プロヴァンス
− 碧(あお)い海と碧(あお)い空と… −
「生きる歓(よろこ)び」讃(さん)

  目 次

1. まえおき
2. 紹介(小島直記氏)
3. 目 次
4. はじめに
5. あとがき
6. 著者紹介
7 . 読後感


田辺 保著
恒星出版(株)

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1.まえおき
 今回(2005.5)のフランス旅行から帰った直後、雑誌「選択」の7月号に、小島直記さんが「古典からのめっせいじ」という記事で、「プロヴァンス」と題して紹介して下さったのがこの本です。前に載せた「南仏プロヴァンスの12か月」は外国人がプロヴァンスに移住し、買った古い民家を改造して行く1年を通じて、プロヴァンスの人や料理などを紹介して行く本です。
 それに対してこの本はフランス文学者の著者がプロヴァンスで生まれた文学や映画などを題材にしてプロヴァンスを紹介したものです。早速、図書館で借りて、読み通しました。これからはこの本を頼りに、プロヴァンスを深く知りたいと思っています。

2. 紹介(小島直記氏)
「プロヴァンス」
 私は今86歳。80代半ばをすぎると、心身の衰弱度が深まり、さまざまな可能性が失われる。外国に旅するという意欲も、途中の長い航空機の旅のつらさを思ってしぼんでしまう。昔感じていたような「異国への旅立ち」というような勇んだ高揚感などカケラもない。
 日本はちょうど今梅雨期で、碧(あお)く澄みわたるあのプロヴァンスの紺碧(こんぺき)の空を思い出すと、じっとしておれない気持だ。もはや再遊の可能性は乏しいが、むしろその故に、曾遊(そうゆう)の地が鮮明に脳裏に描き出されるのである。
                                             *
 わが家では、プロヴァンス旅行の回想に力添えしてくれるのが、ピーター・メイル著『南仏プロヴァンスの12か月』と、田辺保先生の名著『プロヴァンス 碧い海と碧い空と−−』である。
 昔から、南仏プロヴァンスは欧米人が望郷の念にも似た思い入れをもって眺める土地ではあったのだが、それと違って昨今では、現実に旅行者が殺到する『札所(ふだしょ)』の一つとして脚光を浴びている。そのブームの火つけ役がピーター・メイルの『南仏プロヴァンスの12か月』であるという。
 この本は、プロヴァンスの「歳時記」と言ってもよいであろうが、そう言い切ってしまうと、ちょっと問題がありそうである。
 例えば、著者メイルは、プロヴァンスにあこがれて、夫妻でイギリスの勤めを49歳で捨てて引っ越しをしてきたとは言え、無条件にプロヴァンスの上天気だけを礼賛はしてはいないのだ。「歳時記」を味読するような有閑的俳人=趣味の人では無論なくて、一個の生活人=イギリスのジャーナリストだったのである。
「北部の気候に馴染んだ体に、何もかもが極端なプロヴァンスの風土はしたたかにこたえる。気温ひとつとってみても、夏は華氏(かし)百度を超え、冬は氷点下20度の寒さである。降るとなれば天の底が抜けたかと思うような沛然(はいぜん)たる豪雨で、道は川と化し、自動車道路は交通止めになる。ミストラルは一年中、情け容赦もなく吹きまくる。冬は肌を刺す寒風、夏は渇ききった熱風である。食べ物は土の匂いが強く、淡泊な都会の味になれた舌にはこってりし過ぎて胃腸の負担も大きい。新しいワインは口当たりがいいが、よく熟れた古いワインにくらべてアルコールの度が強いものがあるから油断できない。
 イギリスとかけはなれた気候風土と食生活に順応するには、どうしたってある程度の時間が必要である。何につけてもプロヴァンスでは温順ということがない。それが時に人を打ちのめす」

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 ピーター・メイルの『南仏プロヴァンスの12か月』についての紹介文としては、田辺保先生の学問(歴史)的に厳密・周到で、それでいて詩情あふれる著書『プロヴァンス』(2003年8月初版第一刷)が白眉であると信ずる。
「『新しい年は昼食で明けた』『シャンパンは欧み放題−−』
 ピーター・メイルの『南仏プロヴァンスの12か月』。どつと楽しさが溢れてくるような本でした。飲んだり食ったり−−、もうほとんど、四六時中、食って飲んで(特に、飲んで−−ワイン、シャンパン、ブランデー、マール、バスティス、ビールなどなど)、笑って、しやべって、−−もちろん、仕事も、ときには、ぬかりなく、しつかりと果たしはするが、それより以上に、仲間と、みんなと、出会って、話をし、冗談を言い合うことの方に、ずっと時間をかけ、−−思いきり楽しむ、それこそが『プロヴァンス』。1ページ1ページ、そして、最後まで、そう感じさせる本なのでした。
 プロヴァンスがピーター・メイルの本によって、世界的にブームになったのは、うなずけます。出版されたのは1989年ですが、たちまち百万部以上を売り上げ、日本でもすぐ翻訳され、文庫本にもなり、続篇が書かれ、テレビ放送もされて、プロヴァンスヘはどっと人が押し寄せるようになりました。その頃、プロヴァンスを訪れる外国人観光客は、だれもがガイドブック代わりに、ピーター・メイルの本をポケットに入れていると言われたものでした」
 二百年前に建てられたという農家を買い入れて、プロヴァンス生活の中に飛び込んだ場所は、リュベロン地方、ボニーとメネルブという村の中間あたりの台地であった。以後、大して広くもない村の広場には、シーズンには何台も観光バスが駐車をし、派手な格好の諸国の観光客が村の通りを右往左往し、ぶしつけにパン屋をのぞき、カフェに乗り込むという騒ぎになった。あげくの果ては、ピーター・メイル夫妻の家へとつながる、桜の並木道の所にまで何台ものバスやマイ・カーが止まって、遠慮を知らぬ無礼な外国人どもが、庭に侵入し、家をのぞきこむまでの事態に発展した。
 これではたまらない。メイル夫妻はいつの間にか脱出して、どうやら英国に舞い戻り、出版業を始めたようだという。
 田辺先生は書いておられる。
「プロヴァンスに出かけましょう。プロヴァンスを、存分に楽しみましょう。どおんと深く、ぐーんとたっぶり、ピーター・メイル以上に、プロヴァンスの土の香りをかぎとり、プロヴァンスの濃い空気を吸い込みましょう。メイル氏の本の帯に出ていた宣伝文句『本当の生活、生きる歓びとは』を味わいつくしませんか。
 なにも、押せ押せの観光バスに揺られて、リュベロンのいなかの村の、出来合いの雑踏に揉まれに行くことはありません(もちろん、行ってもいい、チャンスがあるなら−−。ただし、できるなら、ひとりで、あるいは、本当に気心の通じた仲間とだけで)。それよりも、その前に、ちょっと夢を見ませんか。あなたのお部屋の、あなただけの机の前にすわって、なんなら、あなたひとりのベッドに横になって、この本を少々パラパラとめくってもらって、『プロヴァンス』−−永遠の『プロヴァンス』、不朽の『プロヴァンス』、人間の土地『プロヴァンス』、だれにもあげたくない、わたしの心の風土『プロヴァンス』−−を、夢見て、幻のうちに描いてみませんか。『こころの旅』、プロヴァンス篇の開幕です」
 読んでいるうちに、心が躍動してくるような内在律を感じる名文である。
 無論、文章のテクニックのせいではない。著者のプロヴァンスに対する愛情が、読者を快い酩酊に誘うのだ。
 

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                                             *
 私はプロヴァンスには三度行った。
 ピーター・メイルのこの本のことも知らず、田辺先生の『プロヴァンス』はまだ上梓されていなかったが、先生の『フランス歴史の旅』『フランス語のふるさと紀行』は読んでいた。
 このときは、三男坊三樹の車でアヴィニョンに一泊し、アルルに向った。途中の麦畑の中は罌粟(けし)の花が美しかった。カマルグを通って、サント・マリー・ド・ラ・メールに到着した。
 村はずれの海岸沿いにジプシーのキャンピング・カーが十数台並び、女性たちが声高におしゃべりしながら洗濯していた。道端のひとりが、何やら売りつけようとしたが、買わなかった。
 地名を直訳すると、「海の聖マリア」。マリア・ヤコベ、マリア・サロメはキリストの母マリアの姉妹。マグダラのマリアは元娼婦。この三人と召使いの黒人のサラは嵐の海を渡り、ここにたどり着いたと民衆は信じた。召使いサラに対しては、自分たちの守護聖女だとジプシーたちは信じたのである。
(出典 「選択」2005.7月号 古典からのめっせいじ 小島直記)

3. 目 次
はじめに 9

第一章 プロヴアンスの夜明け(一)
  −−「プロウィンキア・ロマーナ」の成立−− 23


第二章 プロヴァンスの夜明け(二)
  −−海の聖なるマリアたち、
       また「三人の姉妹たち」のこと−− 73

第三章 戦いと恋とうたと
        −− プロヴァンスの中世−− 111

第四章 水清きソルグのほとり
 −−詩人ペトラルカとヴォークリューズの谷−−171

第五章 プロヴァンスの少女を詩にうたおう
   −−『風車小屋だより』と『ミレイオ』−−197

第六章 プロヴァンスのヴァカンス
   −−マルセル・パニョルのプロヴァンス−−249

第七章 『木を植えた男』の故郷
        −−ジオノのプロヴァンス−− 249

第八章 テロワールとしてのプロヴァンス
         −−サントンのことなど−− 331

あとがき 358
                     本文イラスト・田辺恵子

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4 はじめに
ピーター・メイル『南仏フロヴアンスの12か月
 「新しい年は昼食で明けた」
 「シャンバンは飲み放題…」
 ピーター・メイルの『南仏プロヴアンスの12か月』。どっと楽しさが溢れてくるような本でした。飲んだり食ったり… もうほとんど、四六時中、食って飲んで(特に、飲んで… ワイン、シャンパン、ブランデー、マール、パスティス、ビールなどなど)、笑って、しやべって、−−もちろん、仕事も、ときには、ぬかりなく、しつかりと果たしはするが、それより以上に、仲間と、みんなと、出会って、話をし、冗談を言い合うことの方に、ずっと時間の比重をかけ、−−思い切り楽しむ、それこそが「プロヴァンス」。1ページ1ページ、そして、最後まで、そう感じさせる本なのでした。プロヴァンスがピーター・メイルの本によって、世界的にブームになったのは、うなずけます。出版されたのは、もう十年以上も前、1989年ですが、たちまち百万部以上を売り上げ、日本でもすぐ翻訳され、文庫本にもなり、続篇が書かれ、テレビ放送もされて、プロヴァンスへはどっと人が押し寄せるようになりました。その頃、プロヴァンスを訪れる外国人観光客は、だれもがガイドブック代わりに、ピーター・メイルの本をポケットに入れていると言われたものでした。メイルが、英国のジャーナリズムから足を洗って、妻と犬と一緒に、南仏プロヴァンスに移住したのは、49歳のときでした。かれが二百年前に建てられたという農家を買い入れて、右のような「プロヴァンス生活」の中にとびこんだ場所は、リュベロソ地方、ボニューとメネルブという村の中間あたりの台地でしたが、以後、ボニューやメネルブのさして広くない村の広場には、シーズンには何台も観光バスが駐車をし、派手な格好の諸国(日本も含めて)の観光客が村の通りを右往左往し、ぶしつけにパン屋をのぞき、カフェにのりこむというさわぎになりました。あげくの果ては、ピーター・メイル氏夫妻の家へとつながる、桜の並木道の所にまで何台ものバスやマイ・カーが止まって、遠慮を知らぬ、無礼な外国人どもが、かれらの庭に侵入し、家をのぞき込むまでの事態に発展したのです。これでは、せっかくプロヴァンスの野性と自然がたっぷり残った、人間味溢れるいなかでゆっくり余生を送ろうともくろんでいたメイルさんたちもいたたまれません。いつの問にか、脱出したようです。どうやら英国へ舞い戻って、出版業を始めた様子です。それでもいまだに日本から出発するプロヴァンス・ツアーの広告には、ピーター・メイルの『南仏プロヴァンスの12か月』に描かれたリュべロン地方に一泊などと、大々的に宣伝してあるのですからね。
 プロヴァンスに出かけましょう。プロヴァンスを、存分に楽しみましょう。どおんと深く、ぐーんとたっぷり、ピーター・メイル以上に、プロヴァンスの土の香りをかぎとり、プロヴァンスの濃い空気を吸いこみましょう。メイル氏の本の帯に出ていた宣伝文句、「ほんとうの生活、生きる歓びとは」を味わいつくしませんか。なにも、押せ押せの観光バスに揺られて、リュベロンのいなかの村の、出来合いの雑踏(ざっとう)に揉(も)まれに行くことはありません(もちろん、行ってもいい、チャンスがあるなら… ただし、できるなら、ひとりで、あるいは、本当に気心の通じた仲間とだけで)。それよりも、その前に、ちょっと夢を見ませんか。あなたのお部屋の、あなただけの机の前にすわって。なんなら、あなたひとりのベッドに横になって、この本を少々パラパラとくってもらって、「プロヴァンス」−−永遠の「プロヴァンス」、不朽の「プロヴァンス」、人間の土地「プロヴァンス」、だれにもあげたくない、わたしの心の風土「プロヴアンス」−−を、夢見て、幻のうちに描いてみませんか。「こころの旅」プロヴァンス篇の開幕です。

プロヴァンスの山と海
 濃いみどりのローヌが見えてきます。ところどころに小さな白波が立って、かなり流れのはやいローヌ…ル・ローヌ。フランス四大河川(セーヌ、ロワール、ガロンヌ、ローヌ)の中で、唯一男性名詞の川。なかなかの暴れん坊で、よく洪水を起こしたそうです。それに、ローヌに寄り添う支流の女性たち、若い女性たちもお転婆ぞろい、セヴェンヌ山中からくだってくるアルデシュ川、アルプスの雪どけ水を運ぶデュランス川など、増水期には、どっと水かさをまし、けたたましくわめき立てながら走り落ちてきます。それでも、どこかしら憎めなくて、愛らしい。活発で、明朗で、おキャンで、それでいて、純情で、一途(いちず)で、情熱的なプロヴァンス娘… ヴォークリューズの深い谷間、石灰岩の洞窟から湧き出てくるソルグの川も、澄んで、さわやかで、冷たい美しさ。わたしたちもいずれまた、このみどりの濃い谷間をたずねてみましょう。
 それに、プロヴァンスは、地形もなかなかに変化に富んでいるのです。なだらかな起状をなして広がる平野部の向こうを、いたるところにかなりけわしそうな山脈がはばんでいます。おおむねは、石灰質の地肌をむき出しに、灰色のさまざまな形の岩また岩をつらねた山々が多く、からりと渇いた空気の中、強い太陽の光のもとで鋭い稜線(りょうせん)をあざやかに浮き出させてそびえ立って見えます。雨は少なく、降ってもすぐ水が岩肌にしみこんでしまうので、地中から湧き出してくる泉を見つけることが山岳地帯では何よりの重要事になります(マルセル・パニョル原作の映画『愛と宿命の泉』1986年にも描き出された、苛烈(かれつ)な水争いを思い出してみましょう)。白熱の太陽がギラギラと輝くなかで、山も野も一面かげろうをゆらめかせて、淡い煙をあげて燃えさかっているよう… 夏のプロヴァンスの自然とは、まさしくそんなぐあいです。
1888年、アルルへ移ってきた、あの狂熱の画家ヴァンサン・ヴァン・ゴッホ(フランス語では、ゴーグ、1853〜90)がキャンバスに描き上げた、焔のやいばみたいな、ヒマワリの花弁の激しい勢いこそ、プロヴァンスの情熱なのかもしれません。白く乾いた天地の中で、内燃(ないねん)する生命の火を宿しているのがプロヴァンスの魅力なのでしょう。プロヴァンスに生きる人たちの、たくましい生への執念もここから吹き出してくるのでしょう。
 山々の頂きは、いずれも千メートルを越えています。それでも、ローヌの谷を見おろす北部のヴァントゥ山(1909メートル)にせよ、セザンヌの絵で有名となった南方のサント=ヴィクトワール(1011メートル)にせよ、山頂までドライブウェイが通じていて、接近は容易です。この二つの山のあいだに、リュベロン山脈やアルピーユの山並みがひろがっています。ずっと南へくだれば、サント=ボーム(1147メートル)、ただしここは、車では登れません。

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プロヴァンスは「碧(あお)」の色
 プロヴァンスといえば、もちろん、地中海のほとりへ出ることを忘れてほなりません。ローヌ川は、アルルを過ぎると、東方の大ローヌ、西に小ローヌを分かち、この二つにはさまれたデルタ地帯が、大小の沼や湿地を含み、めずらしい動植物の生態が見られるカマルグです。アルルから県道570号、85号を約40キロ走れば、サント=マリー=ド=ラ=メールで海岸にたどりつきます。白砂の海辺に立ってみましょう。よく晴れた日なら、だれでも思わず「ああ」と感嘆の叫びを放たずにはいられないはずです。なにしろ、目の前に思い切り広がった海の色の青さが、なんとも形容のつかない濃さ、深さなのです。ほとんど紺に近いのですが、それでもこのブルーは、底ぬけに明るく、光沢にみちています。フランス語でいうならアジュール(azur)、「紺碧」(こんぺき)の色です。サント=マリーから東へ、マルセイユ、トゥーロンを経て、イタリア国境に近いマントンにいたるまで、紺碧の海がつづきます。
 そして、海の上に広がった空の色も、これと呼応(こおう)するように、やはり濃い青色、碧色です。プロヴァンス−−碧い海と碧い空の交響楽。「碧」こそは、プロヴァンスの色そのものといえます。ヴェルデイの歌劇『トラヴィアータ』(1853)(小デュマの原作『椿姫』にもとづく)では、娼婦ヴィオレツタにすっかり首ったけになってしまった息子アルフレッドに故郷へのなつかしさを呼びさまそうとしてその父親が「プロヴァンスの青い空と海」を朗々とうたい上げます。大都会パリの社交界の淀んだ空気と対照的に、音楽家がどこか慕わしさをさそい出すふうに書き上げたプロヴァンスの、純でさわやかな風土への誘いのうたは、聞く者の耳にも切な訴えとなってひびいてくるものでした。
 「碧」は、色の中でも特に、深みへとさそいこむ色といわれます。無限にまで広がった大空の色であるだけに、透きとおっていて、物質ばなれして、純粋で、底までからんと透けていて、かろやかに舞い立ち、はるかな彼方(かなた)にまで飛び去り、自然を超えた遠い世界へも通じているふうな色だともいわれます。画家のカンディンスキー(1866〜1944)は、「碧の動きは、遠くへと飛び立とうとする人間の動き、ただ自己の中心へと向かい、しかも、無限へと人間を引き入れ、人間のうちに、純粋への願いと、超自然への渇きを呼びさます動き」だと言っています。また、碧一色の環境は、人に安らぎを与え、慰めをもたらし、現実を超えてどこかへと「逃れ出す」ことを可能とするのだともいわれます。カンディンスキーによると、「地上での休息、自己自身でみたされた思い」の印象を与えるのだそうです。インターナショナル・クライン・ブルーを創造したイヴ・クライン(1928〜62)の言い分に従うなら、「精神の色」。碧いプロヴァンスとは、ほんとうに文字通り、そういうところなのでしょう。そんなプロヴァンスの 「碧い色」 のエッセンスをさぐってみょうではありませんか。

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わたしのプロヴァンスを
 ここでひとつ、わたし自身の小さな思い出話をはさませてください。
 何年か前、それはやはり、フランスへの旅の行きの飛行機でのエピソードです。ひとりのもう老年といっていい年格好(としかっこう)の男性とたまたま座席がとなり合わせとなりました。どちらかが先に口を切り、自己紹介をし、いろいろと話し合ううち、わたしがその男性に対して、こんどのフランス旅行の目的をたずねますと、その人はこんなふうに答えてくるのでした。実は、これまでずっとフランスなどとは縁のない会社勤務をつづけてきたのだが、やっと定年退職のときをむかえ、家族の了解もとりつけて初めてのフランス旅行をするのだと、とてもうれしそうでした。まずはパリへと着いて、話に聞くセーヌのほとりの首都の風情を二、三日ゆっくり味わったあと、何よりも自分が何十年来心にあたためてきた、あこがれのプロヴァンスへ行くのだともうち明けてくれました。その理由として、自分が高等学校時代(もちろん、旧制の高校です。その男性がそのとき60歳も後半の世代に属していたことがわかっていただけましょう)に、ほんの少しだけ勉強したフランス語の時間に、初級文法を終えてすぐ、先生が使われた教科書、アルフォンス・ドーデーの『風車小屋だより』(1866)に描き出されていた地方にぜひ行ってみたいと、ずっと思いつづけていた、そのねがいがやっと今かなえられるのだという話をしてくれたのです。男性の眼は、少年のようにキラキラとかがやいて、若い多感だった日の感動をしのばせ、ドーデーのこのプロヴァンスもの短篇集のかもし出すふんい気にあたためられながら、その人は自分の人生の大半を送ってきたのだなということがうかがえました。
「あなたもきっとわかっていただけますよね。こんども大事に保存してきた学生時代のあのテキストをもう一度読みなおして… フランス語はさすがに、ほとんど忘れてしまっていましたがね… ハハハ… 出かけてきたのですよ。プロヴァンスのよさ、プロヴァンスの人情や風俗がたっぷりつまった、楽しい本でしたね。思い出すと、今でも、胸がちょっと、熱くなってくるみたいです。年甲斐もなく…」
 ああ、いいなあ、しあわせな人だなあと、わたしはつくづく思いました。それから機上で、二人して、『風車小屋だより』におさめられたいくつかのコントを思い出しながら、そのなつかしい印象を話し合ったものでした。実はわたし自身も、フランス語を習って初めて教わった文学ものテキストは、同じドーデーだったのです。わたしたちは、共通の青春を持ったのでした。日本にも古く、そんな時代があったのですね。相手のその人は、理科系の出身で、わたしなどとは違う、キャリヤーを経てきた人だったのですが…。
 アルフォンス・ドーデー(1840〜97)は、南仏ニームの生まれ、いちはやくパリへ出た新聞記者の兄を頼って首都へ出、処女出版の詩集が幸いにも時のナポレオン三世の側近の目にとまり、幸福な文学的スタートを切ります。生まれ故郷の南仏を愛して、たびたびもどってくるのですが、アルルの町から8キロばかり離れたフォンヴィエィユ村の、さびれた風車小屋を買いとってそこを別荘にしようと考えつきます。『風車小屋だより』では、本当にそこへ移り住んだことになっていて、風車のまわりの牧歌的な風景、フクロウやウサギなどの先住者たち、アルピーユの美しい峰に、遠くで農民たちが奏でるプロヴァンス特有のフィフル(木笛〕のひびき… などが詩情をたっぷりたたえて描き出されていますが、実のところはこれはフィクションで、親友にあたるモントーバンの屋敷に一室を与えられて、そこで取材や執筆したのが真相です。ですが、こんなことはどうでもよいのです。プロヴァンスでは、事実よりも詩の方が重んじられるのだからです。

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 ちょっぴり悲しい人生の断面をのぞかせてくれる物語が多かったようです。粉ひき用の風車がすたれて行くのに愛着を捨てられず、壁のかけらや土を入れた石うすをまわしてごまかしていた、あわれなコルニーユじいさんの話、しょっちゅう女房に逃げられて、町中の笑い者になっているみじめな研屋(とぎや)の男の話(「ボーケールの馬車」)、恋した女がどうしてもあきらめきれず自殺してしまう若者ジャンが主人公の「アルルの女」、子どもに見捨てられた「老人たち」、夫が筋向こうの居酒屋の女に入れこんでひとり寂しく宿屋を守る女の涙(「二軒の宿屋」)などなど。もちろん、ちょっとおどけた感じのこっけいな物語にも、欠けていません。「教皇のラバ」「キュキュニアンの主任司祭」「ゴーシェー神父の霊酒」など、です。自由をあこがれて山中に逃げ出して、結局オオカミに食べられてしまう「スガンさんの小やぎ」や、リュベロンの山中で、ひそかに思いを寄せるステファネットお嬢さんと二人きりで胸をドキドキさせながら夜をすごす羊飼い少年のお話(「星」)などは、プロヴァンスの野や山のにおいがぷんぷんにおう、民俗色ゆたかな小品でした。どれもこれも、作家ドーデーのやさしくて、あたたかくて、涙もろくて、笑い好きの心がこもっていて、胸にほんのり灯をともしてくれるのです。せい一ぱい、可憐に、愛情たっぷりに生きているプロヴァンスの人たちの心情がうずいている感じなのです。そうでした。碧い空と碧い海と、白い山とみどりの野のプロヴァンスには、こういう人間たちが−−わたしたちと同じ哀感(あいかん)を抱きしめて、けなげに生きていたのでした。
 フランス文学は、こんなふうに大事な自分の人生を息をつめて生きている人間たちにもっとも関心を寄せるといわれますが、土のかおりの濃厚な、ここプロヴァンスではいっそう、その姿が濃い陰影を帯びてあらわれてきます。ドーデー、ミストラル、パニョル、ジオノなど、南フランスへの旅に当り、こういうプロヴァンス生えぬきの作家たちの本に親しんでおくことは、どんなに有益でしょう。ピーター・メイル氏のプロヴァンス滞在記が世の評判となるよりもずっと以前から『風車小屋だより』や『ミレイオ』(ミストラル作)は、本好きの人たちに、−−ドーデーの表現を借りて言うとすれば、「セミの図書館」で本を開いて読むのが大好きな人たちに−−「わが心のプロヴァンス」への郷愁をさそい出してくれたものでした。
 ところで、ドーデーの短篇ものひとつをひもとくにも、やはり予備知識と、前もっての「思いこみ」があった方がよい。ボーケール、アルル、アヴィニヨン、カマルグ… といった土地の感触ばかりでなく、プロヴァンスが形成されるまでの歴史や、プロヴァンスの民話・伝説や、この地ではだれでも知っている典型的人物の素性(すじょう)などにも、ある程度通じていたら、旅の楽しみ、充実度がちがってきます。ピーター・メイル氏は一年間、ついにガイド・ブックに出ているような名所旧跡は訪れたことがなかったそうです。なにしろリュベロンの山ふもとの田園に入りこんで、地についたプロヴァンス生活を文字通りに築こうとしたのですから、名所なんてものに関心が向く余裕がなかったのでしょう。だいたい定住者は、観光名所には立ち寄らないものです。それなら、プロヴァンスに生き、プロヴァンスの土になることはとてもむりな旅人は、どうしたらいいのでしょう。旅人とは、もともとその土地では外国人・異邦人なのです。ラテン語ペリグリヌスは、本来そういう意味でした。外国人としてよそからやって来て、外国人の眼をもって眺めてみますと本国人の気づかない、おもしろい、めずらしい事実がいろいろ見えてくるものです。ついでに言っておくと、自分の今住んでいる所も、ときには旅人の境涯に身をおいたつもりになって、あらためて見直してみますと、何かと新鮮な印象が感じられてくるともいいます。ところで、ラテン語ペリグリヌスはまた、「巡礼」をも意味します。すなわち、ある宗教に帰依(きえ)していて、その宗教の聖地や霊地をめぐる人のことです。自分にとってなんの縁もゆかりもない場所へいきなりとびこんでくる行きずりの観光客、おし着せの、おざなりのツアーにまぎれこんで、コンダクターのいいなりに方々を歩いてまわり、疲れるだけのツーリストと違って、巡礼には、心に抱いた熱い目標がありますから、いざ目的の地へ着いてみれは、それだけでじわり感動がわいてきます。極意(ごくい)はここにあると思うのです。プロヴァンスにも、巡礼=旅人として、「こころの旅」をしてみませんか。できるだけ、あなたの心に糧をたくわえこむのです。熱い思いで一ぱいになるぐらいに…。 ドーデーを読むのもよし、パニョルやジオノのどれかの本に導きをしてもらうのもよし、しばらく前ベストセラーになり、テレビ映画でも放映されたエブラールの『プロヴアンスの秘密』(1995、邦訳は、河出書房新社版)をひもといてみるのもよし、ミストラル(『ミレイオ』『カレンダウ』『青春の思い出』など)だったら、もっとよい。充電ができます。ヴォルテージがあげられます。プロヴァンス巡礼への意欲がわき立ってきます。そして… もちろん、この小さな本も、できるなら、あなたのそんな「こころの旅」の伴侶にしていただきたいとのねがいをこめて綴り上げたものなのです。

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5. あとがき
 この本も、カルチャー・フロンティア・シリーズの一冊として送られます。この前に出してもらった『ロワール川・流れのまにまに』に続くものです。朝日カルチャーセンター大阪で、二十年近く担当してきた「フランスこころの旅」において、なんども、そのたびに趣向をかえて話してきたプロヴァンスに関する講座の中から、要所をいくつか摘要してまとめたものが本書の内容です。第四章までは、ほぼ歴史的順序に従ってプロヴァンス各地をめぐるという体裁をとっており、第五章以後は、文学的プロヴァンスの探訪記です。第八章は、補遺のかたちで、サントンなどについて触れました。
 プロヴァンスに関する書物は氾濫しています。フランスはもとより、日本でも試みに、本屋さんの「海外旅行・海外情報」などの棚の前に立ってみてください。ガイドブック(それも、単に一般的な何でもありのおざなりのものばかりでなく、芸術、宗教、伝説、グルメ、産物、香料などなどの特殊問題をこまかく扱ったものなど)、旅行記、移住の記録(ピーター・メイル氏にならって)、歴史もの等々、ずいぶんたくさんな本が出ていることがわかるでしょう。アメリカ、イギリス、ドイツなどでも、「プロヴァンスもの」は大はやりだそうです。そんな中で、この小さな本に、はたして存在意義があるのかとふとためらってしまいますが、わたしはあえて、「わたしのプロヴァンス」を読者のみなさんにご披露してご批判をうかがいたかったのです。「フランスこころの旅」の一環としての、「プロヴァンス篇」です。フランス語・文学を教え、フランスになんども足を運び、自分なりにフランスとフランス人とを肌で知った上で、プロヴァンスをも語ってみたかったのです。告白してしまいますと、わたしの今のテーマ、終生の目的とするテーマとして「フランス文化の源流」をさぐるということをひそかに課題としているのですが、プロヴァンスについていろいろと、大小さまざまな、多少雑事にわたる事柄まで含めて述べながらも、このテーマにつらなる何かを少しでも引き出してみたかったのです。
 プロヴァンスでなくても、たとえば、ノルマンディ、シャンパーニュ、ブルゴーニュ、(いくらか異色ですが)ブルターニュ、またパリについての本を書く中でも、このテーマは追えるでしょう。しかし、プロヴァンスはことに、フランスの各地方の中で、ある特権的な地位を保っています。それは、この国の文明は、まず、マーレ・ノストルムのほとりで、すなわち、碧い地中海のほとりで夜明けを迎えたからです。言葉も、習俗も、考え方も、宗教信仰までも、この海辺から入つてきました。フランスを知るために、プロヴァンスを深く知ることは欠かせません。フランス人には、何ほどか「プロヴァンス」人的気質が残っているから…というだけでなく、これも、何より一つの重要な要素だからです。
それに、私事を記すことをゆるしていただけるなら、わたしには幸いにもこれまで、プロヴァンスに一生をかけて入れあげ傾倒してこられた先生がた何人もと接して、言うに言われぬ大きい感化を与えられてきたということがあるのです。故人になられた方も多いのですが、二人ばかりお名前をあげさせていただきたいと思います。おひとりは、大阪外国語大学でフランス語の手ほどきもしていただき、のちには、助手として研究室の仲間に加えていただき、そば近くで何かとお教えをいただく機会に恵まれた畠中敏郎先生です。先生からは、つねに、アルフォンス・ドーデーの生涯・作品について、いろいろとご研究の成果をうかがいました。先生には、ドーデーのタルタランものその他のご翻訳もあり、わたしがパリ留学中は、ドーデー関係の古い文献さがし、収集、コピーなどについて先生のご研究のお手伝いをしたこともありました。大阪外語大の教員になってからも、先生が大学で開いておられたプロヴァンス語の講座にもずっと出ていました。

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 もうひとりは、わたしの第二の勤務地、岡山の大学のフランス文学講座の主任教授であられた杉富士雄先生です。この先生こそは、日本におけるプロヴァンス語・文学の分野では草分けといっていい方でした。プロヴァンスという土地が、杉先生の性格、気質にすべての点でぴったり合致していたのでしょう。「杉氏は、明朗闊達、直情径行の反面、温かくこまやかな思いやりと、繊細な感受性の持主だった。その上、ユーモアとエスプリに富み、茶目っ気たっぷりで社交好きだった」。これは、杉先生のご親友であられた原二郎先生(モンテーニュ『エセー』の翻訳者)の評です。杉先生は、ついに、ミストラル不朽の名作『ミレイオ』(杉訳、岩波文庫版では、フランス語読みをとって、『ミレイユ−プロヴァンスの少女』)を日本語に移すという大業を完成され、このほかにも、ミストラル『青春の思い出』、著書『プロヴァンスの海と空−歴史と文化の旅』(富岳書房刊)など数々のお仕事を残されました。本書の執筆に当っても、当然、大いに参考にさせていただいています。わたしが岡山に在勤していた十二年間、杉先生からもつねに、プロヴァンスについてさまざまな話を聞かせてもらい、プロヴァンスに対する熱情を吹き込まれてきました。杉先生は、日本の地中海である瀬戸内海に面した、気候温暖で、人情にも厚い岡山の地を、日本のプロヴァンスとも思いこんでおられたふうでした。プロヴァンスの魅力、ミストラルの詩の美しさを語られるときの先生は、まことに楽しそうでしたし、それ以上に、どこか「熱に浮かされた」ふうでした。こういった先生がたから、こんなわたしまでがいつの間にか、プロヴァンス熱をうつされてしまい、プロヴァンスへの愛着を呼びさまされてきたのかもしれません。わたしがこうして、プロヴァンスについて一書をものすることになったなどという話を聞かれたら、先生がたはきっと、ぷっと吹き出されるにちがいありません。天国で呵々(かか)大笑しておられる先生がたのお顔が見えるようです。
 あともうひとり、ぜひともここにあげておきたいのは、大阪府堺市で病院長をしておられた河合達先生のお名前です。先生はもちろん、フランス語や文学のご専門でほなくて胃腸病の権威だったのですが、お若い日、フランスに留学され、十二分にフランス生活の楽しさをも満喫されました。あちこち旅行もなさったようですが、特に、プロヴァンスに対しては格別の思いを抱いておられました。河合先生の留学時代の師であったペニシュー先生が、退職後カマルグの海岸に建設された住宅地に引退なさったこともあり、ご自分も行く行くはプロヴァンスに別荘を買い、老後はそこですごしたいという希望を抱いておられました。わたしは、たまたま、河合先生の友人であった会社々長長谷川貞通さん(この人も無比のフランコフィルです)を介して、河合先生と大阪で知り合い、たびたびフランス料理などをご一しょして、「フランスの歓び」を語り交わした幸いな時がありました。フランスですごした青春の日々を回想し、プロヴァンスの美しさ、楽しさを言い立ててやまない先生の目はいつも輝いていました。六十歳をすぎたら医者稼業はやめて、プロヴァンスの海岸に別荘を買う、そしたら、きみたちにも、カギを一つずつ渡そう、プロヴァンスのわたしの別荘は友人たちのためにつねに開かれているんだ、みんなして、テラスにすわって碧い海を見ながら、シャトーヌフ=デュ=パープの杯を上げよう… 河合先生の口調もいつしか、うたとなっているのでした。ああ、けれど、河合先生は過労のあまりか、60歳を目前にして、突如帰らぬ人となってしまわれたのでした。痛恨のきわみです。河合先生、先生の別荘の夢は消えてしまいましたが、わたしは今もなお、プロヴァンスの夢をみつづけていますよ。こんな本も天の先生におささげできるようになりましたよ。
 プロヴァンス−碧い海と碧い空と…−「生きる歓び」讃と題しました。これが「フランスの歓び」の粋であろうと思います。プロヴァンスが与えてくれる教訓とは、「あなたも、あなたが今、そこにいるあなたの土地で、すなわち、あなたのプロヴァンスで、かけがえのない、一回きりの、あなたの人生を生き切る歓びを味わいつくしてください」ということにつきるのでしょう。ブルゴーニュについて写真入りの美しい一書をものしたジャン=フランソワ・バザン氏は、ブルゴーニュでは、「あなたが、きのう来てくれていたら…」とは言わない、いつも、「あなたがもし、あすも来てくれるなら…」と言う、と序文に書いていました。あす来てくれるあなたのためにとっておきのワインを寝かしておいてくれるというのです。プロヴァンスならば、きょう来てくれたあなたのために、きょう一ばん飲みごろのワインをすぐにさがしだしてくれるのでしょう。もちろん、あすも来てもいい、そのときにはちゃんと、その日のための選りぬきのワインがあるはずです。もちろん、ワインだけの話ではありません。人生万般、「歓び」に関することなら何でも… 一ばん深い歓びまで… それが、プロヴァンスです。

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 わたしの教え子で、大学を卒業後、「世界のホンダ」に入社して、セールスエンジニアーとして、「南極と北極以外は、世界中の国をまわってきた」というK君に、先日、同窓会で会いました。ソ連崩壊後ロシアとなった国で五年間の勤務を終えてきたばかりだということでした。自分も、世界中のあらゆるところをめぐって、いろんな人たちの生き方を見てきたのだが、これからの自分、これからの世界、これからの人間の生き方にとって、一ばんモデルになりそうなのは−また、モデルにしたいのは、−まず第一、フランスのプロヴァンス、そして、イタリアでの人々の生き方だと思うと言っていました。
 「プロヴァンス」を生きましょう!
 カルチャー・フロンティア・シリーズの二冊め、このプロヴァンス篇の実現のためにもまた、恒星出版の白石八郎氏、中谷はつみさんには、厚いご支援と、さまざまの有益なアドバイスをいただきました。感謝しております。本書中に挿入しましたイラストは、やはりプロヴァンス・ファンのひとり、娘の恵子の作成したものです。いかがでしょうか。
         2003年4月                           田辺 保

6. 著者紹介
田辺 保(たなべ たもつ)
1930年京都生まれ。京都大学大学院修了。仏文学専攻。文学博士。大阪市立大学名誉教授。岡山大学名誉教授。
著書に『ロワール川 流れのまにまに』『フランス歴史の旅−モンマルトルからサント・マリーヘ』『ブルターニュヘの旅』『フランス巡礼の旅』『ボーヌで死ぬということ』『ケルトの森・ブロセリアンド』『パスカル伝』『シモーヌ・ヴェイュ』など、訳書に『パスカル著作集(全7巻別巻2)』、シモーヌ・ヴェイュ『重力と恩寵』などがある。

7. 読後感
 今回(2005.5)の旅行中に、アルフォンス・ドーデの「風車小屋だより」を読み、帰ってから直ぐにピーター・メイルの「南仏プロヴァンスの12か月」を読み直したので、筆者の云いたいことはよくわかりました。半面、この本で採り上げられていて、未だ読んでいない本、または映画も沢山あります。これを機会に少しずつ読んで、または見て行きたいと思っています。著者は筋金入りのプロヴァンス・ファンだと思いますが、プロヴァンスを訪れた人は、皆ファンになるのだと思います。
 目次を見ると、「第八章 テロワールとしてのプロヴァンス(サントンのことなど)」となっており、サントン人形のことに触れています。前々回(2002.6)プロヴァンスに来たとき、おみやげに買った聖家族がこの人形だと判って、親しみを感じました。またフランスで蝉がいるのは、プロヴァンスに限られているようです。

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[Last updated 8/31/2005]