2004年6月27日 2004サロマ湖100kウルトラマラソン     T.K

Page1 Page2 Page3 Page4 Page5

第14章 地獄再び? 歓喜のゴール
90kmの関門を超える少し前にR555さんとすれ違った。去年とほぼ同じような位置関係だと
思う。R555さんも調子は上向いているようで、ガンガン抜きさっていた。私も90kmの関門を
超えるまでは勢いに乗っていたのだが、90kmを超えた直後、突然お腹に差しこむような痛
みが走った。痛い所を抑えたりして走ってみたがちょっと辛くなってきたので、歩き出した。
『何か悪いもの食ったかな?』思い当たる節はなかった。悪いもの食おうにもエイドでしか、
食事していないんだから、当りようが無い。(後で分かった事だが、スイカを食べすぎると、
お腹を下す事があるそうな・・・ そう言えば、80km-90kmの間でバカ食いした覚えが・・・)
何が原因かは置いといて、とにかく走ってしまうとお腹の急降下現象が加速しそうで、恐く
て走り出せない。それでも歩いていると症状は落ち着くので、また走る。暫らく走ると、また
痛み出す。こんな事の繰り返しで、ペースはガタ落ち。状況が状況だけに、周りの景色を
楽しんだり、ボランティアの声援に応える元気も沸いてこない。80km-90kmはあんなに早く
現れた距離標識がなかなか出てこない。それでも進んだ。前へ進めば確実にゴールへと
近づく。1歩1歩確実にゴールは近づいている。焦らなくてもゴールは逃げはしない。そう自分
に言い聞かせて前へ進んだ。歩きと走りを繰り返しているうちに急な坂を登って行くランナー
が見えた。ワッカの出口となる上り坂だ。あの坂を登って残り4km。鬱蒼とした森を抜けると
残り2kmあとわずかだ。 そう思ったら少し元気が沸いてきた。

後ろを振り返ってみると、傘をかぶった斎藤親分が近づいていた。今年もウルトラの達人が
沢山参加していた。ここへ来れば毎年会える。言葉を交わすことはないが楽しい気分になる。
今年も色々な事があった。みんな揃って走ったり、楽松師匠と出会ったり、色々な応援に
励まされ、エイドの学生に元気づけられ、青い空に白い雲、光り輝くサロマ湖、オレンジ色
に咲き誇るエゾスカシユリ、気温があがり暑く辛いレースにはなったが、それも思い出。
今年は苦手な梅干も口に入れた。スパッツの中に氷を入れたり、頭から水をかぶったり、
完走する為に出きる事は全てやってきた。60km地点で吸いこまれそうになった収用バス。
今思えば、本当に乗らなくて良かった。ワッカに別れを告げる上り坂を歩くようなスピードで
登りきった。ここで回れ右して、原生花園を振りかえり、来年また訪れる事を誓う。
森の中の細い道で斎藤親分に抜かされた。知りあいらしき人に『頑張ったね-完走おめで
とう!』と声を掛け先へ行く。森から抜け出す坂道を下った。『お帰りなさい!』と手を叩いて
声を掛けてくれる人がいた。最後のエイドステーションでは女子学生6〜7名が横に並び、
ZARDの『負けないで』を歌って応援してくれる。通過する時には全員とハイタッチ。
ボランティアの人が、応援の人が、ゴールを目指すランナー全てを祝福してくれた。
感動で涙が出そうになった。少し荒れた舗装路を駆けあがり、左へ曲がると、あとはゴール
会場へ向う1直線を残すのみ。もう恐いものは何も無い。幸い腹痛のほうも収まりつつあった。

残り2km。ゆっくりと今日1日を噛み締めながら走った。しばらく走ったところで振りかえると
R555さんの姿が見えた。帽子を振ってみたら、気づいて手を振ってくれた。ワッカの折り返し
ポイントでは1km近くの差があったが、僅か数百メートル?にまで迫っていた。
『この分だと一緒にゴール?』 ペースは変えずに走った。時々振りかえると徐々に近づいて
いるのが確認できた。残り1kmを切るとその姿ははっきりと確認できるようになった。
国道との分岐点を過ぎると残りは500m程度。ここでK枝がカメラを構えていた。一応ポーズを
取った後、『蘭ちゃんすぐ後ろから来るから一緒にゴールしよう!』と声を掛けゆっくりと走った。
K枝はR555さんの到着を待ち、一緒に走り出した。そしてゴールの常呂町民センターの入り口
付近で3人揃った。『手を繋いでバンザイしようか?』と示し合わせ、前後の間隔を気にしなが
ら慎重に走った。足は軽く、気分は最高。この瞬間を味わう為に走ってきた。先にゴールした
でんでんむしさんに声を掛けられ手を振った。特設ステージ?を駆けあがり『やったゴールだ!』
と叫びながら、3人手を繋いだままバンザイをしてゴール。11時間48分4秒のドラマが終わった。

第15章 レースのあと…
ゴールして首から完走メダルとタオルを掛けてもらい、歩きだすと、足の痛み・ダルさが一気に
吹き出した。足の裏はジンジンと痛み、火照り、足を地面に着くのが辛い。芝生の上に腰掛け
シューズを脱いで一息。とりあえず荷物を受けとってお楽しみのマッサージへ行こうということで
立ちあがったが、1歩1歩踏み出すのが笑えるくらいぎこちなかった。レース中の残り1kmより、
今の10mのほうがキツイと感じるくらい?
痛みに耐えながらも荷物を受け取り、マッサージルームへ行くと、爽やかな笑顔で高校生が
迎えてくれた。『シャワーにしますか? マッサージにしますか?』 R555さんと顔を見合わせて
笑ってしまった。『マッサージお願いします』と答え、案内に従って入っていくと2人組の女子高性
が待っていてくれた? うつ伏せになり15分ほどふくらはぎや足首、腿の裏を丹念に揉んでもらっ
た。気持良くてそのまま寝てしまいそうだったが、あんまりみんなを待たせる訳にもいかないので、
二人にお礼を告げた。『折角の日曜日、おじさん達の道楽に付き合わせちゃってごめんね。でも
みんなの応援があったから頑張れたよ。本当に有難う』と伝えると、『そんな事無いですよ、完走
おめでとうございます。』と爽やかな答えが・・・ この大会に協力してくれる学生達は本当に、
清々しくて、爽やかで、元気良くて・・・ だからこんなに苦しくても頑張れちゃう。走っている時は
2度と出るもんか!なんて思うんだけど、終わってみると苦しかった事の全てが良い思い出に変
わってしまう。また来年も!って気にさせられる。

マッサージを終えてみんなの元に戻り、話しをしていると制限時間のカウントダウンが始まった。
そして制限時間ギリギリで今年10回目の完走(サロマンブルー)が掛かっていた作家の夜久さん
がゴール。劇的なサロマンブルー達成の瞬間だった。みんなに囲まれて祝福されている夜久さん
は満面の笑顔。その一方で、『あと7回か...』と呟く自分。やっぱりサロマンブルーって大変なん
だなぁと実感した。

今回のメンバーはと言うと、ケソさんがグロスでサブ10達成、でんでんむしさんはネットサブ10達成
カープさんも私たちよりかなり早くゴール。そして私とR555さんは同一タイムでのゴール。全員完走を
果たした。 そして『それじゃ、そろそろ行きますか』ということで私達グループの打上げの場所、毎年
恒例の
網走地ビールレストランへと移動し、この日のエピソードを語り合った。
『あそこの応援凄くなかった?』、『エイドでのスイカ最高に旨かったね』、『今年のワッカは本当に綺麗
だったよね』などなどレースネタは尽きない。ビールも疲れた身体に良い感じで染みてきて話しは盛り
あがった。終わりの方では来年は・・・なんてもう来年の話しが出始めていた。サロマ湖100kmも
私にとってはホノルル同様、1年に1度戻らなければ行けない場所になってきた。

翌日の朝は4時過ぎに目覚めた。外はもう明るかった。左足の膝裏は曲げ伸ばしが困難なほどに
張りがあり、痛みをともなっていたが、これも思い出? きっと時が解決してくれる。
最終日は9時頃、ホテルを出発して、美幌峠を経由して屈斜路湖へ。
屈斜路プリンスホテルで、
ランチバイキングを苦しくて動けなくなるほど食べ、その後釧路湿原へ(細岡展望台)。
さらに釧路駅前の
和商市場で勝手丼を食べて締め。マラソンだけでなくビフォー,アフターも満喫した
3日間となった。いやぁそれにしても今年のサロマは大変だった・・・ ってもう既に、どんな風に大変
だったのか忘れかけてるけど...

エピローグ


戻る