2003年6月29日 2003サロマ湖100kウルトラマラソン     T.K

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第14章 ランナーへ復活?
89km付近の折り返しを過ぎて、第2湖口を渡り、しばらくすると前方からキャップが走ってきた。
表情はやや辛そうだったが、足取りは軽やかに見えた。このままのペースで行ったら、ワッカを
出る頃には追いつかれるかな?そしたら最後の力を振り絞って、並んでゴールできるように
頑張ってみよう!と心に決めた。でも今までのように走ったり歩いたりしていたら、ずーっと手前
で追いつかれてしまうだろうから、頑張ってここから先は、最後まで走り続けなければ…

90km地点(最後の関門)は10:16:38で通過。この10kmは、1時間14分掛かった。身体のほう
は相変わらずだが、肺の痛みは走るペースを落とすことで何とか堪えられそうな感じ。足の方は
殆どスリ足状態だが、かろうじて動いている。精神的には、距離のカウントダウンが始まっている
ので、少しづつ楽になっていく。キャップとすれ違った後、傘を被った斉藤親分とすれ違った。
それに元気印のじゅんこさんともすれ違った。黄色いTシャツに水色の手袋というお決まりのスタ
イルで走っている住吉さんともすれ違った。作家の夜久さんもいた。サロマンブルーの方と同じ
ような位置を走れているのが凄く嬉しかった。

エイドで高校生にお握りを薦められ一つ口に放りこむ。スイカを薦められ一切れ噛り付く。温かい
お茶を飲み、大きな声援に送られて再出発。こんなわずかな休憩でも関節は凍りついたように
固まる。それを解きほぐすよう、ゆっくりゆっくりと走り出す。95km地点を過ぎると、距離表示が
"あと何km"に切り替わった。右手に見えるサロマ湖は、灰色に曇って、寂しげな風景だった。
この寂しげな風景と"あと何km"という距離表示をみていたら、心の中まで何故か寂しくなってきた。

何ヶ月も前から楽しみにしていたサロマ湖100kmウルトラマラソンが終わってしまう。そう思ったら
妙に寂しくなってきた。あんなにゴールが待ち遠しかったのに…距離と天気に不安を抱えながらも
笑顔で走り出したスタート、竜宮台でのサロマ太鼓、ひまわりの風車を持って応援していたお姉さん、
白帆のお母さん、屋根に上がって旗を振ってくれた人達、どこのエイドへ行っても元気な声で迎えて
くれる高校生たち、100km走るなんて馬鹿馬鹿しいと笑っていたおじさんランナー
色々な場面が頭の中を駆け巡った。それらの人と同じ時間、同じ空間を共有してきたが、この大会
が終わったら離れ離れになってしまう。それが寂しかった。1歩1歩、終わり行くサロマ湖100kmを
噛みしめながら走った。

そしてワッカの出口となる森に差し掛かった。応援の声は『もう少し、おめでとう』に変わり始めた。
森の中を右に左にカーブしていくと"あと3km"の看板が現れた。さらに進むと森からの出口となる
下り坂が始まった。60km付近で坂を下る時は膝の痛みが深刻だったが、ここの下りは痛みさえも
楽しむように走って下った。下り終えると高校生の威勢の良い掛け声が聞こえた。『ラストです。
頑張ってください!!』手を上げて『有り難う』と応えた。短い坂を上り、左に曲がる。"あと2km"の
看板が現れた。もう急がなくても良い。ゆっくり、ゆっくり走りつづける。歩かずにゆっくりと… 

前方に信号(交差点)が見えてきた。あの道を真っ直ぐ進めば残り1km。沿道の人の数が増えて
きた。皆、拍手で迎えてくれる。『お疲れさーん!』『お帰り!!』『もうすぐだよ!!』温かい声援
が飛び交う。道路右側にhiroさんがいたので、手を振って応えた。さらにトミーさんもいた。ゴール
するときくらいは身軽になりたかったので、レインコートを脱ぎ去り、ポーチも外した。道路を右に
曲がって、ゴールゲートへの直線に入った。レインコートとポーチは沿道に投げ捨てた。自分の前
には誰もいない。一本のゴールテープが張られたゴールラインが見えるだけ。

ということは、この瞬間の拍手は全て自分へのプレゼント? 凄く嬉しかった!物凄く気分が良か
った!終わってしまうのが惜しかった。この瞬間をいつまでも味わっていたかった。
でも楽しい瞬間ていうのはあっという間に過ぎ去ってしまうもので、目の前にゴールテープが迫っ
ていた。ゴールする瞬間、両腕を上げて万歳のポーズを取った。終わった………

その瞬間、頭の中は真っ白だった。K枝に再度ポーズを取るよう言われたので改めて『ばんざーい』
頭からメダルを掛けてもらった。その後、しばらくするとキャップ、さらにでんでんむしさんと10分も
しない間に立て続けにゴール。2003年サロマ湖100kmウルトラマラソンは終わった。
ゴールタイムは、11:28:17、去年より1時間以上短いドラマだった。

第15章 レースのあと…
レース終了後、しばらくはじっとしていたが、気温10度という寒さに耐えきれなくなり、着替えとマッサ
ージを受けることにした。痛めた足を引き摺りながらカーリングホールへ入っていくと、女子高生のお出
迎え。『シャワーにしますか? マッサージにしますか?』 ちょっと照れながら、『着替えたあと、マッサ
ージで…』と応えると、靴の紐を解いてくれ、荷物を持ってくれて、更衣室へ案内してくれた。『シャワー
も浴びれますので、良かったらどうぞ!』 この対応には感激した。 着替えが終わったあと、更衣室を
出ると、『マッサージへご案内致します。』と言われたので、マッサージを受けることにした。一番手前
入り口近くの場所に案内され、マッサージを受けた。女子高生二人(途中から三人に増えた)が肩,首
,背中から足の裏にかけて、優しく丹念に揉み解してくれる。寝てしまいそうなくらい気持ち良かった。
パンフレットでは10分程度と書いてあったのだが気がつくと30分を越えていたので、『有り難う、凄く
気持ち良かったよ。また来年もよろしくね。』と伝えマッサージ部屋を出た。

彼らはこのためにマッサージ指導を受けたと言う。エイドの高校生もそうだし、コース誘導の高校生も
マッサージの高校生も、サロマ湖周辺の彼らは、何て素晴らしいのだろうと心から感動した。

常呂高校マッサージの様子
http://www.tokoro.hokkaido-c.ed.jp/100km/100km.html

その後、先にゴールしていたケソさん,今回は痛め止めの薬を飲みながら緑館まで行って力尽きたトミ
ーさん,50kmの部で見事入賞を果たしたhiroさんらとも合流し、話しをしていたが、やはり寒さには耐
えきれなくなり、網走へ移動して祝勝会を開くことにした。場所は網走地ビールレストラン。話題は、
もっぱら今日の事。話しても話しても話しは尽きなかった。外は大雨になっていた。

翌日は7時にホテルを出発した。足の方は、前夜はひどく痛んだが、早くも回復傾向で、キツメの筋肉
痛程度に留まっていた。最後の方はしばらく走れなくなっても良いくらいの気持ちで走りつづけたのに、
意外と回復が早いので、ちょっと拍子抜け???の感じがした。

あれから1週間が過ぎ、表面的な疲労は抜けた気がする。『もう2度とやらない』なんて思う程、辛かっ
たのに、何故か思い出すのは、楽しい思い出ばかり。今思えば、あれは現実だったんだろうか? 
夢だったんじゃないか? 凄く辛かったような気もするけど、今はどこも痛くないし…
夢中という単語は、夢の中と書くけど、今回のウルトラマラソンは、まさしくそんな感じ。夢中になって
走った。ただそれだけ???

今でも目を閉じると、コースの風景が頭に思い浮かぶ。雨に霞んでいたサロマ湖。傘をさしながら応援
してくれた人達。青いお揃いのウインドブレーカーを来ていたボランティア。他にも色々と情景が思い浮
かぶ。サロマ湖は、ホノルルと並んで自分にとっては1年に1度帰るべき場所になったようだ。
来年は、ああしよう、こうしようと今から色々と考えている始末。この大会の参加者は、ランナーだけ
ではない。応援の人も、ボランティアの人もみんな参加者だ。日が昇ってから沈むまで一緒に走って
くれたランナーも含めて、感謝、感謝。また来年会いましょう!

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