Speak about Speech: Shuno の方言千夜一夜
第147夜
耳が痛い/こらえきれずうずくまる
前回の続きなのだが。
「方言」を扱ったホームページが星の数ほどもあることはわかったが、最近流行の
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「メールマガジン」にもかなりの数がある。
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こうした文章を読んでいて気づくのが、「それは方言じゃないだろう」という表現を取
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り上げていることが少なくないことである。
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勿論、俺も何度もやっているから人のこたぁ言えないのだが、方言かそうでないか
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の線を引くときにミスするのは何故だろう。
まず、単純なミス。
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当人が読んでいたら気の毒なのでぼかさざるを得ないが、例えば、「何やってら?!」
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というのが秋田弁に特有の形ではないか、ということに気づいたとする。
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文全体の意味は「何をしているんだ?!」で、ポイントは「ら」という語尾である。「やって
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らんだ?!」「やってだ?!」などとも言う。
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ここで、「やる」が方言形である、という判断をしてしまっている人が、結構いる。例
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が悪くて信じられないかもしれないが、本当である。
「自分が余所で聞いたことがない」イコール「方言」という早とちりもある。
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あんまり頻繁には使われない語である場合に多い。ちょっと慣用句っぽかったりする
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こともある。
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前に取り上げた「行ぎ会う」なんぞは、この点に不安が残る。
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我々が接触する、自方言以外の日本語って何があるだろう。ここでは、自方言が話さ
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れない地域に住んでいる場合を考えない。
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マスメディアであろう。テレビ、ラジオ、雑誌などなど。
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ここで注意するべきは、ごく一部を除けば、そこに載っている日本語は「話し言葉」で
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はない、ということである。
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最近の若い者は、相手が誰であろうと、どんな状況であろうと自分のコードを崩さない
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ことが多いが、それでも、彼らの通常の会話を外部の者が聞ける、とは考えない方がよ
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い。自分がインタビューを受けた場合のことを想像してみるとよい。
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であれば、「ざけんなよ」というようなレベルの表現は、ドラマくらいでしか耳にできない。
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その表現は、脚本家や監督やディレクターや役者のフィルターを通っている。多くの場
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合、ネイティブな形ではない、と考えられる。「チョベリバ」がメディアに載ったときは、既
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に使用のピークを過ぎていたことを思い出して欲しい。
ところで、最近、ケンカをさせてそれを放映している番組があるようだが、あれは本当
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にケンカしてるのか? 視聴者は何が楽しくて見るのだろう。
話を戻す。
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「行き会う」なんてのは、改まった場面では使いにくい、メディアに載りにくい表現であ
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る。つまり、そもそも他地域での使用を確認しにくい表現が存在する、ということである。
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俺が「行ぎ会う」ってのは俚言じゃないか、という仮説を唱えるのは、まがりなりにも
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東京に住んでいた、という経験があるからだ。
こういう奴がおかしやすいミスに「東京で使ってないから方言」というのがある。
どのミスにしろ、普段からアンテナを高く広く張っておけば未然に防げることが多い。
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更に、ちゃんと調べれば分かることも多い。つまり、恥ずかしいミスなんである。
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勿論、俺もそうなのだが、特に、ホームページやメールマガジンで方言を取り上げてい
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る生徒諸君! (いたとして) それを指導している先生方! 辞書くらいは引いてくれ。
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