ことばの伝承



 「文学界」(2006年7月号)で国語再建という特集を組んでいる。トップバッターは、藤原正彦と斎藤孝の対談だ。これは掲載誌を間違えたとしか思えない。文芸誌の読者は、このレベルで満足できるのか。

 さすがに編集者もバカではないので、白川静「文字政策は漱石の時代を目標とせよ」、荒川洋治「言葉をめぐる12章」、石川九楊「まず筆の持ち方を教えよ」を載せている。

 白川は、戦後の文字政策の誤りを指摘し、漢字は2500あれば足りると言う。荒川は、
読書を語るなら、先生はしぶしぶ読んだ名作の話をするのではなく、先生がこれまでに読んだ本を、正直に語ることである。その読書のようすがどんなに悲惨、貧相なものであっても、それでいいと思う。ひとりの人間が、正直に自分の読書を公開する。すなおな自分を見せることがたいせつだ。(p131)
 といじわるな意見を述べている。

 石川にいたっては、小学1年生から毛筆教育を行えと提言している。私の親は「読み書き算盤」という昔ながらの教育方針だったので、低学年から毛筆になじんではいる。永字八法も知っていた。残念ながら変化二十四法は初耳。もっと残念なのは、達筆になれなかったことだ。

 さて、藤原は似たような内容で安野光雅とも対談している。『世にも美しい日本語入門』によれば、お茶の水女子大で開いている1年生向けの読書ゼミでは、1週間に1冊岩波文庫を読む。新渡戸稲造『武士道』、内村鑑三『余は如何にして基督信徒となりし乎』、岡倉天心『茶の本』、福沢諭吉『学問のすすめ』、宮本常一『忘れられた日本人』など。
日本というのは文学王国であって、現在でもあらゆる学芸の中で飛び抜けて良いのが文学だと思うんです。それから数十歩遅れて数学ですね。それからまた数歩遅れて物理とか化学とか生物です。(p73)
 この自信のある言い切りの源泉は、英米での研究生活にある。とくにイギリスの紳士たちとの交流により、ユーモアの大切さを痛感した。
 日本には落語がありますが、落語のユーモアは大したものと思います。イギリスの紳士のユーモアと同じです。自分や人生を笑い飛ばす、しかも笑わずに笑い飛ばす、という類いのユーモアです。日本人はそれを落語で鍛えていますから、ユーモア民族です。(p112)
 ちなみに、アメリカ人のジョークはオヤジギャグだそうです。

 ケンブリッジに招かれるくらいだから、藤原さんもひとかどの数学者なのだろう。学生の指導もうまそうだ。この本を若い女性が読むかどうかはわからないが、功成り名を遂げた老人の特権を行使した放言系の1冊として楽しめた。

 せっかく文芸誌を手にしたのだから、上原隆「つらいもまた良し」も読んでみた。丸山真男からは「失敗した体験を胸に刻みこみ、二度と同じことは繰り返さない」ことを学んだ。しかし実践に失敗し、荒川洋治から「つらい体験をして、そのことを何度も反芻していて、元気のない感じの人には、そのことで品位が備わってくるのだ」となぐさめられた。というようなことが書かれている。

 ふだんは読まない雑誌だが、たまには誌上徘徊もしてみるものだ。思わぬ発見があった。 (2006-07-30)