Speak about Speech: Shuno の方言千夜一夜
第93夜
前言撤回
ずいぶんと前の話だが、「ある」と「いる」の話をした時に、「秋田ではあまり『いる』
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を使わないような気がする」と言った。
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これが大嘘であることに気付いたので、お詫びして訂正いたします。
まず、「ある」と「いる」の素性について確認しておこう。
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今は、大雑把に言うと、「いる」は人間、「ある」はそれ以外、というような使い分け
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になっている。
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「ある」の前身である「あり」は、「存在を表す」動詞である。だから、古典を読めば
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人間に使う例はいくらでも見つかる。
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「いる」のもとになった「ゐる」は、漢字で書くと「居る」であって、古語辞典では「座
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る」が最初にくる。「そこにいる。とどまっている」というのが本質なんである。国語
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辞典で調べて知ったのだが、「居ても立ってもいられない」という表現はこの意味が
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元になっているわけだ。
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理由は知らないが、「いる」が人・「ある」がモノっていう使い分けは、ごく最近、生
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まれたものなんである。
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よく考えれば、「田舎に両親があります」「子供が二人ある」という言い方は、古い
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感じがするとは言え、しないことはない。
話を戻す。秋田弁で「いる」を使うケース。
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何かを探しているとしよう。大騒ぎで、机の上やら引き出しやらをひっくり返して、や
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っと見つけた。
「あ、いだいだ」
こうである。
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探しているのが、鉛筆であろうが、猫であろうが、人であろうが、「いた」なのである。
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主語が何かによって「いる」と「ある」を使い分ける習慣は秋田弁にはないというのが
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正しい。
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「なさそうだ」にしとこうかな。
捜し物についてちょっと。
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みんなで星を見ているとか、間違い探しをしているとしよう。
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一人だけ見つけられないでいる人がいる。こういう時、
「まだ見つけれねでるなが」
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(まだ見つけられないでいるのか)
と言ったりする。こういう言い方は東京ではしないような気がするのだが、どうだろう。
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もちろん、文法的にはなんら問題はないし、全く言わないこともあるまいが、「まだ見
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つからないのか」と言うのが普通ではないか。「できる・できない」には言及しないよう
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に思う。
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思うだけで証拠はない。
同じ一夜に「なくす・紛失する」に相当する秋田弁を紹介した。「めねぐする」である。
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これは「見えなくする」の訛り。
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当然、「なくなる」が「めねぐなる」である。
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で、もう一方の「なくす」。「うせ物」ではなく「消す」方。「こういった不祥事はなくすべき
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である」と言ったりする場合の話。
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秋田弁話者は、インタビューなど文体の高い場面では「なくする」「なぐする」と言うこと
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が多い。アクセントは「な」にある。
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なお、本来の秋田弁では「ねぐす」である。これは「ぐ」にアクセントがある。
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この「なぐする」はなんだろう。
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単純な過剰修正では、ちょっと説明がつかないのだが。
そんなわけで、あいかわらず確とした内容のない文章である。
参考資料
『日本語百科大事典(第4版、大修館書店、1990)』
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『角川新版古語辞典(角川書店、1989)』
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