おやぶん古文



『検定絶対不合格教科書古文』を書いた田中貴子は、斉藤美奈子や高田里恵子と同類だ。

第1部では、新課程の教科書によく取り上げられている作品をまな板にのせ、新しい読み方を提示する。たとえば、『宇治拾遺物語』の「児のそら寝」に出てくる児やかいもちひが題材となる。やや重箱の隅の趣あり。

第2部では、教科書に載らない古文を取り上げる。正岡子規『仰臥漫録』、尾崎紅葉『金色夜叉』、式亭三馬『酩酊気質』など。作品の配列は、明治から古代へとさかのぼる。

擬古文も読めない子がいるので、明治の作品を古文の導入に使うのは、いい方法だ。私なら泉鏡花『高野聖』と樋口一葉『たけくらべ』を使いたい。さらに、『たけくらべ』の前フリに美内すずえ『ガラスの仮面』の劇中劇でも読ませようか。

第3部の論説編では、「国語教科書の古文、ここがヘン!」と息巻く。学習指導要領は、10年に1回くらいのペースで改訂される。2003年改訂の新課程で学んだ生徒たちが、大学に入ってくる。それに対応するには、講義や演習の難易度を按配しなければならない。このことが本書を書くきっかけになった。

もう少しさかのぼれば、1982年以降に古文を学んだ人は、それ以前よりも確実に学力低下しているはずだ。もっと上の世代が使った小西甚一『古文研究法』を見ると、かなりハイレベルな受験参考書だ。

私も平安期の作品と文法偏重が不満だった。がまんできずに文学史の観点から、いろんな文章をついばんでみた。しかし、いくら多読しても、精読できるようにはならない。これは英語でも同じ。今から思えば、勉強のやり方を知らなかったのだなあ。

円地文子の手引きで『枕草子』を読んだのが、古典文学との出会いだった。その後、現代語訳付きの文庫を買い集めたのだけど、ながめるばかりで1冊も読まなかった。能も浄瑠璃も観なかった。北島マヤが学んだ「八百屋お七」は知ってても、常磐津と清元の区別がつかなかった。けっきょく、古典志向ではあっても、古典大好きではなかったということか。

授業では、難解な『源氏物語』はもっと軽く扱い、その代わり『世間胸算用』で大晦日の町人の姿や、『万葉集』を題材にして歌垣について、たっぷり教えてほしい。そんなことを考えながら先生の話を聞く、ちょっとなまいきな高校生でした。

著者は藤原・斉藤コンビがお気に召さないようで、チクリとやっているが、「古典とは何か、それを教えるとはどういうことか」について論じていない。次著では、ぜひ本丸に攻め込んでほしい。

田中は、生徒と教師をしばる教科書が問題だと言うのだが、不足する分は副教材で補うことができる。古文を学んでから長いときをへた今でも、教壇で「あやしうこそものぐるほしけれ」や歌舞伎について語った姿が目に浮かぶ。問題は、教科書の良し悪しではなく、教師の熱のあるなしではないのかな。

  • 検定絶対不合格教科書古文 田中貴子 朝日新聞社 2007 朝日選書817 NDC375.9 \1400+tax

(2007-12-02)