語り口



藤原正彦『国家の品格』は新潮新書ゆえ、さらりと読んだ。予想よりもおとなしい本だった。

欧米式の「論理と合理」よりも和式の「情緒と形」を重んじよう、というのが趣旨だ。講演に加筆したので、その分くどくなっている。どこかで読んだような話の運びだなと思ったら、それは上田紀行『生きる意味』だった。一見関係なさそうな2つの本が共鳴しあってる。どちらもグローバル化に代表されるようなマネー至上主義の日本を嘆き、いきいきとした社会の復活をめざす。

武家出身の藤原が武士道を持ち出すのに対し、上田は仏教に活路を見出す。どちらも廃れてしまった日本の伝統ではあるが、武士は人口の1割しかいなかったし、その他大勢は寺子屋で学んだ。復興させるなら、仏教の方が有望だと思う。いかに堕落したとはいえ、いまだにお寺の数はコンビニよりも多い。

第3章で自由、平等、民主主義を批判している。国民は永遠に成熟せず、放っておくと主権在民が戦争を起こす。それを防ぐのがエリートだ。ゆえに、イギリスやフランスのようなエリート教育をすべきである、というのが藤原の主張。

「民主主義は成立するための前提すら満たされていないし、自由と平等はその存在すらフィクションである」と、ホッブス、ロック、ルソー、トクヴィル、ジェファーソンを槍玉に挙げる。参照した本があるなら、明示してほしかった。このあたりは不得意分野なので、宿題とする。

それにしても、国民はバカだと宣言してる本が大衆に支持されたという事実は、どのように解釈すればいいのか。もしかすると、自分以外はすべてバカという意識が読者に共有されているのかも。

「形」の重要性を訴える養老孟司の本も売れたので、多くの人が認識していることと思う。ただ「情緒」というのは誤解を受けやすい。言いたいことはよくわかるのだが。

人間中心主義は欧米の思想で、その裏側には人間の傲慢がはりついている。情緒が人間中心主義を抑制すると言うのだが、いくらなんでもこれをわずかな行数で説明するのは無理だ。それにヒューマニズムと併記した方が通じやすい。

話が多岐にわたるので、かように説得力には欠ける。公立の小学校では英語を教えるな、なんていう当たり前の話よりも、「天才を生む土壌には3つの共通点がある」という話に力点を置いた方がいい。それこそが、藤原さんしか書けないことだ。「美の存在」、「何かに跪く心」、「精神性を尊ぶ風土」の3条件とエリート教育との関連に絞って話を聞きたい。

論理を使いこなす人を見ると、自分にはない能力なので、うらやましく感じることもある。ただ、そこからこぼれてしまうものが大切だと思っているので、自分がそうなりたいとは思わない。

もわっとした世界に浮かぶ浮島がことばで、そのことばとことばをつなぐ橋が論理なんだと思う。ところが人間はことばにならないもわっとしたことを感じながら生きている。ことばを使って表現したいものはそこ。それを仮にitと呼んでいるのだが。

プログラムの世界とかビジネスの場では、ロジカルシンキングが常識なんだろうけど、私はくだらないギャグの方が好きだ。

「品格なき筆者による品格ある国家論、という極めて珍しい書となりました。」(p6)とか「いちばん身近で見ている女房に言わせると、私の話の半分は誤りと勘違い、残りの半分は誇張と大風呂敷とのことです。」(p12)という話が通じる方こそ、本書の読者にふさわしい。
  • 国家の品格 藤原正彦 新潮社 2005 新潮社新書141 NDC311 \680+tax

(2007-11-08)