山の辺の道



山の辺の道

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 飛鳥旅行の第3日は「山の辺の道」でした。橿原神宮前から近鉄で大和八木に出て桜井まで行き、JR桜井線で三輪に出て歩き始めました。
 三輪山の麓にある大神神社を参拝し、バス道路沿いに景行天皇陵、崇神天皇陵を廻りました。途中、山の辺の道をたどったところ、遠景の見える里道で、とても心を和ませる景色でした。バスで再び桜井に戻り、未だ時間があったので安倍文殊院、土舞台を巡りました。
 三日間かけた飛鳥の旅をしめくくる、良いコースでした。
 

山の辺の道コース
         
詳しくは地図を参照して下さい。


大神神社
1 大神神社(おおみわじんじゃ) [三輪明神(みわみょうじん)]

 背後の三輪山が御神体。樹木につつまれた境内に本殿はなく、拝殿と三ツ鳥居があるのみ。酒と薬の神様として知られ、造り酒屋の軒を飾る杉玉は三輪山の杉で作る。

景行天皇陵
2 景行天皇陵 (渋谷向山古墳)

 3段に構築された前方後円墳。周囲には濠がめぐらされ、このあたりの古墳群の中でも最大級。景行天皇は、ヤマトタケルの父にあたり、周辺には陪塚がいくつもある。

崇神天皇陵
3 崇神天皇陵 (行灯山[あんどんやま]古墳)

 権力を象徴するかのような全長約240mの壮大な前方後円墳。御陵をとりまく老松が美しく、山の辺の中でも最も大和らしい風景。
安倍文殊院
4 安倍文殊院 (あべもんじゅいん)

 日本三文殊のひとつ。知恵の仏様として親しまれ、合格祈願の受験生が多い。本尊の文殊菩薩像は高さ約7m、大きな獅子に乗った巨像。鎌倉時代、快慶作。

土舞台
5 土舞台

聖徳太子が少年を集めて伎楽舞を習わせたところ。伎楽とはインドなどに伝わる仮面劇のことで、わが国初の国立演劇研究所といえる。10月には篝(かがり)能が開催される。

出典 「山の辺の道」 近鉄 発行
天声人語
 「大和は 国のまほろば たなづく 青垣 山隠(こも)れる大和うるはし」
▼濃い緑。淡い緑。その中に、シイの木の花の沸き立つような黄色がまじる。キリや山フジの紫も目にまぶしい。奈良盆地は、幾重にもめぐらされた木々の垣根の底に、うっすらとかすんでいる。
山麓をはう「山の辺の道」は今この歌がぴったりの季節である。
▼連休の一日、古代の国道1号ともいえるこの道を、桜井市から天理市まで15`はど歩いた。道沿いには古墳や神社がたくさんあり、ひとときのタイムスリップを味わえる。景行天皇陵古墳もその一つだ。
▼古事記によれば、冒頭のは、景行天皇の皇子ヤマトタケルノミコトの望郷の歌である。父に命じられた東征の帰路、能煩野(のぼの。三重県)で力つきたヤマトタケルは、ついに帰らぬ人となる。日本書紀はこの歌を景行天皇の作としている。でも、悲劇の主人公が死に臨んで美しいふるさとに思いをいたした、という方がずっと魅力的だ。実際は、民衆に歌い継がれた歌謡だったのだろうが、山の辺の道を歩くと、史実より物語を優先させたい気持ちになる。
▼大和三山を一望するスポットでは、万葉集の一句が浮かんだ。「香具山(かぐやま)は 畝傍(うねび)ををしと 耳梨(みみなし)と 相あらそひき……」
▼いつの世にもある三角関係である。畝傍山が女性で、香具山と耳成山(みみなしやま)が男性だとばかり思っていたが、香久山が女性という解釈もあると知った。そういわれてみれば、この山はゆるやかで、やわらかい。はてどちらがどちらか、などと思い巡らせるのも、散策の楽しみだ。
(出典 朝日新聞 2002.5.4)

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[Last Updated 11/30/2005]