棟は尋問室で、鉄ベッドが生々しくポツンと残されています。続くB棟には収容された人々のおびただしい数の写真が部屋の壁一面に貼られています。C棟の1階と2階は狭い独房、 3階は雑居房跡、そしてD棟には残酷な拷問の様子を描いた絵や器具などが展示されています。
 ここには記録にあるだけで約2万人が収容されたましたが、そのうち生還できたのはわずかに6人で、虐殺されたのは農民、技術者、僧侶、教師、学生などあらゆる職業の罪なき人々です。また、その多くは高級幹部を含む、党の忠実なメンバー達だったといわれています。 D棟の3階では10:00、15:00から体験談を中心とした約1時間のドキュメント映画も上映されています。
[セントラル・マーケット]
 中央にドーム型の建物があり、そこから四方に棟を延ばしたユニークな建物です。中央のドーム内には宝石や貴金属の店がひしめき合い、まわりには衣料、雑貨から食料など何でもあります。戦後の闇市のような感じです。東側には土産物屋もあり、Tシャツ、民芸品、クロマー(スカーフのようなもの)などを売っています。
[独立記念塔]
 1953年11月9日に達成されたフランスからの完全独立を記念して、1958年に建造された塔です。祖国のために戦い亡くなった兵士達を祀る慰霊塔でもあり、毎年11月9日の独立記念日にはここで式典が執り行われます。

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4. 第3日 プノンペン市内観光
 今回の旅行は名前からも推測できるように、邱永漢先生が新たな投資先として、カンボジアが適当かを調査することです。午前中はプノンペンにある日本商工会議所の方々からカンボジアのビジネスの状況を聞きました。三人の方がホテルに来て下さり、カンボジア経済の現状や、日本との事業の可能性について話して下さいました。現状として縫製以外には産業が無く、カンボジアと日本の政府と打ち合わせながら、ODAの対象となる事業を決め、予算を付けて貰うことが主な業務のようでした。
 午後は国立博物館を訪ねました。その後、王宮を訪ねる予定でしたが、お釈迦様の誕生日とあって、休みでした。そこで東側のトンレサップ川の岸に出て、小さな寺院を訪ねました。プノンペンの東側を流れるバサック川は王宮の前あたりでトレンサップ川とメコン川に分かれます。小さな寺院ではお釈迦様に花を捧げて祈る市民が大勢いて、近くの四阿ではのどかな音楽を演奏していました。
[国立博物館]
 王宮の北側に位置し、赤いクメール様式の外観が目を引く国立博物館は、1920年に開設されました(初期はアルベール・サロウ博物館)。中庭を囲むようにして建てられた館内には、カンボジア全土から出土した彫像や青銅器など、考古学的にも貴重なクメール芸術の至宝が収蔵されています。
 展示は大別すると、青銅器、彫像、宮廷用具などのフロアに分かれていますが、最大の見どころは彫像の数々です。ここへは、まずアンコール遺跡を訪れる前に足を運びたいところです。さらに、プノンペンに戻ってから再び訪れれば、クメール芸術のすばらしさをより深く知ることができるでしょう。

5. 第4日 プノンペン−シムリアップ
 朝、ホテルで朝食の後、チャーターしたバスで空港に向かいました。プノンペン発10時15分のシムリアップ航空機で、シムリアップに向かい、11時にシムリアップ空港に着きました。約45分のフライトです。ホテル(ル・メリディアン・アンコール)に着き荷物を置いて、外のレストランで昼食の後、アンコール・ワットを訪れました。
 まずアンコール・ワットの構造を説明しましょう。敷地はほぼ矩形で、第一から第三の回廊が取り巻いており、その周りに水を湛えた堀が巡らされています。西側の参道が堀を横切っており、ここから回廊に近づきます。第一回廊の壁には見事なレリーフ(浮き彫り)があり、古代の叙事詩、アンコール・ワットを建てたスールヤヴァルマン二世の業績、天国と地獄などが彫刻されています。真ん中には塔(祠堂)が建っており、更に四隅には尖塔が建っています。すべてはこの地方で採れた石材を使っています。12世紀前半にヒンドゥー教のために建てられました。
 建物は赤茶けた色をしており、かなり崩壊が進んでいますが、これだけの規模の建造物が長い間密林に放置されていたとは驚きです。日本語のできる現地の青年から説明を受けながら、見てまわりました。
 夕方にはサンセット(日没)を見るために近くにある丘(プノン・バケン)に観光バスで向かい、最後の山道は歩いて登りました。数頭の象の背中に乗って、傾斜はゆるいが、遠回りの登る方法もあるようです。

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[アンコール二大遺跡探訪]
 世界文化遺産のひとつとして知られるアンコール・ワットは、今から130年前にはその存在を知る人すらいませんでした。フランス人博物学者アンリ・ムオが再発見するまで、密林の奥深くに眠り続けていたのです。この巨大寺院群を有したクメール王国は、当時インドシナ半島の大部分とマレー半島の一部までを領土としたこともある大帝国でした。その規模と完成された美しさで知られるアンコール・ワット以外にも、数百を超える宗教施設が王国全土に造られていました。
 現在のシェムリアツプ地域にその跡を残す王都は大農業王国の都であると同時に、王国内で最も豊かな水の都でもありました。日本にたとえてみると、平城京の造営された大和盆地にあたるのがシェムリアップ地域で、現在の東京23区にも匹敵する広大な規模でした。両古都には数百を超える大小さまざまな寺院が建立されていましが、そのなかで創建時の東大寺に相当するのがアンコール・ワットといえるでしょう。アンコール・ワットは宗教施設であると同時に都のシンボルでもありました。
 アンコール・ワットの造営から遅れて半世紀後、今度は一辺3kmの城壁で囲まれた王都が造られました。その王都はアンコール・トム(大きな町)と呼ぱれ、その中心に位置するのがバイ∃ン寺院であす。この四面仏塔の乱立するバイ∃ン寺院は仏教寺院として、クメール人独自の宇宙観の中心に燦然(さんぜん)と輝いたのです。
 アンコール・ワットとバイ∃ン寺院、クメール建築美術を語るうえでは欠くことのできない二大遺跡を中心に、永い眠りから覚めつつあるアジアの至宝を訪ねるわけです。
[拝観料等の情報]
 アンコール遺跡群はシェムリアップの中心部から北ヘ6〜8kmの位置にあります。車、バイクタクシーて所要15〜25分。車のチャーターは1日20〜30US$、バイクタクシーは6〜8US$。
 遺跡群ヘの入場券は、遺跡に行く途中のチェックポイントかツーリストオフィスで買えます。 1日券20US$、3日券40US$、 7日券60US$。 1日券以外のチケット購入には3cmX4cm程度の顔写書か必要です。写真を パウチしたチケットが作製される。写真がない人はその場で撮影可能。当日のチケットがなくても、翌日のチケットがあれは16:00からチェックポイントの通過は可能。また、当日、翌日のチケットかなくても17:00からはチェックポイントの通過は可能。しかし、16:00からの入場ても時間的に遺跡見学は不可能で、現実的にはサンセットのみの見学となります。
 チェックポイント(チケット販売含む)は早朝5:00前後から17:00まで業務を行っています。

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6. 第5日 アンコールトム等の観光
 今日は、午前中はアンコール・トムの観光です。アンコール・トムは昨日訪れたアンコール・ワットの先(北側)にあります。高さ8mのラテライトの城壁に囲まれています。周囲12kmの矩形の城壁内には、十字に道路が通り、その中央にバイヨン寺院があります。そこから少し北上した位置に王宮があります。王宮の正式な塔門は、象のテラス、ライ王のテラスと一体化して造られています。象のテラスはジャヤヴァルマン7世によるもので、バプーオン遺跡からライ王のテラスまで300m以上もある壮大な規模です。正面は広場になっておりここで閲兵が行われました。
 アンコール・ワットからバイヨンに行く途中に、バスがやっと通れるくらいの南大門があり、門の上には四面の観世音菩薩の顔が彫ってあります。顔の高さは4mもあるそうです。南大門に至る道の両側には阿修羅の像が並んでいます。
 バイヨンは都城アンコール・トムの中央にあります。12世紀末に建設された、穏やかな微笑みをたたえた観世音菩薩の四面塔は、どこか心なごむ雰囲気を感じさせます。ほぼ正方形の第一回廊と第二回廊で囲まれ、東に突出したテラスがあり、ここが入り口で、正面です。第二層の中央テラスを囲む16基の尖塔を巡回するような配置が計画されています。中央祠堂と尖塔の頂部には、50面を超える微妙に表情の異なった表情の四面仏が刻まれています。
 第一回廊に施された浮き彫り(レリーフ)は、アンコール・ワットの浮き彫りが、宗教・政治色が強いのに対し、日常的な庶民生活や貴族の暮らしが彫り込まれています。
 シムリアップは暑いので、レストランで昼食をとったあと一旦ホテルに戻り2時半頃、タ・プロムにバスで向かいました。場所はアンコール・トムの東側です。1186年の創建当時は仏教寺院でしたが、後でヒンドゥー教の寺院に改修されたと見られています。東西千メートル、南北六百メートルのラテライトの壁に囲まれた壮大な敷地の中にあり、当時5千人余りの僧侶と615人の踊り子が住んでいたと伝えられています。
 周壁の内部は迷路のように入り組んでいます。この遺跡では砂岩がおもな建築材料として使われていますが、住居建築にはラテライトが用いられています。ここは自然の力を明らかにするために、樹木の除去や本格的な積み直しなど修復の手を下さないまま据え置かれています。巨大に成長したスポアン(榕樹)に押し潰されながらも、辛うじて寺院の体裁を保っています。熱帯で管理を行わないと、どのようになるかという自然のきょういを身に沁みて感じます。
 夕方にはオールド・マーケットを訪れました。プノンペンの市場ほどは大きくありませんが、ジュエリーショップ、スカーフ等の土産物屋、日用雑貨、食料品等あらゆるものを売っています。またホテルはアンコール・ワット近くの広々とした所にあるのですが、オールド・マーケットはシムリアップの市街の真ん中にあるので、ここに来なかったらシムリアップのほんの一部しか見なかったことになります。

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7. 第6日 シムリアップ−プノンペン−台北
 今日は移動の一日です。シムリアップから航空機でプノンペンに出て、国際線に乗り継いで台北に戻りました。朝が早かったのと(5時半起き)、プノンペンの乗り継ぎの待ち時間が永かったので疲れました。台北のホテルは往きと同じホテル・ロイヤル・タイペイです。
 台北はカンボジアに行く前と同様に小雨が降っており肌寒く、体が気候に馴れるのも大変です。

8. 第7日 講演会と台北市内観光
 午前中は邱永漢事務所の方の中国事情、特に中国株の話と、邱永漢先生の講演を聴きました。ホテル・ロイヤル・タイペイはMRT中山駅からほど近い中山北路二段に面していますが、この道と南京東路一段の交差点角に邱永漢先生の持っているビルが2棟あり、その一棟の2フロアーを占めている語学校(日・中二カ国語)の一室で講演がありました。まず先生の弟子(台湾での責任者か)から中国の株についての話がありました。日本の「会社情報」に相当する本の開発をした方とのことで株についてはコード番号や時価がポンポンと出てくるほどの知識でした。話は中国語で日本から同行した邱永漢事務所の徐さんが同時通訳してくれました。次に先生から今回の旅行の概要から中国人のものの考え方(中台問題や元レートの切り下げなど)などの話がありました。
 昼食は地下にある和食のレストランで久しぶりに和食を食べました。
 午後は忠烈祠(ちゅうれつしと故宮博物院を訪れました。忠烈祠(北安路139号)は靖国神社に相当するそうで、抗日戦争や共産党軍との内戦によって国民党政府のために戦死した33万人の将兵などの霊を祀り、1969年に創建された霊廟です。廟は軍の管理下に置かれており、一時間に一回正門と霊廟前の衛兵の交替があります。
 故宮博物院(至善路二段221号)は中国歴代皇帝が収蔵したコレクションをもとに、約62万点もの収蔵品を誇る中華文化の殿堂です。2004年4月から約2年間を予定する大規模な改修工事が始まっています。このため一部の建物を使用し、規模を縮小した展示を行っています。時間が少なく駆け足の鑑賞でしたが、貴重な展示品の一端に触れることはできました。主なものを列挙すると次の通りです。
1) 清 翠玉白菜(1644〜1911年)
 中国では翡翠が玉として珍重されたようです。半翠半白の微妙な色合いと輝玉独特のなめらかなつやを利用して、白菜(清廉潔白の象徴)とキリギリス(多産の象徴)を巧みに彫り上げた翠玉巧彫の最高傑作です。
2) 清 乾隆二年 彫刻後赤壁賦オリーブ種の小舟(1737年)
 彫刻は明代から清代にかけて発展し、材料もさまざまなものが使われるようになりました。この作品はオリーブの種に船が彫られ、船には八人が乗っています。船室の両側には透かし彫りの窓が四つあり、窓は開け閉めできるようになっています。船底には蘇軾の「後赤壁賦」が刻まれています。
3) 龍泉窯 粉青盤口鳳耳瓶
 宋代の名品の一つで、陶胎は厚みがあり、重量感があります。細い口には鳳凰を象った取っ手が付いています。

 現地資本との合弁の新光三越がホテルの直ぐ近くにあり、夜の10時まで開いているとのことなので、夕食後おみやげを買いに行きました。食料品売場は地下でしたが、何となく買い物がし易く、台湾らしいお菓子などを買うことができました。

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9. 第8日 台北−成田空港
 朝、バスで空港に向かい9時に空港を離陸し、成田空港に13時に着きました。時差は1時間です。今度の旅行では田中さん以外は初めてお会いした方ばかりですが、旅の間に親しくなり、いろいろと話ができました。
 成田からの帰りは田中さんと都営地下鉄の泉岳寺までは一緒で、京成電車の特急で日暮里まで出て、JRに乗換え新橋で都営地下鉄に乗り換えました。往きのように直通の電車で押上まで出て、都営地下鉄に乗り換えた方が良かったようです。

参考 「邱永漢東南アジア投資考察団 旅のしおり」
(出典 地球の歩き方「台北」04〜05 (株)ダイアモンド・ビッグ社)
(出典 地球の歩き方「アンコール・ワットとカンボジア」04〜05 (株)ダイアモンド・ビッグ社)

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[Last Updated 3/31/2005]