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Shuno の方言千夜一夜
第37夜
同じだけど違う
「似ているのに違う」シリーズを続ける。
どちらかと言えば「同じなのに違う」と言ってもいいくらい似ているが。
秋田衆と一緒に食事をしてもらおう。
あなたはそれ程お腹が空いていなかったので、肉をちょっと残してしまった。
それを見た秋田衆が「
肉残しちゃうの? いたましいよぉ
」と言ったとする。
さぁ、これをどう解釈するか。
「
痛ましい
」というのは、あなたの知る限り「気の毒」「痛々しい」という意味である。ということは、肉を残すのは、犠牲になった牛(か豚か鳥かは知らない)が可哀相、申し訳が立たない、ということか? この秋田衆は
心優しい男
なのだろうか。
そういう善人である可能性も無いではないが、おそらくは違う。むしろ、実利的というか、けちな男かもしれない。行儀がいいのかもしれないが。
秋田弁の「
いだましい
」は「
勿体無い
」である。
これも、津軽でも通用する表現のはず。
飯も食い終わったので、今夜のところは大人しく帰ることにしよう。
「じゃね」
「
じゃ、
まずね
」
あぁ、つい出てしまう、この「
まず
」。
そう言えば、この「
まず
」については、別れの挨拶を
取り上げた時
にも触れなかったような気がする。
国語辞典
*1
を引いてみる。
(1) 他のことに先んじて。最初に。第一に。
(2) 何はともあれ。ともかく。
(3) 大体のところ。一応。おおよそ。
(4) (打ち消しの語を伴って)ほとんど。
この (2) が最も近い。「まぁ、今日のところはこれくらいにしておきましょう」という意味の「
まず
」である。
「
どさ
」「
ゆさ
」
*2
というフレーズは割合に有名だが、「
せば
」「
まず
」というのもあるわけだ。
別れの挨拶で「じゃぁ」があるのだから、「
まず
」は決して不自然ではあるまい。
しかし、標準語ではこういう言い方をしないのだから、いかに同じ単語があろうが、別れるときに「
まずね
」はおかしいのである。
前夜
の「
つっかがる
」と一緒で、辞書に書いてはあるが、標準語ではあまりそういう使われ方はしない、しかし、他の地域では普通に使われる、という例だ。
同じように、何かの作業をしていて、とりあえずはこの辺で切り上げましょう、というとき「
まず、今日だば こんたもんで いんでね
」と言う。あるいは、多分そんなことはないだろう、というとき「
まず、そんたごどは ねべ
」と言う。
後者の例では、「まず、そんなことはないと思う」という形で使われると思うが、これだって「思う」なしで「まず、そんなことはない」とするとちょっと違和感が出てくる
*3
。前者の「まず、今日はこんなものでいいでしょう」となると、もっと許容度は下がるだろう(言わないことはあるまいが)。
3 回にわたって、「似てる/同じなのに違う」という例を集めてみた。 勿論、汚いと評判の秋田弁のことなので、多少訛りや濁点はあるが、基本的に同じ形でありながら、意味の範囲が違う、あるいはずれている、というのは、逆に面白い現象ではないか。
「
つっかがる
」「
まず
」のような意味のずれならまだしも、「
いだましい
」のように、意味が全く重ならない、という場合、そうなった理屈をどう説明するのか、というのはかなり難しい問題ではないかと思う。
注1:
『大辞林』(1989) 三省堂
(
↑
)
注2:
「どさ」は「どこに(行くのですか?)」、「ゆさ」は「風呂に(行くところです)」ということになる。
伊奈かっぺい
のもちネタである。
運動の方向・目的を表す「に」が「さ」になる、というのは有名な話であろう。
(
↑
)
注3:
この場合でも「そんなことは、まず、ない」という語順にすると許容度があがるような気がするのだが。
(
↑
)
音声サンプル
(.WAV)
まず、今日だば こんたもんで いんでね
(20KB)
まず、そんたごどは ねべ
(21KB)
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