Speak about Speech: Shuno の方言千夜一夜




第108夜

雑誌で取り上げる方言−1990/1998−




 本屋の雑誌の棚をあんまり丁寧に見なくなったせいか、それとも秋田の本屋の棚には
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ロクなものがないという証拠なのか、一般の雑誌で日本語を取り上げることが少なくなっ
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たように思う。
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 手元に 1990 年頃の雑誌がある。
科学朝日 1990/8 「大胆予測 ネオ日本語」
DIAMOND BOX 1991/7 「辞典をたくみに選んでトクする方法」
日経アントロポス 1992/1 「ビジネス日本語を考える」
文藝春秋ノーサイド 1992/4 「国語辞典はワンダーランド」
科学朝日 1992/4 「言語の起源」
月刊 Asahi 1992/5 「実用ガイド『ハイパー日本語ガイド』」
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 まぁ、この辺は「バブル」崩壊前だから、余裕があったのかもしれない。この前、ある
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所で、言語学者は穀潰しだ、というような、却って同情したくなるような寂しい意見を聞
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いたが、バブルの崩壊と共に、食うことに関係のないことには気持ちが行かなくなった
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のか。そう言えば、国語辞典の新顔が相次いで出たのもこのころだ。


 さて、今年の専門誌だが、なんだか方言づいている。
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 大修館書店の『言語』が
1月号 「『東京語』論」
7月号 「方言文法から見た日本語」
9月号 「消えた日本語」
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 明治書院の『日本語学』が
3月号 「アクセント研究の現在」
8月号 「人の呼び方」
9月号 「現代語調査の手段と方法」
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 という具合である。
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 どちらも月刊誌だから、1 年に出た内の 1/4 で方言に関わる特集をしていることに
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なる。これはちょっと多い。
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 にとりあげた『望星』が、日本中で方言が元気だ、というようなことを言っていたが、
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専門誌にそれが現れているとは思わなかった。
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 『国文学 解釈と鑑賞(至文堂)』『國文学 解釈と教材の研究(学燈社)』という雑誌も
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あるのだが、俺が知る限り、これを店頭に置いている本屋は2軒(2店舗)のみで、入荷
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数も少ないのでウカウカしてると買い損なう。事実、買い損ない続けており、図書館にも
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ないので、言及できない。
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 それを言えば『言語』も『日本語学』も探すと苦労する。本屋の品揃えは近くにある学
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校と関連が深い、と思っているのだが、教育学部国語科があってもこの有り様。


 そう言えば、メディアの消長自体が影響しているのかもしれない。
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 実は、冒頭に上げた雑誌では、「科学朝日」が「サイアス」に名前を変えたほかは、全
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廃刊となっている。変な例えだが、経済関係を別にすると、文系の雑誌ってどんどん
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減ってないか?
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 去年とりあげた木曜夜の NHK 秋田放送局の独自番組もなくなった。まぁ、もともと時
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限措置だったらしいのだが。
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 バラエティ番組では、時々思い出したように取り上げているようだが、「秋田ではフキノ
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トウのことを『バッケ』というんですよぉ。面白いですねぇ」の域を出ていない。地元ですら
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この程度だ。一般雑誌に期待する方が間違っていると言えるのかもしれない。


 『言語』の特集では、「消えた日本語」が一番、面白く読めた。聞かれなくなった単語の
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例が豊富にあったから、無責任に読めるせいだろう。堀井令以知氏の記事などは、大河
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ドラマ「徳川慶喜」の御所言葉指導のエピソードもあり、番組視聴者には2度楽しい。
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 『日本語学』の「人の呼び方」は、字面から想像される以上に方言よりの特集である。
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やはり、方言が話し言葉であるという特性から来るものだろうか。特に、親族名称がどん
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どん単純化されていく様がはっきり描き出されているのは興味深い。


 言ってしまえば、日本語学の専門誌に方言がとりあげられるのは当たり前のことである。
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量の多寡はあるとしても、意外なことではない。
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 本当に方言が元気だ、と言えるようになるのは、一般の雑誌で、興味本位でない特集が
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組まれるようになったときではないか。
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 尤も、それが方言本来の姿かどうかには疑問があるが。



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第109夜「忙中寒あり」

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