2003年6月29日 2003サロマ湖100kウルトラマラソン     T.K

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第9章 42.195km地点通過,中間地点へ
40kmの通過タイムは、3:57:55。依然としてサブ10ペースをキープしている。それでもこの
10kmに要した時間は1時間を少しだけ越えてしまった。ギリギリという状態ではないので、
無理すれば、ペースを上げる事はできるだろうが、ここで無理したらそのツケが後半に何倍
にもなって返ってきそうだからここでは無理はしない。天気は雨が降ったり止んだりを繰り
返している。オホーツク国道の両脇は牧草地帯や畑が広がり、ゆるやかな丘がちの道を
進んでいく。芭露(ばろ)という地名を過ぎて少し進むといったん、国道を離れて、月見が浜
道路を迂回する。この途中にフルマラソン地点、42.195kmポイントがある。

この少し手前で3度目のトイレ休憩を取った。非常に申し訳無いが、この時も立ちシ○ン。
川岸の草むらでやった。その後、かるーくストレッチを行い、ゆっくりスタート。そして月見が
浜道路へと入っていった。これまでの国道は先ほども書いた通り、走れる範囲が狭いがこの
道路は全面通行止めになっているので、横に広がって伸び伸び走れる。いくつかカーブを
曲がると42.195kmポイントが見えてきた。この先に応援バス停車ポイントがあるせいか、
応援の人数が徐々に増えてきた。『ガンバレー!ここからがウルトラだよ〜!!』といった
声援を背に受け、4時間12分(キロ約6分ペース)で42.195kmポイントを通過した。

去年は暑くて、このあたりでは一時意識がもうろうとし始めたが、今年はそんな状況には
ならなかった。数百メートル先に進むと、応援者の固まりがみえてきた。応援バス乗車御一
行様のお出迎えだった。その集団の中には、K枝の姿があった。『どう、調子は?』と聞かれ
『悪くは無い。去年よりはだいぶ良いヨ』と言いながら、ひと休み。サロマ湖に向って柵に手
を掛けて、ストレッチ。去年は青空で湖面がキラキラ輝いていたのに、今年は… なんて思い
ながら何度もふくらはぎを伸ばしてみた。だいぶ張ってきていた。K枝に他のメンバーの様子
を聞いた。GTmailの送信情報によると、キャップはすぐ後ろ数分のところに、でんでんむしさん
は、それよりもう少し後ろ。トミーさん、ケソさん、としおさんは未確認との事だった。

このままのペースで行ったら、キャップに追いつかれるかな? そしたらそれはそれで少し気分
が紛れるかも… そんな事を考えつつ、K枝に別れを告げて42km地点先の応援ポイントを
離れた。月見が浜道路を過ぎると、再びオホーツク国道へ戻る。国道へ戻ると、またアップ
ダウンが始まる。一列多くて二列の縦隊を組んで、ずんずんと進む。腰につけていたドラキュラ
の葡萄だが、45km付近で飲もうと思ってみてみたら、赤紫色の泡だらけになっていた。
『なんじゃこりゃ?』 微炭酸だったのが災いしたようで、走る事による振動で液体ではなく、
泡になってしまったようだ。一口含んでみたが、まずかったので、中身を捨てた。

次の楽しみは、54km付近にある緑館レストステーション。そこまでは何とかサブ10ペースで…
と思っていたが、上り坂が訪れるたびに、スタミナが削られていく。そんな感じがしていた。
計呂地(ケロチ)と言う地名看板をみて同じような傾斜の坂道を何回か昇り降りしていると、
50kmという距離表示が見えてきた。ようやくここで半分。身体のほうはあきらかに疲労を感じて
いた。

位置的には40km〜50kmの出来事。ペースをつりあげる余裕はもう無くなってきた。あとはいか
にペースダウンを緩やかにして、距離を刻むか。足の裏が疲れ始め、1歩1歩の着地が億劫に
なってきていた。それでもまだ残り半分。本当に100km走れるのだろうか?
小さな自信を押し潰す勢いで不安が膨らんできた。

第10章 緑館レストステーション、後半戦へ…
50kmの通過タイムは、5:04:49。2度のトイレと応援ポイントでの休憩。そんなロスタイムがあった
にせよ、確実にペースは落ちてきている。上り坂は歩くようなスピードになってきていた。
それでも上りはまだ良かった。ゆっくりとストライドを狭めて確実に上りさえすれば、ダメージは
さほど大きくは無い。むしろ嫌な感じがしたのは下り。30km過ぎで違和感を感じた右膝が平坦
および上りでは正常に動くのだが、下り坂になると悲鳴を上げる。ピリッ!ピリッ!という電気が
着地する度に膝から腰に掛けて走るのだ。時々、力が抜けて膝かっくん状態になることもあった。

その兆候が顕著に現れたのは、50km過ぎ、サロマ湖を見下ろしながら進む下り坂だった。
出来る事ならフォームを崩さずに走りたかったのだが、左足に負荷を掛けて、右足を庇うように
して走らざるを得なくなった。『早く下りきらないかなぁ』と思う気持ちとは裏腹に、殆ど片足で
ゆっくりと坂を下らなければならなかった。ようやく坂を下り終えると、エイドステーション登場。
今回の膝の異変はちょっと深刻な感じがしたので、給食,給水を済ませたあと膝のあたりを
揉んでみたりした。その時、『金子さーん!』という声が… 声のしたほうを向くと、ケソさんが
ニコニコしながら軽快な足取りで走っていく。『あぁー!!』と返事にもならない返事をすると
『55kmで会いましょう!!』と言って走り去ってしまった。このエイドはおよそ52km?付近。
そうだ、あとちょっと頑張れば緑館のレストステーションが待っている。緑館が見える位置に来て
いた。『よーし、ケソさんに着いていこう!』と思い、足のケアを終了し出発。100mくらい先に
いるケソさんの背中を見ながら進んだ。

53kmの看板を過ぎると、また上り傾向の道になる。それでも歩かずに、走りつづけた。54km
の看板を越えると、緑館らしき建物がはっきりと見え始めた。応援者が多くなる。マイクでゼッ
ケンNo.を読み上げる声も聞こえてきた。さっきまでの膝の違和感がウソの様に快調に動いた。
レストステーション入り口の少し手前でK枝の構えているカメラにポーズを取った。そして休憩…

預けていた赤い袋を受け取り、K枝にレジャーシートを広げてもらい、腰掛けて、袋の中から
シューズ,ソックス,ゼッケンのついた半袖Tシャツ,長袖Tシャツ,タオル,ワセリンを取り出した。
レインコート,Tシャツを脱ぎ、タオルで汗を拭きとって、着替えの長袖Tシャツとゼッケンのついた
半袖Tシャツを重ね着。5本指ソックスを脱ぎ、ワセリンを足の裏に塗りなおし、靴下を履きかえた。
シューズも新しいのに履き替えた。少しの間でもいいからスッキリとしたかった。エイドではお握り
を2つ食べ、そうこうしているとキャップ登場。少し息を切らせているようだった?が、表情にはまだ
余裕が…? いやここまで来てるんだから、もうそんなに余裕は無い?

ここがゴールだったらどんなに幸せなんだろう。と何度も思った。でもここはまだ54kmを少し過ぎた
ばかり。くつろいでいる余裕は無い。後ろ髪引かれる思いではあったが、長居すると時間的な
余裕が無くなるし、益々離れづらくなるので、意を決して立ちあがることにした。『じゃお先に!』
とキャップ,K枝に声を掛けて出発。この緑館から先はコース中最大の高低差となる上り坂から
始まる。去年は、いきなり走り出して、足を攣ってしまったと言う苦い経験があるので、まずは
ウォーキングから始めた。やはり休んだせいか動きがぎこちなくなっていた。ロボットの様にギシギシ
と音が聞こえてきそうな感じがした。

5分くらい歩いたろうか? 坂の頂上付近が見えてきたので、ゆっくりと走り出してみた。例の右膝
違和感を気にしながらゆっくりと走り出した。すると今回は違和感が発生しなかった。『よしよし』と
自分に言い聞かせ、スピードを上げないように注意を払って、坂を上って行った。しかしながら、
上りがあれば、下りもある。下り坂になると、またもや右膝や足の裏が悲鳴を上げた。今度のは
違和感ではなく、紛れも無く痛み。ズキンズキンと膝が痛み、足の裏には鈍い衝撃が走る。

今度ばっかりは、ごまかせそうにないので、歩いて坂を下ることにした。右手に北勝水産が見えて
きた。この坂を下り終えれば、60km地点となる。走っていたら気にならなかった気温の低さが、
歩き出すと身に染みる。吐く息は白かった。完走への信号が青から黄色に変わり始めた。

位置的には50km〜60kmの出来事。この区間はレストステーションがあったので、そこが第1の
ゴールと思って走ってきたが、体力的な限界はもう迫っていた。残り40km、身体にまとわりついた
疲労を拭い去り、復活する事は出来るのだろうか? このままの状態が続いたら、もう走れなくな
ってしまうかも? 弱気になって残り時間を計算し始めたりしていた。

第11章 白帆のオアシス(斉藤商店)を目指して…
60kmの通過は、6:26:21。50km〜60kmは、1時間22分掛かった。レストステーションで約10分。
その後の上りと、下り坂で歩いたので、走っている時のペースはキロ6分程度といったところだろ
うが、長く走りつづけるのが、しんどくなってきた。右膝は下り坂以外では何ともないのだが、全身
の疲労度が濃く、2km〜3km走ると、身体が走る事に拒絶反応?を示してくる。横腹が痛くなったり、
背中がいたくなったり、呼吸が苦しくなったりと色々な危険信号を送ってくるのだ。これらの信号に
イチイチ応えていたら、歩き通しになってしまうので、他のランナーを観察したり、次のエイドまでは、
絶対に走るんだとか、あの電柱までは何としてでも… みたいなルールを作って堪えつづけた。

コースはオホーツク国道を離れて、キムアネップ崎へと向う農道のような道に入ったところ。
このあたりは、去年は、足の痙攣に悩まされ、また制限時間にも迫られて、絶望的な状況に陥り、
半年掛けて取組んできた努力の虚しさに悔し涙を流した場所だった。それに比べれば、身体の状態
は良くないにしても、時間的な余裕はまだまだたっぷりとあった。続けて行ける条件は去年より多い。
(ちなみに60kmの関門は7時間35分70kmの関門は8時間45分。去年は60km通過が7時間28分、
今年は6時間26分だから1時間以上の余裕があった事になる。)

『去年よりは断然良い。足だって痙攣してないじゃないか!』と自分を奮い立たせて、65kmのエイド
(ここは第2スペシャルドリンク)まで走りつづけようと心に決めた。考え方も、苦しい事をしているんじゃ
ない。楽しい事をしているんだ。と思いこむようにして、応援してくれる人には出来るだけ大きな声で
応え、『楽しむんだ、楽しむんだ』と自分に言い聞かせて走った。65kmのエイド手前では、選手のゼッ
ケンを読み上げる高校生がいた。これに連動してスペシャルドリンクを差し出してくれる高校生がいた。

65kmのエイドには、コカコーラを預けていた。残しておいて走り出すとまた泡だらけになってしまうので
立ち止まってゆっくりと全て飲み干した。再スタートは、しばらく歩こうかと思ったが、大きな声援で送り
出してくれる高校生達のちからが、走るのを辞めようとしている自分の背中をぐっと押してくれたので、
それに応えずにはいられなくなり走り出した。本当に感謝の気持ちで一杯だ。

彼らがいなかったら、きっとダラダラと歩き始めていたに違いない。彼らの声援がかろうじて自分をラン
ナーと言う立場に押し留めていてくれた。65kmのエイドを過ぎるとコースはキムアネップの森(通称:
魔女の住む森)へと入っていった。気持ちは充実していた。高校生に元気を貰い、この先には愛の施設
エイド、白帆のオアシス『斉藤商店』が迫っていたからだ。でも肉体的には限界がすぐそこまで来ていた。
思うように足が動かなかった。一度立ち止まって、チタンローションを塗りこんだ。背伸びをして、深呼吸
して、ストレッチして、やれる事を一通りやって、再スタート。でもすぐに"走りたくない病"が現れる。

僅かでも気を抜いたら、いつのまにか歩き出してしまうのだ。これが魔女の仕業か??? 『これではいか
ん、ランナーじゃなくなってしまう!』と思いなおして、"飴が舐め終わるまでは絶対走る"というルール
を起用して、口に黒糖飴を放りこんだ。1kmまた1kmと距離が進んで行く。早く歩きたいもんだから必死
になって飴を舐めるが、そう簡単に飴は溶けない。気がつくと魔女の森を抜けていた。ふたたび国道に
戻り、佐呂間別川を渡ると、白帆の町に入って行く。"飴が舐め終わるまで走る"ルールが功を奏して、
何とかこの3km走ってきた。前方には、斉藤商店の横断幕が見えている。

『やったー白帆のオアシスだ〜!』と思ったが、飴は舐め終わっていない。"飴が舐め終わるまで走る"
ルールを適用している以上、飴がなくなるまでは走らなければならない。仕方がないのでガリッと噛んで
飲みこんだ。そして白帆の施設エイドに到着。子供が、温かいおしぼりを持ってきてくれた。顔に当てると
とても気持ち良かった。生きがえった。さらに温かいお茶とプチトマトを頂いた。美味しかった。
白帆のお母さんに会い、『昨日はご馳走様でした。何とかココまでこれました。』と告げると『あと少し、
頑張ってね、ゴールで待ってるから。』と声を掛けてもらった。70kmの関門は目前。残り約30km。
絶対完走!!の強い気持ちを胸に秘めて走り始めた。

位置的には60km〜70kmの出来事。先が見えそうで見えない。それでいて、残りの距離が微妙に現実
的になってきて、自分の体調や残り時間、そんなものが妙に気になり出していた。体力は持つだろう
か?歩きつづけたら制限時間に間に合うのか? 色んな事を考えた。100kmの中で最も心が揺れ動い
た区間だったかもしれない。


第12章 念願のおしるこ! そしてワッカへ!!
70kmの通過タイムは、7:41:10、60km〜70kmは、1時間15分掛かっていた。エイドでの休憩が徐々に
長くなっていた。でもこれは良い。『1番になれなかったら、2番でもビリでも一緒。ゆっくりと完走目指し
て走れば良いのよ!』と前日話してくれた、白帆のお母さんの言葉を思い出した。エイドでの休憩時間
はそれだけボランティアの人達とふれあえるから楽しい。でも歩く時間が長くなるのは、避けたかった。
あくまでも自分はランナー!走りつづけてこそランナー!その気持ちがあったからだ。でも走る続ける
のが困難になってきた。お腹も空いてきていたし、もう足に力が行き渡っていないような… フラフラな
感じになってきた。落ちている石を跨げずに、蹴飛ばしてしまう。もう足が思うように上がらなかった。
あとで聞いた話しだが、この付近で転倒して顔を血だらけにしてしまったランナーがいたらしい。幸い
にも大事には至らなかったそうだが、リタイヤとなってしまったそうだ。この付近はもう、殆どのランナー
が肉体的限界を感じる場所なのかもしれない。

70km地点から国道に分かれて湖岸道路へと移った。前方には緑色の屋根をしたお汁粉ステーション
鶴雅リゾートが見えていた。あと4km。そこまでは走りつづけよう!そう思うのだがどうにもならない。
何度か立ち止まってストレッチ。でも効果は薄い。と言うか、効果が無い。"走りたくない病"は益々
深刻になり、もうどうにも、こうにも走れない、走りたくないという状況に陥った。去年の方が今年より
肉体的に、しんどい状況だったのだが、去年は時間的余裕が無かったので、歩くなんて選択肢は
なかった。だから走りつづけることが出来た。でも今年は時間的な余裕がある。その余裕が"走りたく
ない病"を生んでしまった。

精神面での限界が肉体的限界を早めに作り出してしまったのかも… その葛藤のなか歩く!走る!
歩く!走る!を何度か繰り返していたら、鶴雅リゾートの横断幕がかすかに見えてきた。『もうちょっと
でおしるこだー!』去年は時間が無くて食べる事が出来なかったおしるこが目の前に迫ってきた。
あそこまで走ったら、ゆっくりと腰を落ち着けて、おしるこを味わおう!と心に決め、また走り始めた。

程なく、エイドに到着。K枝とも再会。おしるこの列に並んで、念願のおしるこを獲得。椅子に腰かけて
じっくりとおしるこを味わった。甘くてちょっとしょっぱくて、疲れている身体には、たまらない味だった。
ついでにホタテスープも飲んだ。ソーメンも食べようと思ったが麺つゆが切れてしまっていて食べれ
なかった。(ちょっと残念) そしてしばし休憩。

隣のおじさんランナー同士の会話に聞き耳を立てていると、。
おじさんA:『なんで俺はこんなことやってんだろうなー』 おじさんB:『本当だよ。本当馬鹿馬鹿しいよ』
おじさんA:『もう2度と走らない!って思うのにまた来てるんだよなー 本当に馬鹿だなー』 
おじさんB:『来年は50kmくらいにしとこーかなー』… まさに同感。

この時点では、真剣にサロマンブルーなんて辞め辞め!もう2度と100kmなんか走るもんか!そう思っ
ていた。それほどに疲労困憊していたのだ。椅子に縄で縛り付けられているかのように、腰が持ちあが
らない。でも行かないことには残りの距離は減らない。K枝が『そろそろ蘭ちゃんくるよー』と言ったのを
切っ掛けにして、椅子から立ちあがり、『しゃーねー、行ってくるか!』と口走り、エイドを離れた。

歩きから走りへ移行しようとしたとき、あの痛みが蘇ってきた。右膝に痺れるような感覚。膝が伸びない、
曲がらない。もう一度歩きに戻して、再度ゆっくり走り出す。またしても電気が走る。『まずいぞ、これは』
75kmの通過が8時間27分。80kmの関門は10時間。時間的には余裕があるので、歩きつづけてでも
進んで行けば、関門は越えられる。でも、次の1歩がなかなか出ない。立ち止まって膝の関節を触って
みたら、凄く冷たくなっていた。腿やふくらはぎの筋肉は温かいのに、膝周辺だけはすごーく冷たい。
すっかり関節が冷えきってしまったようだ。でも歩いているだけでは体温が上がらない。チタンローション
を塗りこんで、少し痛いけど、我慢して走りつづけてみた。『70kmも走ってきたら痛いのも当たり前、
苦しいのも当たり前』そう自分に言い聞かせて… 

何度か挫けそうになったが、しばらく痛みを我慢していたら、膝の違和感は少しづつ消えていった。
しかしその代わりに今度は肺に痛みが… 息を吸うとチクチク肺が痛む。歩くと治る。また走ると5分も
したら痛み出す。1分歩く、5分30秒走る。これで約1km。不本意な気持ちではあったが、これを5回繰り
返していたら、ワッカの入り口にある、80kmスペシャルエイドに辿りついた。

位置的には70km〜80kmの出来事。おしるこエイドにつられて75kmまでは踏ん張ったが、そこから
ワッカまでの道のりは辛かった。ランナーである以上、走りつづけなければ… そんなこだわりが自分
を苦しめていた。真剣にウルトラ出場はもう辞めようかとも思った。でも苦しいのは自分だけじゃない。
廻りのランナーも皆同じ。ここまできたら歩こうが、這いずろうが、ゴールまで行ってやる!ランナー
じゃなくても良い、ランナーである前に自分は一人の人間なんだから… 
ボランティアに感謝し、応援に感謝し、一緒に走ってくれているランナーに感謝して、皆に支えられて
ここまで来たんだということを心に刻み、ワッカへと向った。

第13章 地獄のワッカ?天国のワッカ?
スペシャルエイドで白い恋人ドリンクを受け取った。エイドの高校生が『行ってらっしゃーい』と声を掛け
てくれた。ワッカへの入り口となる場所は鬱蒼とした森になっている。細かいカーブを曲がりくねって坂
を上っていくので、走るのを諦めてゆっくりと歩きながらあまーいドリンクを飲んだ。普段なら甘すぎてち
ょっと…というくらいの甘さだが、疲れているからだにはこれが染みる。何回かカーブを曲がりくねったら
80km関門が現れた。去年はギリギリ通過だったが、今年は余裕!(余裕は時間だけだったが…)

80kmの通過は、9:02:10。関門閉鎖の約1時間前に通過した。これで事実上歩きつづけても、時間内
完走は果たせる。というくらいの貯金は出来た。 あとはどれだけ走る距離を伸ばせるか!だ。
肺の調子は相変わらず。5分を越えると痛み出す。長い距離走ってると色々な事が起こるもんだ。
もうこのあたりまでくると、どこが痛んでも当たり前だ!といった心境で、開き直りの境地に達していた。

肺が痛くなる感覚はちょっとづつ早くなってきていた。2分歩いて5分走る、これで1km。これが限界の
ペースになってきた。ワッカの入り口鬱蒼とした森を数キロ進むと、突然視界が開けてくる。右手に
オホーツク海、左手にサロマ湖。ワッカからは、ゴールへ向うランナーが、こちらへ向って走って来る。
ワッカへ入っていく人の流れとワッカから出て行こうとする人の流れが遥か彼方まで続いている。

坂を下ってしばらくしたら、hiroさんがサムズのユニフォームを着て走ってきた。声を掛け合いすれ違っ
た。hiroさんとすれ違った時は、歩きの時間帯に入っていた。その後も何度か走り歩きを繰り返してい
たら、元気の良い声が聞こえてきた。ワッカ最初のエイドステーションは、凄く元気の良いエイドで、女子
高生が大きな声を張り上げて応援してくれた。隣にいたおじさんは、『もう食べれないから、その元気
だけ貰っていくよ』と言っていた。私はスイカと黒砂糖を食べた。その後も走る歩くを繰り返した。

前日の様に日が出ていなかったので、オレンジ色のエゾスカシユリやピンク色のハマナスはちょっと
寂しげに見えたが、それでも去年に比べると遥かに綺麗だった。次のエイドでは、『完走できる水を
どうぞ!』と差し出してくれる高校生がいた。そう言われると飲みたくなくても、飲みたくなってしまう。
一気に飲み干し、また走り始めた。身体中の疲労は、歩く走るを繰り返しているせいか、多少楽に
なった気がする。85kmは9時間40分で通過。前日サイクリングしたワッカネイチャーセンターも過ぎた。

折り返し地点が少しづつ近付いている。ワッカでは、さすがに立ちシ○ンはできないので、ちゃんと仮設
トイレを利用した。『ワッカは風が強い事が多いので寒くなる』との予想があったが、それほど寒くはなか
った。ここ数十キロは悪い方へ悪い方へ流れていたが、その流れも徐々にではあるが、すこーしづつ
良い方向へ流れ始めたような気がする。体力は少しづつ回復傾向?、残りの距離もはっきりと減って
いるのを実感できる。肺の痛みも少しづつだが和らいできた。そして折り返し直前の第二湖口が見えて
きた。砂利道を少し走ると折り返し地点が見えてきた。ワッカへ入っていく人の顔は鬼の形相、出て行く
人の顔は仏の形相。鬼から仏に変わる瞬間が近付いてきた。

位置的には80km〜89kmの出来事。やっぱりワッカの風景はランナーを癒してくれる。とつくづく感じた。
ここに咲き誇る花々。それにボランティアの学生。一緒に走っているランナーも何となく力が抜けて、
優しい感じになってきている気がした。残り10km、ここからもう一度ランナーに戻ろう!そう決心した。
そんな時、頭の中を駆け巡っていた唄があった。それは寛平ちゃんのRunRunRunだった。

♪気がつけば、いつの間に、こんな遠くに来た
    生きるなんて、きっとそんなもの、溜息などいらない
♪Run,Run,Run、いつまでも
    Run,Run,Run、がむしゃらに走りつづけるだけ
♪Run,Run,Run、理由など
    Run,Run,Run、無いけれど見えないゴールまで

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