ないものねだり



高橋睦郎『読みなおし日本文学史』を一気に読む。こういう本はゆっくり読むと途中で挫折する。

わが国の文学の歴史はつまるところ詩歌の歴史、こと日本語に限っていえば歌の歴史、すくなくとも歌を中心にした歴史といっていい。この歌の歴史を象徴するものは、天皇の名のもとに撰上された歌の集成、勅撰集だ。(p36)
古来からうたが神聖なものとされてきた。それで、壬申の乱によって近江の天智朝を倒し大和に政権を打ち立てた天武天皇は、稗田阿礼に帝紀・旧辞の誦習を命じた。うたによって王権を正統化しようとした。それから30年以上かけて完成したのが「古事記」だ。

本書では、天武の勅命をもって勅撰集のはじまりとし、「万葉集」を挫折した勅撰集であると位置づけている。

高校のときに使った参考書を引っ張り出してみると、「万葉集」が二十一代集に含まれていない理由が書いてある。 桓武天皇が長岡に遷都したのちも、土木工事は続けられていた。その工事の総監督が中納言藤原種継。彼が暗殺された事件は、大伴氏のクーデターとみなされ、すでに死んでいた大伴家持までも処罰された。それゆえ彼がかかわった「万葉集」までも影が薄くなったのではないかと。

古文もろくに読めないのに、なぜか文学史に興味を持ってしまい、「万葉集」のうたをついばんだ。
韓衣裾に取りつき泣く子らを置きてぞ来のや母なしにして
妻に死に別れた男が防人となり、残った子どもがどうなるものだろうか。いかに文法力ゼロでも、映画のワンシーンを見るかのように感じた。3年の任期を無事におえて、子のもとに生還してほしい。そう願わずにはいられなかった。

もし家持が役目につかなかったら、万葉集に防人の歌など載せられなかっただろう、という16歳のときのメモを見ながら、今これを書いている。

さて、流浪漂泊と無名性が文学の理想的なありようだ、と著者は言う。歌枕は神の聖地だったからこそ大切にされてきた。能因、西行、そして芭蕉。
こもをきてたれ人ゐます花のはる
本歌取りの定式は、物語にもあった。
物語の主人公はかならずますらお型かみやびお型かのいずれかに属し、そのどちらもさすらいびと型としてさすらう。そしてその運命にはかならず歌が付いてまわる。(p111)
みやびお型は、「伊勢物語」、「源氏物語」、「好色一代男」。ますらお型は、「平家物語」、「西行物語」、「徒然草」、「世間胸算用」。この区分からすれば、私はますらお型の作品にひかれる。

「好色一代男」は、地の文に俳諧の文体を取り込んだ詩的散文であり、この時代の本歌取りは俳諧、それも地の文に取り込んだ俳諧であるべきだと西鶴は考えた。

著者は、俳諧とは俳言をもってする連歌なり、というアバウトな定義を引いている。もしかしたら、私が書く文章は「俳諧の文体を取り込んだ散文」に近いのかもしれない。詩的であればさらなり。 (2007-05-09)