Speak about Speech: Shuno の方言千夜一夜
第153夜
助詞 (1)−秋田弁講座プロジェクト−
日本語の文法書を開くと、後半に出てくるくせにやたらとかさばっているのが助詞と助
.
動詞である。
.
理由は多々あるのだろうが、例えば助動詞の活用表を見てもらえば分かるように、空
.
欄が多く、しかも法則性がない。つまり、個々に説明せざるを得ない、という事情がある
.
のだろう。
.
ということで、今回も並べるだけで済まそうと思う。
だげ
.
程度を表す副助詞。
.
これだけだと標準語文法と一緒だが、意味が異なる。
.
辞書の説明で一番近そうなのが「それが限界で、それ以上には及ばないという気持ち
.
を込めて、程度を表す」である。例文として「あれだけ立派な人はいないね」というのが挙
.
げられている。「やれるだけやりなさい」というのも思いつく。
.
秋田に於ける「だげ」は、同等の程度を示す。「死ぬだげ殴らいだ」なんて表現が可能
.
である。
.
あるいは、「いんだげ言われでや」という形で、「好き勝手なことを言われてしまった」
.
ということを表現することができる。「いんだげ」は「いいだけ」である。
.
尤も、これも限界を示していると言えないこともない。「死ぬだげ殴らいだほ」は「死ぬ
.
ど殴られた」であって、「死ぬまで殴られた」ではない。
.
なお、どちらの例でも「死んたげ」「いんたげ」と「た」が清音になることがある。
だば
.
取り立ての副助詞。
.
「取り立て」というのは、色んなものの中から何かを特別に取り上げることで、標準語文
.
法では「は」がそれにあたる。「みんな小さいものばかりだが、これだけは大きい」とい
.
うときの「は」である。
.
もう少し丁寧に検討してみると、対応する表現として「だと」「では」というのも思いつく。
.
「この方法だば まじなでね」は「この方法だと/では、不味いのではないか」ということが
.
できるが、このときの「だと」「では」である。
.
であれば「だば」は「だ」+「は」が濁ったものか、「で」の変形+「は」が濁ったものだろ
.
うか。あるいは「だとすれば」の縮んだものか。副助詞と断定するのは早いかもしれん。
.
なお、この「ば」は脱落することがある。「そいだば駄目だ(それでは駄目だ)」は「そい
.
だ駄目だ」とも言う。
でぇ
.
「よ」に相当する終助詞の「でゃ」は前に取り上げた。
.
こっちの「でぇ」も終助詞である。えーっと、これも「よ」か。
.
ややこしくなってきたので例文を挙げる。
あど行ぐでぇ
もう行こうよ
の「よ」である。
.
大きな違いは、「行きましょう」という意味を、標準語形では「行こう」が担っているのに
.
対して、秋田弁は先行する動詞が「行ぐ」であって、連体形だか終止形だか (連用形だ
.
か) 区別できない、ということである。「行きましょう」という意味は「でぇ」が担っていると
.
言わざるを得ない。
.
また、「行くでぇ」は、「行くだろう」と解釈することもできる。つまり
あいだば行ぐでぇ
彼なら行くだろう
という表現が可能だ。
.
どちらも、意味としては未然である。まだ「行って」いない。このこともまた「でぇ」が意
.
味を担っていることの根拠となる。
.
なお、「行ごでぇ」という言い方も可能だ。これだと、「行きましょう」という意味は「行ご」
.
が表現している。
.
「行こうよ」は「行ぐでぇ」だが、「行くぞ」は「行ぐど」である。
ども
.
仮定の接続助詞。
.
現代日本語では、「行けども行けども」という慣用表現か、「けれども」という接続助
.
詞でしかないが、秋田弁には「ども」が単独で残っている。
.
辞書によれば、「ども」は用言の已然形に接続する。上の「行けども」の「行け」は、正
.
確には仮定形ではなく已然形ななわけだが、これは一部の特徴を除けば同じものらし
.
いので、まぁいいや。
.
秋田弁では、終止形に接続する。つまり「行ぐども」「やるいんたども(やるようだけれ
.
ども)」となる。
.
つまり、使い方は「けれども」と一緒なのであった。
あれ、タ行だけで終わってしまった。
.
続けてみよう。
参考:『大辞林 (初版) 』(1989) 三省堂
"Speak about Speech" のページに戻る
ホームページに戻る
第154夜「助詞 (2)−秋田弁講座プロジェクト−」へ
shuno@sam.hi-ho.ne.jp