板谷 波山



葆光彩磁珍果文花瓶
(泉屋博古館蔵 1917年)
珠玉の陶芸 板谷波山展1995年 カタログより

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2. 板谷波山
葆光彩磁珍果文花瓶(ほこうさいじ ちんかもんかびん)
板谷 波山(いたや はざん) (1872〜1963)

 波山は「酒賓の陶芸家」と呼ばれた。子供の下駄(げた)が買えず、翌日の米に窮する貧困の中でも、焼き上がった作品が気に入らなければ、容赦なく割った。柿のような朱色を出すために、苦心した柿石衛門の伝説のようだ。いや、逆に波山の厳格な姿勢が、戦前の国民教育の中で、陶芸家伝説のモデルたなったという説すらある。
 この花瓶は、清貧の陶芸家を日本陶芸界の頂点に立たせた作品だ。45歳の時、日本芸術協会展で最高賞をとった。桃、枇杷(びわ)、葡萄(ぶどう)を盛りつけたかごを3面に配し、その間に薄肉彫りの鳳凰、羊、魚が浮き上がっている。景徳鎮など中国の官窯陶磁を思わせる端正で格式ある姿。一方、絵柄は東津的な線描を捨て、明るいパステル調の色彩を西洋的に重ねあわせて表現した。
 だが、なによりの魅力は、懐かしさを感じさせる温かくおぼろな輝きだろう。創始した「葆光釉(ほこうゆう)」という半透明の釉薬で、薄絹をかぶせたように光沢を隠し、物の境界を柔らかく表現した。湿潤な日本の大気を通した自然の表情、とも形容される。02年に近代陶磁器では初の重要文化財に指定された。
 陶芸界初の文化勲章受章者でありながら、人間国宝への推薦は辞退した。伝統技術の保持者としてのみ扱われたと反発したのかもしれない。輸出工芸品として見られがちだった明治以後の陶芸を、近代芸術に育てようとした意地だったのだろうか。 (山盛英司)
■ 「板谷波山展−神々しき匠の技」。素描集全8巻の完結と没後40年を記念して、陶磁器と素描を展示。東京都千代田区丸の内3の1の1、出光美術館(ハローダイヤル03・5777・8600)。4月13日まで。月曜休み。
(出典 朝日 2003.3.1 夕刊)

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[Last Updated 4/30/ 2003]