小山 冨士夫



色絵大鉢
(1973年、出光美術館蔵)
小山富士夫の眼と技 展 2003年 図録より

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3. 小山富士夫(1900〜75)
  友の作風に挑む好奇心

 小山富士夫の没後、「色絵大鉢」(口径33.5センチ)が見つかった時、遺族はサム・フランシスの作品か、と疑つたという。
 サム・フランシスは戦後、パリで活躍した米国出身の前衛芸術家だ。白地に赤、青、黄といった色斑を流した抽象画で知られる。親日家の彼は、しばしば来日しては、小山を訪ねた。そこで焼き物に絵付けもする間柄だった。
 この大鉢にも、白磁に鮮やかな緑と赤と黒の3色がたらし込まれ、動きのあるのびやかな空間が生まれている。間違えるのも無理はない。だが、剽窃(ひょうせつ)というなかれ。新しい表現を楽しむ好奇心とユーモアが響いてこないだろうか。
 小山は、実証的な東洋陶磁研究を確立した権威だった。太平洋戦争中、中国河北省で「幻の窯」といわれた宋代の定窯(ていよう)白磁の窯跡を発見した。戦後、「日本六古窯」をはじめ、忘れられかけていた各地の古陶磁窯を再評価。文化財保護委員会の調査官としても活躍したが、61年、自ら重要文化財に推した「永仁の壷(つぼ)」が贋作(がんさく)だったことが判明。責任を取って、辞任した。
 その後、研究の傍ら、実作も始めた。和もの、唐もの、高麗もの、南蛮もの、と多彩な焼き物に挑んだ。「窯場あらし」と名乗って全国の窯場を巡って制作もした。そこには、唯一の美を追う求道者としての姿はない。いわば「類」としての陶芸を、愛(め)で、楽しむ鑑賞者のまなざしがあるというべきか。ならば、新たな陶芸の姿を夢想して、西洋の親友の作風も「試行」したに違いない。    (山盛英司)

■「やきものを愛でる−陶芸研究家小山富士夫の眼と技」展 自作のほか、交流した陶芸家の作品など約100点。東京都港区南青山6の5の1、根津美術館(ハローダイヤル03・5777・8600)。6月29日まで。月曜休み。
(出典 朝日 2003.5.24 夕刊)

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[Last Updated 6/30/ 2003]