「ローマ人の物語]」
すべての道はローマに通ず

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         目 次

1. 本の目次
2. はじめに
3. おわりに
4. インフラの専門家も驚嘆する作品(新潮社「波」)
5. 道路・水道、インフラ整備に焦点(日経新聞)
6. 繁栄支えたインフラに迫る快作(朝日新聞)

7. 読後感

1. 本の目次

はじめに

第一部 ハードなインフラ

1 街道
ローマ街道網略図と各時代の万里の長城  25
ローマから南へ(街道の複線化)  35
ローマ街道の基本形  37
マイル塚  39
ローマ街道の断面図  40
ローマ街道の復元想像図  43
共和政時代のローマ街道網  49
ローマ時代のトンネル  52
山腹を縫う街道の断面図  53

2 橋
ローマ時代の舟橋と木橋  65
「ボンス・ロングス」  66
ローマ時代の石橋  68
排水のしくみ  72
橋脚工事法  74
明石海峡大橋  76
南仏ニームの水道橋  78
三種類の橋の図  80
街道・橋および水道に必要な用地の幅 83

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3 それを使った人々
カエサル、アウグストゥス、ティベリウスの肖像 93
郵便馬車  94
アルプス越えのローマ街道(ヴァランスからトリノ)沿いの諸設備  96
アルプスを越える四つのルート  98
ローマ時代の旅行用の銀製コップ  105
銀製コップの展開図とカディスからローマまでの街道図 106
「タブーラ・ペウティンゲリアーナ」  109
プトレマイオス地図 109
「タブーラ・ペウティンゲリアーナ」 部分(「アレクサンドロスが引き返した地」、山脈、森林)  113
「タブーラ・ペウティンゲリアーナ」に収録されている主要六都市  115
「タブーラ・ペウティンゲリアーナ」 部分(ローマ周辺、ナポリ周辺)  116
「タブーラ・ペウティンゲリアーナ」 部分(ペルシア湾、ナイル河口)  117
「タブーラ・ペウティンゲリアーナ」 中の記号 (「バジリカ」、チヴィタヴェッキア、シチリア島)  119
「タブーラ・ペウティンゲリアーナ」 中の記号(宿駅、温泉場)  121
ローマ時代の測量機器 123
休息する旅行者 125
二頭立て馬車で旅をする家族 125
二輪馬車 125

4 水道
ローマ水道の模式図  138
ドムスでの雨水利用法  143
ボルタ・マッジョーレ  147
アグリッパ肖像 150
トレヴィの噴水 154
水源からローマまで 159
ローマ市内の水道  161
水道の断面図 164
「カステルム」 (水の分配施設)  167
共同水槽  171
共同水槽のあるボンベイの街角  175
鉛管の作り方 176
ハドリアヌス防壁沿いの浴場遺跡  179
カラカラ浴場  181
浴室の温め方 183
ラオコーンの群像 183
「ファルネーゼの牛」  183

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第二部 ソフトなインフラ
1 医療
イゾラ・ティベリーナ模型  191
アスクレピウス神像  191
コロツセウムの客席 195
診察する医師 199
ローマ時代の医学校所在地 201
公衆浴場の様子 204
クサンテン軍団基地の軍病院 208

2 教育
ローマ時代のそろばん 220
学校での授業風景 223
公衆浴場の中庭 223

おわりに

巻末カラー 233
アッピア街道 234
各地で築かれたローマ街道 236
クラウディア水道 238
各地で築かれた水道 240
「タブーラ・ペウティンゲリアーナ」 242
イタリア地図(ローマ時代/現代) 244
イタリアの主な遺跡 246
      カルタゴの金貨とローマの銅貨
      アウグストゥス帝の凱旋門(リミニ)
      ハドリアヌス帝の別邸(ティヴォリ)
      円形闘技場(ボッツォーリ)
      トライアヌス帝の凱旋門(ベネヴェント)

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ローマ近郊地図(ローマ時代/現代) 248
ローマ市内の主な遺跡 249
      パンテオン
      「真実の口」
      カラカラ浴場
      トレヴィの噴水
ローマ文明博物館のローマ復元模型 250
ローマ市内の遺跡と復元模型 252
ローマ市内の橋 254
ナポリ近郊地図 (ローマ時代/現代) 258
ポンベイ 257
スペイン地図 (ローマ時代/現代) 258
スペインの遺跡 260
      イタリカの円形闘技場
      メリーダの劇場
      アルカンタラの橋
      セゴビアの水道橋
北アフリカ地図(ローマ時代/現代) 262
北アフリカの遺跡 264
      カルタゴ郊外の水道橋遺跡(チュニジア)
      レプティス・マーニャの劇場跡(リビア)
      ランベーズの四柱門 (アルジェリア)
      ティムガッドの遺跡 (アルジェリア)
ガリア(フランス・ドイツ)地図(ローマ時代/現代) 266
ガリア(フランス・ドイツ)の遺跡 268
      ニームの水道橋「ポン・デュ・ガール」 (フランス)
      ニームの神殿「メゾン・カレ」(フランス)
      アルルの円形闘技場(フランス)
      ケルンの城壁の塔 (ドイツ)
      皇帝ネロの記念柱(マインツ/ドイツ)
      トリアーの門 (ドイツ)

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イギリス地図(ローマ時代/現代) 270
イギリスの遺跡 272
      リッチブラの要塞
      セント・オールバンズの円形闘技場
      ハドリアヌス防壁
      パースのローマ浴場
      ドーチェスターの要塞跡
ドナウ河流域地図(ローマ時代/現代) 274
ドナウ河流域の遺跡 278
      ゲルマニクス防壁沿いの要塞跡(ドイツ)
      トライアヌス橋の遺構(ユーゴスラヴィア)
      トライアヌス帝の戦勝記念碑跡(アダムクリシ/ルーマニア)
      ブダペストの遺跡 (ハンガリー)
      ディオクレティアヌス帝の宮殿跡(スプリト/クロアチア)
      「タブーラ・トライアーナ」(ユーゴスラヴィア)
ギリシア地図(ローマ時代/現代) 280
ギリシアの遺跡 282
      「フィリッピの戦い」 の記念像
      アテネに建つハドリアヌス帝の門
      コリントスの浴場跡
      フィリッピ近郊のエニャティア街道
トルコ(小アジア)地図(ローマ時代/現代) 284
トルコの遺跡 286
      アフロディシアスの競技場跡
      アスペンドゥスの会堂
      エフェソスの図書館跡
      エフェソス遺跡内の大通り
      エフェソスの半円形劇場など

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中近東地図(ローマ時代/現代) 288
中近東の遺跡 290
      カエサリア遺跡のアーチ群 (イスラエル)
      マサダの要塞を攻略するために作られたローマの基地跡(イスラエル)
      カエサリアの海岸沿いを走る水道橋 (イスラエル)
      列柱広場 (ジェラシュ/ヨルダン)
      バールベクの神殿 (レバノン)
エジプト地図(ローマ時代/現代) 292
エジプト、キレナイカの遺跡 294
     トライアヌス帝の浴場(シャーハット/リビア)
     トライアヌス帝の記念建造物(フィラエ/エジプト)
     アレクサンドリアの劇場跡(エジプト)
     ボンベイウスの柱(アレクサンドリア/エジプト)
アツピア街道の終点(プリンディシ) 296

参考文献  巻末W
図版出典一覧  巻末T

投げ込み地図 ローマ帝国全図

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2. はじめに
 今回は、著者である私にとっての問題点を、読者であるあなたに向って、はじめから正直にさらけ出そうと思う。もともと著作とは、著者と読者の双方があって成り立つ表現様式だが、この第]巻はとくに、私にはあなたの助けがぜひとも必要だ。というのは、この巻だけは、これまでの9巻と、またこれ以後につづく5巻ともまったくちがう、構成にならざるをえなかったからである。
 仝15巻を予定している『ローマ人の物語』中の一巻を、ローマ人が築きあげたインフラストラクチャーのみに捧げたいという想いは、第T巻の「ローマは一日にして成らず」を書いていた当時から私の頭の中にあった。そしてその巻のタイトルも、「すべての道はローマに通ず」にすると決めていた。社会資本と訳そうが下部構造と訳そうが、インフラストラクチャーくらい、それを成した民族の資質を表わすものはないと信じていたからである。
 とくにローマ人は、インフラの重要性への認識ならば共有していると言ってもよい現代人から、「インフラの父」とさえ呼ばれている民族なのだ。インフラストラクチャーという英語自体が、ローマ人の言語であつたラテン語の、下部ないし基盤を意味する「インフラ」(infra)と、構造とか建造とかを意味する「ストゥルクトゥーラ」(structura)を、現代になって合成した言葉なのである。英語以外の他の言語でも、発音が少しばかりちがってくるだけにすぎない。例えば、ラテン語の長女ともいえるイタリア語では、インフラストゥルットゥーラ(infrastruttura)という。いずれにしても、語源がラテン語にあるということ自体が、ローマ人が「インフラの父」であったという何よりの証明であり、このテーマだけに独立した一巻を捧げる理由は充分にあると思ったのであった。
 ところが、『古代ローマのインフラストラクチャー』と題した著作は一冊もない。インターネットで欧米の有名大学の出版部門にアクセスしてみても、返ってくる答えは「該当作なし」ばかりである。二十世紀は各時代の専門家を動員してそれぞれの専門テーマを書かせてそれをまとめる形の歴史叙述が支配的だったが、この種の通史でも、ローマのインフラだけをとりあげた章すらもない。なぜ誰もとりあげないのだろうと、私は不思議に思ったのであった。と同時に、得意にもなつた。研究者たちが挑戦しなかったことに、私が挑戦しようとしているのだから。
 それが、勉強が進むにつれてわかったのである。研究者たちが挑戦しなかったのは、ローマのインフラの重要性を認識しないからではまったくなく、このテーマを総合的に論ずることの不可能を知っているからだということがわかったのだ。反対に、「すべての道はローマに通ず」と題して一作書くと考え、この思いつきに得意になっていた私は、それこそ、盲、蛇におじず、であったと。
 では、なぜ不可能か。

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 ローマ人の考えていたインフラには、街道、橋、港、神殿、公会堂(バジリカ)、広場(フォールム)、劇場、円形闘技場、競技場、公共浴場、水道等のすべてが入ってくる。ただしこれはハードとしてもよいインフラで、ソフトなインフラになると、安全保障、治安、税制に加え、医療、教育、郵便、通貨のシステムまでも入ってくるのだ。これらすべてをとりあげないかぎり、ローマのインフラを論じたことにはならない。
 ところが現代の学問は、専門化と、そしてその帰結である細分化が特徴である。それゆえに、この″不可能″を克服するために学者たちがとった方法も、誰かが街道をとりあげれば、別の誰かは橋を研究課題にするという具合の細分化であった。そして、細分化の行きつく先が技術論に向うのも当然で、ローマのインフラの何か一つを技術面でとりあげた研究書ならば、ゴマンとあるというのが現状になった。
 しかし、研究者の世界でのこの現状は、素朴であるがためにかえって根源的としてもよい、疑問には答えてくれないことになる。ローマ人はなぜ、人が踏み固めた道ならばすでに存在していたにかかわらず、わざわざ膨大な資金と労力を費やしてまでローマ式の舗装道路を敷きつめていったのか。また、そばをテヴェレ河が流れ、七つの丘のそれぞれからしみ出す水の処理法を考えざるをえなかったほどに水に不足しなかったローマであるのに、ローマ式の水道工事に労力を費やしてまでわざわざ遠方から水を引いてくることを考えたのか。これらの根源的な疑問には、少しも答えてくれないことになったのであった。
"不可能"の理由の第二は、叙述の困難さにある。歴史とは、歴史という名の河川の上流から下流に向けて諸々の事象が流れるから書けるのだが、インフラをテーマにするや、それらが流れなくなってしまう。言い換えれば、時代を追って叙述することができなくなる。街道を例にとるだけでも、紀元前三世紀から紀元後五世紀までの八百年間を、行ったり来たりしないかぎりは書けない。
 要するに、ローマ人が築きあげたハード・ソフトとものインフラをとりあげようとした場合に直面する困難とは、ヨーロッパ、中近東、北アフリカにまたがるローマ世界と、一千年を越えるローマ時代という、空間的にも時間的にも広大な範囲を、自在に泳ぎまわるに似た能力を求められるところにある。これをやっていたのでは、専門分化がいちじるしい現代の学界では非学問的と断定されかねないので、学者たちはやりたくないのだと思う。また、それでもなお挑戦した場合でも、あまりに広大なテーマであるだけに、結果は表をなでた程度で終る危険性は大なのだ。
 この難問は、学者ではない私の場合でも、無視は許されない問題であった。なぜなら、執筆時にすでに困難をともなわないではすまないということは、それを読むにも困難をともなわないではすまない、ということになるからである。売文業にすぎない私の仕事にとっては、明らかに不利だ。私の場合は、書いた結果が眼もあてられないものに終る危険性大に加え、読み通してもらえない危険性も大になるからである。私の得意はたちまちしぼみ、専門家でさえも挑戦しようとしない困難なテーマに私ごときが挑戦できるはずはないと、「すべての道はローマに通ず」と遺する一巻は、断念するしかないだろうと思いはじめていたのであった。それが、あることを調べているうちに変わったのである。

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 ローマ人は、現代人から「インフラの父」と呼ばれるほどインフラを重視した民族だった。インフラストラクチヤーという合成語をつくるときも、ラテン語から引いてくるしかなかったほどに、ローマ人とインフラの関係はイコールで結ばれていると言ってよい。すべての道はローマに通ず、の一句は、誰もが知っているように。
 ならばそのローマ人の言語であるラテン語に、「インフラ・ストゥルクトゥーラ」という言葉そのものがあって当然と思うが、それがないのである。なかったから、現代になってつくらざるをえなかったのである。
 しかし、あれほどの質と量のインフラをつくつておいて、それを表現する言葉がないというのはおかしい。言語とは、現実があって、それを表現する必要に迫られたときに生れるものだからである。そう思いながら探してみたら、ある言葉にぶつかった。「モーレス・ネチェサーリエ」 (moles necessaire)という。日本語訳を試みれば、「必要な大事業」とでもなろうか。しかもこの言葉を用いた文章の一つでは、「必要な大事業」の前に、「人間が人間らしい生活をおくるためには」という一句があった。つまり、ローマ人はインフラを、「人間が人間らしい生活をおくるためには必要な大事業」と考えていたということではないか。
 このことは私を、しばらくの間考えこませるに充分だった。それまでずっと私の頭にあった言葉は、現代になっての合成語であるインフラストラクチャーの語源としての、「インフラ」(下部)と「ストウルクトゥーラ」(構造)であったのだ。と同時に、歴史学者たちの言う、「ローマ文明の偉大なる記念碑」という讃辞だった。
 ところが、当のローマ人の書いたものの中には、文献にかぎらず碑文の中にも、後世に遺す記念碑を意味するような語は一つもない。ローマ人は、後世への記念碑を遺すつもりであの大事業を行ったのではなく、人間らしい生活をおくるためには必要だからやったのだ。それが結果として、ローマ文明の偉大なる記念碑(モニュメント)、になったにすぎない。
 私は、この考えにたどりついたときはじめて、いかに不充分な結果に終ろうとも、ローマのインフラのみをとりあげた一巻は書かねばならない、と思ったのであった。
 もう一つ、書こうか書くまいかで迷っていた時期の私を、その迷いからふっ切らせたエピソードがあった。数年前だったが、将来の首相候補と世評の高かった日本の政治家の一人と会っていたときだ。その人は私に、総理大臣になったら何をすべきと思うか、とたずねた。私は即座に答えた。
「従来のものとは完全にちがう考え方に立った、抜本的で画期的な税制改革を措いて他にありません」
 そうしたらその人は言った。税の話では夢がない、と。私は言い返した。「夢とかゆとりとかは各人各様のものであって、政策化には欠かせない客観的規準は存在しない。政治家や官僚が、リードするたぐいの問題ではないのです。政治家や官僚の仕事は、国民一人一人が各人各様の夢やゆとりをもてるような、基盤を整えることにあると思います」
 その後に発表されたこの人の政見を読めば、私の助言は無駄に終ったことはわかったが、このエピソードは、ローマ史を書くうえでは役に立ったのである。なぜなら私に、次のことを考えさせたからであった。
 古代に生きたローマ人は、「公」と「私」の区分を、どのように考えていたのか。そして、この疑問への解答は、これらローマ人が、「人間らしい生活をおくるためには必要な大事業」と定義していた彼らのインフラをとりあげることで、得られるのではないかと考えたのである。

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 それで、読者であるあなたにお願いしたい。
 お願いの第一は、書くのが困難であるからには読むのも困難であるはずで、一気に読了するとか手に汗にぎるたぐいの快感は、戦闘描写の多かったU、W、X巻を読むときのものとでも思って、今回だけはこの種の快感は期待しないでほしいということである。
 お願いの第二は、読むあなたの頭の中に、二千年の歳月を収めてほしいということだ。ローマ街道の話かと思っていたら、十九世紀半ばからの鉄道に話がとぶなどは、ほんの一例にすぎない。
 お願いの第三は、同じくあなたの頭の中に、世界全図を収めてほしいということである。西方の大国のローマと東方の大国であった支那の比較論を読まされても、抵抗なく受けとめてもらえるように。
 第四だが、インフラというテーマの性質上、文章で説明するよりも図や写真で示したほうが理解が容易な場合が多い。それゆえに、膨大な数の地図や図面や写真を載せざるをえなく、おかげで書物らしくない書物になってしまったが、それは許してほしいとお願いしたい。この巻だけは性質がちがうことを示すために、表紙の装幀も変えたほどである。
 要するに私は、読んでくれるあなたに向って、まだ読みはじめもしない前から、覚悟してください、と告げているのだから、著者としてはこれほど奇妙な言明もないことになるが、迷いに迷った末にしても、やはり書くべさだと思ったのだからしかたがない。だが、一つ一つの説明にしんぼう強くつき合い、しかも地図や図表を参照しながら読み進む労を惜しまないでくれるならば、あることだけは約束できる。
 すべての道はローマに通ず、の「道」とは、道路の意味だけではないことを、そしてそれが、ローマ人の真の偉大さであることを、あなたにわかってもらえることだけは約束できる。

3. おわりに
 社会資本、基礎設備、下部構造を意味するインフラストラクチャーを、ローマ史を勉強していくうちに私は、個人ではやれないがゆえに国家や地方自治体が代わって行うこと、と考えるようになった。そしてこのインフラを、ローマ人の定義ならば、人間が人間らしい生活をおくるためには必要な大事業、を、ハードとソフトに二分したのである。ハードなインフラとは、建造物の形をとっているので眼で見ることができるもの。ソフトなインフラとは、システムであるがゆえに眼では見られないこと。両者を具体的に列記すれば、次のようになるかと思われる。
 ハードなインフラ−交通手段としての街道。橋。港湾。神殿。宗教施設としては、集会や裁判が行われ公共図書館もあるところから、市民生活の中心であったとしてよいフォールム(広場)とバジリカ(公会堂)。娯楽施設としては、ギリシア式そのままの楕円形競技場。これまたギリシア式の半円形劇場。ローマのコロッセウム・スタイルの円形闘技場。そして、衛生面での効果も無視できなかった、上水道。下水道。公衆浴場。
 ソフトなインフラ−安全保障。治安。税制。通貨制度。郵便制度。貧者救済のシステム。育英資金制度。そして、医療。教育。

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 ローマ時代では、これらのすべてを備えていないと、都市とは認められなかった。事実、研究者たちの作成になる帝国内の各都市の復元地図を見ていて思うのは、これではミニ・ローマではないか、の一句につきる。帝国の首都ローマは、インフラ面でも他の都市のモデルであったのだ。
 だが、この巻での私は、これらすべてのインフラに言及していない。多くのことはこれまでの九巻で取り上げているからで、しかも最重要のインフラと思う安全保障、ローマ人の言葉を使えば「securitas」に至っては、毎巻必ず言及してきたし、第]T巻以降も取りあげつづけるだろう。それは、ローマ皇帝の三大責務とされた、安全保障、内政、公共事業のうちの最初にあげられるほどに重要であったからで、ローマ皇帝は、主戦力・補助戦力合わせて30万になったローマ全軍の、最高司令官の地位も占めていた。それにローマの皇帝とは、公式には、ローマ市民権所有者と元老院という有権者から統治を委託されてその地位に就いている。統治者の責務は、被統治者に安全と食を保障することであると考えられていた。「食」は、「職」の保障である。そして、「食」であろうと「職」としようと、その保障は、「安全」が保障されてはじめて実現する。それゆえに、人間の生活にとって最も重要なことは、古今東西一つの例外もなく、安全保障(セクリタス)なのであった。現代でも、戦乱のつづく地帯に住む人々の苦しみを見れば、このことを納得してもらえるだろう。
 この最重要責務を、ローマ人は皇帝に委託したのだ。われわれが「皇帝」と訳している「インペラトール」という言葉がもともと、兵士が自分たちを率いて闘って勝った、司令官に贈った尊称である。だからこそ、帝政以前の共和政の時代にも、「インペラトール」は何人もいたのだ。首都での凱旋式挙行を許されたのも、この人々だった。それが、帝政移行後は最高統治者は最高司令官も兼ねるのが通例になったので、治世中に一度も軍を率いなかった最高統治者でも、「インペラトール」つまり「皇帝」で定着したのだった。
 皇帝という言葉だけでも、かほども重要な意味をもっていたのがローマ時代である。このローマでは、通史を書くことは軍事史を書くことにならざるをえない。蛮族の侵入ひとつ取っても、帝国末期に蛮族が突如出現し、侵入してきたのではない。蛮族は常におり、しかも常に侵入を試みていたのに、「インペラトール」たちに撃退する力があった間は、侵入できなかったにすぎないのである。
 また、この巻で取りあげなかったのは、安全保障にかぎらない。ハードなインフラとしては、港湾、神殿、バジリカ、フォールム、半円形劇場、円形闘技場、競技場については言及しなかった。その理由は、これまでの九巻のどこかですでに、それを建設した有力者や皇帝を語った巻で物語っているからである。フォールムについては、カエサルを語った第V巻で、円形闘技場については第[巻で、という具合である。
 そして、ソフトなインフラでも、治安、税制、通貨制度は取りあげなかった。これらに関しては、すでに第Y巻で詳述済みであるからだ。なにしろ第Y巻の主人公であるアウグストゥスは、初代皇帝の名に恥じず、帝国の基盤のすべてを築いてしまった人なのであった。
 それゆえこの第]巻では、ローマ時代のインフラと聴けば誰もが思い浮べる、街道と橋と上下水道に話を集中することができたのである。とはいえ、これらこそ、ローマ時代のインフラの代表でもあったのだが。
 現代でも、先進国ならば道路も鉄道も完備しているので、われわれはインフラの重要さを忘れて暮らしていける。だが、他の国々ではそこまでは期待できないので、かえってインフラの重要さを思い知らされる。水も、世界中ではいまだに多くの人々が、充分に与えられていないのが現状だ。
 経済的に余裕がないからか。
 インフラ整備を不可欠と思う、考え方が欠けているからだろうか。
 それとも、それを実行するための、強い政治意志が、欠けているからであろうか。
 それともそれとも、「平和(パクス)」の継続が保証されないからであろうか。
                                      2001年・秋、ローマにて記す

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4. インフラの専門家も驚嘆する作品   下河辺 淳
「それでは今から、私は書きはじめ、あなたは読みはじめる。お互いに、古代のローマ人はどういう人たちであったのか、という想いを共有しながら」。そうして彼女は1992年の7月7日誕生日に「ローマ人の物語T」を発行した。テーマは「ローマは一日にして成らず」であった。
「ローマ人の物語」は一年一冊で15年間に完成させると決めて始められたもので、2001年に第]巻が発行された。
 テーマは「すべての道はローマに通ず」であり、古代ローマのインフラを中心に千年にもわたるローマの歴史を描く。古代ローマの繁栄を支えたのは、周到に考え抜かれたインフラ整備であるという視点に立ち、インフラ論を展開した。中身としては、インフラがテーマであることから、地図、図面、風景など色刷りのページが多く文章が少なくなっている。専門家達は、文章にも助けられるが、視覚的に見られることに感動をおぼえるに違いない。
 インフラの整備について知るはずのない作者が、膨大な文献や資料を勉強し、かつしばしば現地を旅して想作したものであり、専門家が驚嘆する作品となっている。
 そもそもインフラストラクチャーを論ずるためには、科学、美学、神学に見識を持ち、技術、美術、芸術に体験をもつ専門家について、その人物の思想と実践をさぐらねばならない。
 作者は第]巻を書くにあたって、現代日本のインフラストラクチャーの専門家に尋ね、専門家が古代ローマのインフラにどのような関心、興味を持っているのかを知りたがっていた。私にも連絡してきた。
 このような作者の仕事は、フィレンツェに住み、最近はローマに住み、息子のアントニオ君と暮らして、七つの丘の森の中に生活し、古代ローマの古文書を求めることができるというすばらしい環境の中で続けられている。この恵まれた環境の中で、とにかくよく勉強して、毎日知識を蓄積して、その勉強の成果を一気に作品にしたてあげる姿はすばらしいものである。十巻におよぶ作品はローマ人を愛した作者そのものの人間としての表現であると思う。
 ところで]巻であるが、ローマ人の考えているインフラとは、街道、橋、港、神殿、広場、劇場、円形闘技場、競技場、公共浴場、水道等に加え、安全保障、治安、税制などのシステムと医療、教育、郵便、通貨のシステムまで入ってくるので、とても全体を論ずることは不可能で、作者の関心のある分野に限られざるを得ない。
「人間が人間らしい生活を送るためには必要な大事業」という視点に立って、第一に街道を取り上げている。道路構造の説明は面白い。第二は橋である。必要性に加えて名誉心とか誇りがプラスされていることが面白い。第三には交通システムを論じている。ローマの平和の基礎として面白い。さらに地図情報論を展開し、旅行用の銀製のコップが面白い。道路の地図も今日で言えばデジタルアニメーションでマンガ的技法であるのが面白い。第四は水道である。紀元前312年はインフラ元年であり、高架の水道アッピア水道が最初の水事業であった。みごとな建設は面白い。
 第二部はソフトなインフラとして、医療、教育を取り上げている。しかし私は医療、教育ともにソフトとハードの両面を持つものだと思う。ローマの時代にインフラは設計図があって入札事業となっていたのか。設計図なしでどうして工事を進めたのか。知りたいことのひとつである。
 一方でローマ人達の測量の技術はすごく進んでおり、現場型の測量により専門家が指示してつくっていたのではないだろうか。天候、気象等の情報を現場で生かすことについても優れていたのではないかと思う。
 読者のひとりであり、インフラの日本の専門家のひとりとして、ローマ人の物語第]巻に感謝する。
 現代日本のインフラストラクチヤー論争に一石を投じたものとして高く評価したい。
 全15巻の完成のためにもうひとふんばり頑張ってほしい。心からの支援を送る。
 (しもこうべ・あつし 元国土事務次官・東京海上研究所顧問)
 (出典 「波」2002.1 新潮社)

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5. 道路・水道、インフラ整備に焦点

 人類の文明には二つの傾向がある。社会的な主観性を尊び抽象的で形而上的な価値に埋没した時代と、科学的な客観性を重んじ具体的な物財の豊かさを追求した時代である。前者は農業のはじまりから土地改造技術が普及するまでの「始代」と宗教的身分社会が拡がった中世であり、後者は写実芸術や科学技術が発展した古代と近代だ。
 相似た文明的発想の古代と近代には類似点が多い。人口は急増し建造物は巨大化し、生産と物流は大量化する。国家は強力であり、技術と経済に勝る国が軍事的にも強い。こうしたことは古代の文明圏に共通だが、中でも典型的なのがローマである。
 塩野七生氏の「ローマ人の物語」全十五巻(予定)は、そんなローマの歴史を穿(うが)つ大作だが、特に第十巻『すべての道はローマに通ず』は興味深い。ローマ人が最も得意としたインフラストラクチャ、道路網と水道施設の建設と使用を近代的な具体性と正確さで描いている。
 古代帝国はみな道路建設に熱心だったが、数百年にわたって全領域に幹線だけで八万`も同じ規格と工法で造り上げたローマ人の計画性と持続性は圧倒的だ。道路建設は主として、軍隊が行ったという。ローマの軍団はみな工兵機能を備えていたのだが、その組織論的記述は乏しい。また、軍隊に擁立されることの多かったローマの皇帝が、工事に当たった兵士にどう報いたかも気になるところである。
 ソフトなインフラとして塩野氏は、医療と教育にも言及しているが、財政と経済への影響は不明である。軍隊が工事に当たったので支出が特定できないのは尤(もっと)もだが、大道路網の費用対効果分析は経済史家のテーマというべきであろう。
 川を渡り谷を越えて直線で進むローマの道造りには、自然に対する優しさや畏敬の念は見られない。人類の技術と努力への自信が漲(みなぎ)っている点こそ古代文明的である。だがそれがやがて森林破壊を生み古代文明を消滅させた。塩野氏の健筆が、その辺をどう描くかはこれからの楽しみである。(新潮社・3,000円)       作家 堺屋 太一
(出典 日経新聞 2002.1.20)

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6. 繁栄支えたインフラに迫る快作  [評者]北岡伸一
 塩野七生氏の『ローマ人の物語』第十巻は、これまでのように皇帝や英雄ではなく、インフラストラクチャを主人公にしている。インフラを中心とした一巻を書き、それに「すべての道はローマに通ず」というタイトルをつけることは、最初からの構想だったと言う。
 ところが、意外なことにはとんど参考書はなく、大いに苦労をした、しかも二千年を行き来して、読者は読みにくいだろうが、我慢して読んでほしいと、著者は冒頭で異例のお断りをしている。しかし、これは出色の巻である。
 本書で取り上げるインフラは、ハードでは街道、橋、水道、ソフトでは医療と教育である。なかでも圧巻は街道である。「すべての道はローマに通ず」というよりは、「すべての道はローマに発す」という考え方で、主要街道はローマから目的地まで可能な限りまっすぐに、総計八万`建設された。中央に幅四b強、対向二車線の車道があり、その両側に排水溝と幅三bの歩道がある。車道は四層の基礎の上に七十a四方の大石を隙間なくはりつめ、排水のため、ゆるやかな弓形となっている。両側の樹木は切り倒して見通しをよくし、また根が伸びて道路にひびが入るのを防ぐ。道路の脇には石のベンチや墓やマイル塚があり、その外側には松や杉が植えられた。
 街道沿いには馬の交換所、飲食所、旅宿が配置された。街道は軍事や郵便だけでなく、一般の旅客にも利用され、そのための見事な地図があった。街道は古代の高速道路であって、人類は十九世紀に鉄道を敷設するまで、これより速い交通手段を知らなかった。それは、ローマの衰退でメンテナンスがなされなくなっても三百年ほどは機能を発揮していた。要するに、ローマの街道は機能的であり、堅固であり、美しかった。それは誰が建設を決定したのか、誰が作ったのか、財源は何だったのか。こうした疑問にも、著者は明快に答えてくれる。
 もっとも興味深いのは、こうした見事なインフラを作り出した思想である。
 著者によれば、ラテン語にはインフラストラクチャという言葉はない。あるのは、「人間が人間らしく生活するのに必要な大事業」という言葉である。それこそが国家の仕事であった。また富裕者や権力者は、それを負担して国家と人民への贈り物とした。ローマ人の考えた「公共の利益」は、日本における私益の積み重ねとしての公益と、著しい対照をなしている。
 その他、橋や水道についての説明も面白いし、カラーの図版や写真も六十n以上あって、効果的で美しい。(東大教授)
(出典 朝日新聞 2002.1.20)

7. 読後感
 塩野七生さんの本にはいつも感心していますが、この本はまた格別です。
 専門でもないインフラの分野に深く突っ込み、インフラに対するローマ人の考え方を説明し、現代の文明批判にもなっていることです。
 まずインフラをハードとソフトに分け、各々必要と思われる項目を列挙し、それぞれについて説明しています。どの項目を採り上げるかが、まず重要です。また説明のため図、写真などを多く使っているのも本巻の特徴です。
 数年前にスペインに行ったときローマ時代の水道橋を見る機会がありながら、見られなかったのが、今回(2002年)のフランス周遊ではアヴィニョンの近くにあるポン・デュ・ガールを見ることができました。偶然とは言いながら改めてローマ人の偉大さを知ることができました。

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[Last Updated 6/30/2002]