2004年6月27日 2004サロマ湖100kウルトラマラソン     T.K

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第9章 楽しまなくっちゃ損だ! −今年のサロマは青かった−
40km関門を通過してしばらく走っていると、後ろの方から元気の良い声が聞こえてきた。
『有難うございます!』とか『ご苦労様です!』など、応援の方や交通整理をしている方
に向けて大きな声を発しているのだ。律儀な人だなぁと感心していると、いつのまにか
並ばれていた。どんな人なんだろうと横顔をちらっとみたら、どっかで見覚えのある顔。
誰だろうな?と考えていたら、偶然声を掛けた人がいた。『楽松さーん』
そう、走る落語家として有名な三遊亭楽松さんだったのだ。実際に話した事はないし、
落語を聞いた事も無いけど、落語家らしく?歯切れの良い走りをしていた。また関係者に
御礼の言葉をかけながら走っていくとは流石。この姿勢は見習った方が良いかも・・・
何はともあれ、調子も上がらず疲労の度合いも増してきていたところだったので、楽松
師匠の元気の良さとランナーとしての姿勢に刺激を受け、かなり気分転換になった気が
する。ウルトラマラソンは競技時間が長いので、全てのモノを自分のエネルギーに変える
くらいの心構えが必要な気がする。食べ物・飲み物は勿論、声援や景色、それに一緒に
走っているランナーの頑張ってる姿とか・・・ そういったものを自分への刺激として肉体的
、精神的にハイな状態を作ってあげないと、なかなか完走へのモチベーションを維持でき
なくなってくる。そんな初歩的な事を思い出させてくれた楽松師匠だった。
ということで、40kmを過ぎてからは割りと楽しく走れていた。国道を一度離れて月見が浜
へ入った時にみたサロマ湖は真っ青で、とても綺麗だった。こんなに綺麗な景色があって
しかも絶好の晴天で、ボランティアの方々は一生懸命サポートしてくれて、暖かい声援を
贈ってくれる人が沢山いる。こんなに恵まれた環境はそうそうあるもんじゃない。こんな
遠くまで、辛い思いをする為に来たんじゃないんだからもっと楽しもう。先のことなんか、
気にしないで、今を楽しめば良いじゃないか!と思えるようになってきたのはこの辺り。
42.195kmポイントの先ではK枝と再会したが、止まることなくスルーした。月見が浜の道路
から再び国道に戻ると、上り下りが何度か現れる。上りはじっくりと、ペースを落として上れ
ば良いが、下りが難しい。ペースを上げて足にダメージを負いたくないのでゆっくりと下り
たいのだが、抑えるのにも苦労する。また、つま先に重心が移動して指の先が痛みだす。
ランニングを始めたときからそうなのだが、私は本当に下り下手だ。2つ目の坂?の途中に
50kmポイントが現れた。通過タイムは5:17:32(40km→50km1:07:23) 50kmを5時間30分
で通過出きれば、ここから先は1時間30分/10kmペースで完走できる事になる。
10km1時間30分というのは走りと歩き半分半分でも維持できるペースなんでこの時点で
ペース的には、セーフティーゾーンに入ったと言える。あとは残りの50km、肉体的に辛くな
って行く中で、精神面をいかに強く保つか、それがポイントとなる。

第10章 至福のひととき? リタイヤ? 
50km地点を過ぎて坂を下り終えると、再びサロマ湖岸に出る。ここにはエイドステーション
が毎年設置されている。これまでのエイドでもそうだったが、今年も地元の学生(中高生)
を中心に威勢の良い声が飛び交っていた。どこのエイドも活気に溢れており、ランナーを
元気づけてくれる。私が参加したレースの中ではサロマ湖100kmのエイドは、間違い無く
No1だと言える。(ウルトラという過酷な競技だからかもしれないが・・・)
ここのエイドでは首筋に掛水をしてもらった。氷水の入ったバケツの所へ行くと、高校生らしき
お兄ちゃんが、『水かけましょうか?』と言ってくれたので帽子をとり頭を下げると、首筋によく
冷えた水ををかけてくれた。暑さで少しぼーっとしていたが目が醒めた。『有難う』とお礼を言
って立ち去ろうとすると、『頑張って絶対に完走してください!』と声援を贈られた。何気ない
一言が凄く嬉しい。走り出すと、前方にはレストステーション緑館が見えた。あと5km弱で緑館
に到着する。よし!頑張ろう!と気持を入れなおしたのだが、両足の疲労はかなり色濃く、
気持に応えて軽快に走ると言う訳にはいかなかった。一度止まってストレッチ、それから、
チタンローションを足に塗りこみ、再スタート。ここから先はこういうロスタイムが増えていきそう
だが、その分の貯金は出来ているので、前へ進むという気持さえ持ちつづけていれば何とか
なる。湖岸の道路を離れて、緑館へと続く坂道に入っていった。
緑館はコース中最大級の上り坂の途中に位置する。レストステーションが近い事もあって、緑館
までは、結構頑張れた。途中、左足の後ろに強い張りを感じたが、我慢して走りつづけた。
緑館到着は、5時間50分40秒だった。レストステーションへ入っていくと、ナンバーカードの記入
された荷物をスタッフが持って待っていてくれた。この連携プレーが素晴らしい。K枝と合流し、
レジャーシートを広げてその上に腰掛ける。今回はできるだけここでのロスタイムを減らそうと思い、
着替えなどは行わないつもりでいたが、掛水をした際に靴下が濡れてしまったので、靴下だけ
履きかえることにした。靴下を脱ぎ、ワセリンを塗りなおし、新品の靴下を履く。5本指ソックスなの
でかなり手間取った。でも靴を一度脱いだ事で、ちょっと気持良かったような・・・
K枝にはおにぎりとレモン、水を持ってきて貰い作業をしながら口に運んだ。書いてみるとたった
これだけの事なのに、掛かった時間は約10分。この時点でかなり疲れていた。短時間だったが、
走るのを辞めた事でイッキに疲れが襲ってきた。完走するための貯金はしっかりと作れていたが、
暑さも堪え始めて来たし、足もボロボロになってきた。本当は、長い時間休んでいたいのだが、ここ
でいくら休んでも、もう体力は回復しないので、これから先へ少しでも多くの貯金を残そうと思い、
レストステーションを離れる事にした。K枝には、『もうあんまり頑張れないかも・・・ トボトボ歩いて
行くから』と弱気な発言を残した。

先にも書いたが緑館は登坂の途中にある。休憩後はいきなり登坂から始まるのだ。始めて
サロマに出場した年は、休憩後気合を入れて走り出したが、休んだ事で固まりかけていた筋肉に
強い刺激を与えたせいか足を攣ってしまった。その教訓を生かし、緑館のあとの坂は歩いて登る
事にしている。坂道の途中で楽松師匠に再び遭遇した。師匠は知合いの女性(かなりへばっていた)
に『辛くなったら走れるうちに歩いておいた方が良いよ。走れなくなったら歩く事もシンドイから・・・』
とアドバイスを贈っていた。心の中でウンウンと頷き、私も思う存分?歩くことにした。(楽松師匠、
有難う!! これで罪悪感無く思う存分歩けます。 ) ここの坂道は結構長い。そして一度登りきっ
た後、下るがまた登りが始まる。登りは一生懸命歩き下りは走る。そして2度目の坂を登りきると、
サロマ湖へ向って下り坂が始まる。北勝水産を右手にみて、坂を下り終えると60km地点だが、ここ
の2つの坂でエネルギーが尽きてしまったような気がした。60kmの関門は6時間40分32秒で通過。
(50km→60km 1:23:00、※緑館の休憩が10分あったので、実質1:13:00程度)
70km関門までの残り時間は2時間5分、80km関門までは3時間20分もあったが、時間的余裕を、
感じる事ができないほど疲労していた。そんな時、収用バスが真横に止った。そして1人の男性が
リタイヤを宣言してバスに乗り込んでいった。さらにスタッフが『他にいませんか?』と呼びかける。
頭の中では『乗っちゃえ』とささやく悪魔が・・・ 『バスの中は冷房が効いていて涼しいぞ! もう、
走らなくてもいいんだぞ!』とたたみかけてくる。そんな甘い誘惑に負けそうになり、1歩踏出そうかと
迷った瞬間、バスのドアは閉められた。『あー行っちゃった』という後悔のあと、『いやー危なかったー』
もうちょっとで乗っちゃうところだったという正気が戻ってきた。暑さ、脱水、糖分不足、疲労困憊など
悪条件が重なって、冷静な判断を失うところだった。

第11章 気持は○、身体は×
絶対に完走する! レース前に誓っていたその思いが一瞬訪れた心の隙で不意になるところだった。
始めて出場したサロマは体力だけでなく、時間も無くて、絶望的な状況に涙を流しながら走った。
『絶対に完走するんだ!絶対に諦めちゃいけないんだ!』その思いが完走に繋がった。 今年は、
時間的には余裕がある。半分以上歩いたってゴールできるくらいの余裕がある。それなのに辞めよう
としてしまった。隙があった。油断があった。3回目と言う事で何とかなるという気持を持ってしまった。
それはトレーニングの中でも、普段の生活の中でもそうだったのかもしれない。そこに落とし穴があった。
でもギリギリのところで落ちずに済んだ。60kmを過ぎればキムアネップもある。白帆のおばちゃんにも
会える。70kmを超えれば鶴雅のお汁粉が待っている。80kmの先にはワッカ原生花園がある。サロマ
まで来てワッカを見ないで帰れようか。例年以上に咲き誇っているという評判のエゾスカシユリやハマ
ナスを見ないわけにはいかないじゃないか!と自分に言い聞かせ前へ進むことにした。
60kmを過ぎるとまた暫らく丘がちの国道を走る。前日車で走ったときに、『この辺て印象薄いよね』と
話していたところだ。そうこの辺りは精神的にも肉体的にも疲労が色濃く現れる辺りで中ダルミし易い
場所なのだ。言いかえれば、自分だけでなくみんな辛さを感じている場所なんだ。ここは我慢するしか
ない。登坂に限らず、辛くなってきたら歩こう。余裕が現れたら走ろう。そう決めた。そんなに長く歩ける
もんじゃない。歩いたって辛いのは同じ。それにランナーの習性(自分の特性?)かもしれないが歩い
ていると何故か走り出したくなってくるのだ。ペースはガクンと落ちてきた。歩きを混ぜたせいもあるが
走り自体のペースも落ちてきた。走っても7分/kmが精一杯。(歩くと10.5分/kmくらい?)
50kmを過ぎると1km毎に距離表示があるのだが、ペースが遅いのでなかなか距離標識が現れない。
”印象の薄い国道”を2km〜3kmくらい走ると、国道を離れてキムアネップ岬へと入っていく。ギリギリの
状態が続いていたが、この辺りにくると気分転換にはなる。キムアネップ岬へ向う途中にあった給水
タンクで掛水を行い、身体を外から冷し、手持ちのペットボトルに水を注いだ。掛水を行うと暫らくはシャキッ
とするのだが長続きはしない。楽しいぞ、楽しいぞと自分に言い聞かせるが、それも虚しい抵抗のような
気がしてくる。それでも前方にエイドステーションが見えた時は、ちょっと違った。次のエイド(65km付近)
はスペシャルだった。預けておいたスペシャルドリンクを受け取れる。30kmでは取りそこないショックを
受けたが、今度こそは… ということで、頑張ってエイドステーションへ・・・
エイドではスタッフがボトルを握って待っていてくれた。『有難うー』 預けておいたボトルの中身はカルピス。
ちょっとぬるかったが、この甘さが身体に染みる。さらに張りつけておいた塩を手の平に空け、ペロッと
ひと舐め。強烈にしょっぱかったが、すぐに水を飲んでやり過ごした。さらにエイドにはスイカがあったので
これを頂き口に運ぼうとした瞬間、ひらめいた。『塩があるじゃん』 ってことで塩をスイカにふりかけ、勝ち
誇ったかのように口へ運ぶ。滅茶苦茶旨い。この味は極限状態?じゃないと感じられないと思う。
ここのエイドではちょっと長居をしてしまったが、気分的には随分癒された。このあとは魔女の棲む森。
ここは晴れている時には木陰となり気持ちの良い場所だ。足の具合は左足膝裏付近に強い張りがあり、
曲げ伸ばしが辛い状態であったが、ごまかしながら前へ進んだ。この森には走っているランナーを歩かせ
ようとする魔女が潜んでいるらしいが、今年は魔女の登場を待つまでもなく歩いた。膝裏の突っ張り具合
は攣る1歩手前まできていた。それでも時間を有効に使い、7:30〜8:00/km掛けて前へ進んだ。
魔女の森を抜けると国道に一度出てから白帆の町へ入っていく。待ちわびたエイドだ。まず子供がお絞り
を持って駆けよってくれる。硝子のコップに入った冷たい麦茶?を飲み、塩づけ胡瓜やプチトマト、冷凍
ゼリーを次々に口へと運ぶ。白帆のおばちゃんは今年も元気そうに立ち振る舞っていた。
白帆を過ぎると70km関門が近づく。さろまにあんという宿の屋根の上では今年も旗を振って応援してくれ
る人がいた。精神的にはかなり復活してきた。ワッカへ足を踏み入れるというイメージも沸いてきた。
そして70kmの関門は8:6:11で通過した。60km→70kmは、緑館や鶴雅のようなレストステーションは無い。
大きなロスは無い筈なのだが、1:25:39という10km毎では最悪のラップとなっていた。(それ程、しんど
かったと言う事か???)

第12章 復活の兆し? ワッカへ
70kmの関門を超えた。次の80km関門までは1時間54分ある。立ち止まらなければ歩いても関門を超えら
れる。冷静に考えればそうなのだが、レースをしている時はそんな余裕を持っていない。いつ走れなくなる
のか、いつ歩けなくなるのか、そんな不安が頭の中を駆け巡っている。足の故障も恐いし、脱水症状や熱
中症も恐い。現実にこの距離に達すると、道端で吐いている人や足を引きづるように歩いている人もいる。
時折通りすぎて行く収用バスには、時間的余裕があるのにそれなりの人が乗っている。
トラブルがいつ自分に襲いかかるのか不安で仕方なかった。それでもあと10km行けば、ワッカへ足を踏み
入れる事が出きる。そう思うといくらか気分は変わってきた。この辺りにくると50kmの部に出場しているラン
ナーが増えて来る(70km手前で合流する。)ので、50kmの選手をペースメーカーに使って少し頑張ってみる
事にした。目標は鶴雅リゾート。約4km粘って見ようと走り出した。71km,72kmを通過。何とか走れた。ラップ
は6:30/km程度。しかし膝裏の張りはより一層激しくなってきた。72km->73kmは歩きを混ぜて進んだ。
9:45掛かった。鶴雅リゾートは73kmと74kmの間にある。もう少し。。。 走りきろうと思ったのだが、鶴雅リゾート
の手前に氷の巨大な山を発見した。足を止めずには居られなかった。氷の山に近づき火照った足に氷を擦
りつけた。冷たいような、痛いような、気持良いような・・・ 氷のかけらを掴んで痛む膝裏に挟みこんだ。
そして再スタート。程なく鶴雅リゾートに到着。K枝と4度目の対面。お汁粉をひとつ受け取り、椅子に腰掛けた。
調子を尋ねられたが答えようもなかった。それほどしんどかった。『どこか痛い?』と聞かれ、『ふくらはぎに
膝の裏、っていうか全部・・・』 『マッサージしようか?』と言われたので『頼む!』と答えた。お汁粉を口に
運びながらマッサージを受けているとR555さん到着。R555さんに『足痛いの?』と聞かれたので『もうボロ
ボロ』と答えた。R555さん:『私も...』 もうこの辺りに来たらみんなボロボロなんだ。自分だけじゃない。
そう思ったら勇気が沸いてきた。お汁粉を食べ終わったのを機に立ちあがり、『じゃお先に・・・』と声を掛けて
エイドを離れた。すぐに走り出す事はできなかったが、関節の動きは徐々に滑らかになってきた。横を通り
すぎるランナーをじっと見つめた。手にタオルをギュッと握り締め、1歩1歩確実に踏みしめて走っている。
ペース的には歩くのと、さほど変わりはないが、逆光の太陽を見据えて黙々と走っていた。『よし、ついて
いこう』と心に決めて走り始めた。鶴雅リゾートから80kmまでの道のりは、ワッカ原生花園を走っていくランナ
ーが見えたり、橋があったり、ゆるやかな坂があったりしてそれなりに変化に富んでいる。応援は殆ど無い
場所だが、走りには集中できる。タオルを握り締めたランナーに遅れを取らないよう(走りさえすれば遅れを
取るほどのペースじゃなかった)に我慢して走りつづけた。途中、給水タンクのあるところでペットボトルに
水を注いだり、掛水したりで2分ほどロスしたが、それ以外はしっかりと走りつづけて6:30-6:40/km程度の
ペースを維持した。やがて前方を行くランナーが左へ曲がって行くところが見えた。ワッカへの入り口だ。
この4km程度走り続けた事で走るリズムは取り戻せつつあったが、トイレにどうしても行きたくて、80km
手前のスペシャルエイドポイントでトイレに駆け込んだ。前に用を足している人が2名いたのでちょっと待ったが、
もう関門閉鎖の心配はなかったので気長に待ち、事を済ませた。トイレから出てコースに復帰するとエイド
の学生が待ちかねたかのようにスペシャルボトル(コーヒー牛乳)を持って駆けよってきてくれた。『頑張って下さい』
と声を掛けられ、『頑張るよ!』と答えた。
ワッカの入り口は鬱蒼とした森になっている。くねくねと曲がりくねった坂を上っていくと80km地点が現れた。
通過タイムは9時間29分21秒。(70km→80km 1:23:10)鶴雅で5分、トイレ休憩で5分、氷の山で2分
掛水エイドで2分。明確なロスタイムだけで14分はあったので、走りのペース自体はかなり良くなっている。
たいしたロスもないのに1時間25分も掛かった60km→70kmに比べると各段にペースアップ?している。
と言えなくもない。

第13章 行きが天国? −ワッカ往路−
80kmを超えた。90kmの関門閉鎖まで残り時間約2時間、100km制限時間内完走まで3時間30分。ゆとり
が生まれた。鶴雅リゾートからここまで走ってきたことで、足の裏はジンジンと痛み、腰掛けて靴を脱ぎたいと
いう衝動にかられたが、ここから先は立ち止まらずに前へ進むと心に決めた。
進みつづけていれば完走はほぼ間違いないという状況もそうさせたのだが、もうひとつ今回のワッカは特別
な思いを背負って走るんだという意気込みもあった。それは今年の4月に亡くなった妻の父にこの素晴らしい
景色を見せてあげたかったという特別な思いだった。80kmで受け取ったスペシャルボトルには北島三郎の
風雪ながれ旅の歌詞を印刷したラベルを貼っていた。この歌は父がこよなく愛した歌で、葬儀の出棺の際
に斎場で流され、父を良く知る人はこの曲を聴いて、大粒の涙を流したという歌だ。あまり多くの事を語り
あった事はなかったが、妻の実家を訪れるといつも笑顔で『いらっしゃい』と迎えてくれた父に、私は生前、
何もしてあげられなかった。だから今回は父のことを思い出しながら、このワッカを走ろうと心に決めていた
のだった。鬱蒼とした森を抜けると、突然視界が開ける。右手に真っ青なオホーツク海が広がる。前方には
遥か彼方まで繋がるランナーの列。原生花園の緑とカラフルなランナーのユニフォーム。オホーツク海と
サロマ湖それに抜けるような青空、全てを一望できる高台になっているこの場所からの景色は壮観だ。
去年は曇っていて、やや寂しげな風景だったが、今年は『これぞサロマ!』というような最高の舞台が整って
いた。高台から降りる下り坂では、左膝が痛んだ。歩くようにして降りると、ケソさんが鬼のように険しい
表情で坂を駆け上がってきた。声を掛けたが答える余裕は無さそう? 時計をみて10時間まで25分程度
残っていたので、サブ10を狙っているんだと悟った。さらに坂を下り終え暫らく行くと、これまた必至の表情
で劇走してくる、でんでんむしさんとすれ違った。『ファイト!』と大声で気合をいれられた。これまたサブ10
ギリギリな感じ。『ここまで来てあの走りは凄いなぁ』と感心したのと同時に『ファイト』の掛け声にこれまで
眠っていたものが目を覚ましてしまい、『12時間を切ろう』などという変な欲が生まれてきた。そしてここから
最後の力を振り絞った闘走が始まった。この付近でキロ6分前半ペースで走ると、ごぼう抜き状態となる。
『走れる、走れる』今までの不調が嘘の様に走れる。自分でもどうしちゃったんだ?と思うくらい走れた。
風は気持良く、花は咲き乱れている。腰につけたボトルに『これがワッカだよ。右がオホーツク海で左がサ
ロマ湖。オレンジの花がエゾスカシユリで、ピンクの花がハマナス』そう語りかけるように快調に走った。
父が背中を後押ししてくれてるんじゃないかと思うほど好調だった。いつのまにか前を行っていた楽松師匠
にも追いついた。そして湖口を渡り折り返し。80km以降の1km毎のラップは6:16→6:34→6:09→5:59→
6:07→6:06→6:39→6:14→7:29→6:08となり80km→90kmを1時間03分41秒で通過した。90kmの通過
タイムは10:33:02。12時間以内という目標が現実味を帯びてきた。よーし、このまま行っちゃうぞ!と気合
を入れたが、そんなに甘くはなかった。


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