Speak about Speech: Shuno の方言千夜一夜




第102夜

『望星』誌から




 9 月に東海大学の教育研究所からメールを貰った。『望星』という雑誌を出していて、
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そこで方言を取り上げているホームページについて文章を書きたいので、アンケートに
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協力してくれ、とのことであった。
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 URL を掲載してもいいか、という問いがあったので、当然のように「はい!」と答えた
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のだが、10 月になって送られてきた雑誌には影も形もなかった。あんまりなことを期
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待してはいけないのかもしれない。
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 最も困った質問は「あなたにとって方言はなんですか」というのであった。こっちは一
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介のサラリーマンで、方言で飯を食っているわけではない。単なる方言話者にすぎない。
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毎日使ってるモノを、改めて「あなたにとって」と聞かれても困る。
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 まぁそういうことは大学で日本語の方言で卒論を書こうと思ったときにも一応は考えた
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のだが、今でもあんまりはっきりした答えは出ていない。ただ、俺は「言語」ってのはか
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なり興味深いものだと思っている。
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 で、その『望星』の11月号には恩師の井上史雄先生の文章(「『新方言』の時代」)も
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載っていたのであった。いずれ、またネタにさしてもらいます。


 アンケートの結果が文章(「インターネットで『方言遊び』」)でまとまっている。数字は
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ほとんど載ってない。
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 送ったメールが全部で 50 通というのも少ないが、戻ってきたのが半数というのもいか
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にも少ない。ホームページを持とうと思う人は、色んな意味でおしゃべりなのだと思って
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いたがそうでもないようだ。そう言えば、問い合わせやらなにやらでメールを送ることが
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あるが、梨の礫ということはしょっちゅうだなぁ。
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 「インターネットというメディアで方言がよみがえることはいまのところあまりないらしい
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とあるが、これは過大な期待だ。
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 インターネットは、特に日本ではまだまだ特殊なメディアである。方言関係者の圧倒的
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多数がアクセスできない。
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 それと、方言は基本的に「話し言葉」である。それに対してインターネットは、ごく一部の
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例外を除けば文字メディアなのである。本や雑誌で取り上げられる「方言」がどういう扱い
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を受けているかも考え併せれば、WWW に期待するのはまだ早いことがわかるだろう。
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 俺自身も、方言を扱っているホームページってなんでこんなに多いのだ?と思っている。
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この辺を誰か調べてみてはくれまいか(他力本願だ)。


 方言撲滅を目指したホームページって無いのだろうか。


 二人の詩人による対談(「方言は『表現力』の宝庫だ!」)というのも面白いアイディア
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だと思う。興味深く読ませてもらった。特に、方言でも論理的な話はできるという点は、
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膝を打つ思いである。記事では、論理的な話は書き言葉のコピーだから、としているが、
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「論理的な話」と「改まった話」とを話し手が混同しているという面も考えられるのではな
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いかと思う。普段からそういう話をしてない人と、日常的にしている人の差がありそうな
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気がするのだが。因みに、人にもよるが、会社では秋田弁で仕事の話をしているし、打
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ち合せもしている。打ち合わせから会議になるとかなり共通語っぽくはなるが。高齢者が
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多いと会話が方言よりになるというのは多くの人が感じているところだと思うが、会社の
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経営者には年寄りが多いから、そういう会議は、結構、秋田弁が飛び交っているらしい。


 伊奈かっぺいの文章(「方言を“遊ぶ”楽しさ」)中で「東京の人が無理に津軽弁で詩を
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書いたって、気持ち悪い
」という表現がある。
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 その通りである。東京の人は自信を持って東京弁を使えばよい。こちらの言葉を否定
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しなければいいだけの話だ。勿論、興味を持ってもらえれば、なおよい。使ってみてもら
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えればもっとよいが、ネイティブにはなりえない。それでいいのだ。対談でも、フランス人
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の英語はフランス人だって事がわかる、と言っている。違うことを認める、それが方言者
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の心意気
だ(頑ななのも少なくないが)。


 対談・学者の文章・アンケート・タレントの文章・方言文学の例、と幅広く方言の現状を
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捉えていて、バランスの取れた、中々面白い特集であったと思う。
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 一つだけ言わせてもらえば、「いま、『方言』がおもしろい!?」というタイトルはちょっと陳
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腐ではあるまいか。



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第103夜「どってことないっす」

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