街に貸本屋があったころ



 街にはレンタルのビデオ・CDショップはたくさんあるのに、貸本屋はない。マンガ喫茶もあるけど、マンガは家で寝転んだりしながら見たいので、やっぱりレンタルに限る。近所に貸本屋があればいいのに、といつも思う。

 貸本屋「ゆたか書房」のせがれ長谷川裕は、どっぷりと貸本マンガにつかって育った。そしてついにマンガの仕入れをまかせられるようになる。貸本屋をいとなむ親よりも、子どものほうが面白いつまらないを的確に判断できるからだ。

 そんな彼が書いた『貸本屋のぼくはマンガに夢中だった』を読むと、当時の貸本屋家業のようす、はやったマンガなどがよくわかる。ゆたか書房は、貸本屋ブームの頂点である1957年に開業する。そしてブームに乗って2号店までオープン。しかし10年もたたずにそのブームは去り、すっかり斜陽となってしまう。

 家業が傾くさまとともに描かれる東京の風景の移り変わりには、どこかせつなさを感じる。時代の流れに合わせて成長していく著者は、いろんな貸本マンガとであっていく。またそれはマンガの歴史とも重なっている。ちょっと紹介してみよう。

 50年代の後半は、「続・猿飛佐助」の杉浦茂、「サザエさん」の長谷川町子、「轟先生」の秋好馨、手塚治虫が好きだった。杉浦マンガでマンガの本質を知り、手塚の一連のカタストロフィもの(「来るべき世界」、「太平洋Xポイント」、「地球を滅ぼす男」、「大洪水時代」など)に魅了された。そして手塚マンガは劇画の生みの親であった。

 しかし60年代に入ると、手塚マンガにさめてしまう。それまで緊密だった描線が単調となり、艶を失ってしまったからだ。そして世の中供(大人でもなければ子供でもない、微妙な年齢の読者層)たちは、拳銃アクションに熱中する。そのころ彼の姉とともに選んだマンガ家のベスト5は、手塚治虫、白土三平、ちばてつや、長谷川町子、永島慎二だった。5人のうち4人はメジャーな作家であり、貸本マンガ家ではない。貸本ばかり読んでいる子どもが、ちっともその質を評価してないところがおもしろい。

 そんな彼を夢中にさせた劇画が、白土三平の「忍者武芸帳」である。そしてこの作品を知ることで、それまで神様だった手塚治虫は、粉々に粉砕されてしまう。もう一つの作品との出会いもこのころだ。それは水木しげるの「河童の三平」(兎月書房版)である。彼はこの作品を貸本マンガの最高傑作と位置づけている。
 戦後マンガは、水木しげると手塚治虫のあいだにだいたいおさまってしまうように思える。白土三平も、つげ義春も、さらには大友克洋も、岩館真理子も、高野史子も、さらには内田春菊もだ。そうであるがゆえに、「河童の三平」は貸本マンガが残した最大の仕事だと、私は考えるのである。
 60年代の後半に、貸本屋はほとんどこの世から消えてしまった。しかし貸本マンガの伝統は、雑誌「ガロ」に受け継がれたという。そして今も、高野文子内田春菊、岡田京子、西原理恵子、青木雄二、畑中純、古谷実、業田良家、望月峯太郎の中にいきつづけていると。

  • 貸本屋のぼくはマンガに夢中だった 長谷川裕(ゆたか) 草思社 1999 NDC726.1 \1600+tax

  • 幻の貸本マンガ大全集 文芸春秋編 文芸春秋 1987 NDC726.1
     1960年ころの作品集。小島剛夕、平田弘史、白土三平の時代劇がおもしろい。

  • 河童の三平 水木しげる 筑摩書房 1988 ちくま文庫 NDC726.1
     兎月書房版かどうか不明。初出くらい書いておいてほしい。
(2000-09-15)