ここのところ、いつものパターンを飽きもせずに踏襲しているが、今回も、似ているけど違う、という話。
「
おべでる」
標準語風にいい直せば、「覚えている」。
勿論、ここで取り上げる以上はそれだけでない。
「
俺、あのひとどご おべでるよ」は、直訳すれば「俺、あの人を覚えているよ」ということになる。しかし秋田弁の「
おべでる」はそれに止まらない。
当然、「覚えている」という意味もあるから、このフレーズは、夕べのTVか昼休みに読んだ雑誌かで、この芸能人の顔を見たような気がする、というときにも使える。
しかし、素直に解釈するなら、「
俺は、あの人を知っている。知り合いである」ということになるのである。
だから、「
昔は おべだったんだども、なんと 30 年も 会ってねものな」という言い方も出来る。「古い知り合いではあるが、30 年も会ってないので、ちょっと心もとない」というわけである。「
おべでだ」ことを否定しているのであるが、忘れてしまったわけではないのだ(細かいことは忘れているかもしれない)。
同様に、「
あんた美人どご いづ おべだのや」と言えば「あんな美人といつ知り合ったんだよ」ということになる。
これを直訳して、よそに行って「
僕はあの人を覚えてますよ」というと妙なことになる。標準語では、このフレーズはかなり不自然だ。前後の文脈によっては許容されることがあるかもしれないが、その場合でも「記憶力がいいね」という反応が想像される。知り合いである、という意味は伝わらない。
応用例では、「知ったかぶり」を「
おべだぶり」と言う。
「
おべでる」はまだましだ。
訛っているから、方言であることに気づくチャンスがある。
標準語形と全く同じ(濁点くらいはつく)形なのに、意味が全く違う、という単語があるからややこしいことになる。
「
いやぁ、今、道端で小石につっかかっちゃって、転びそうになったよ」
「突っかかる」というのは、標準語では「言いがかりをつける」「食って掛かる」という意味である。こんなこと言ったら、「
小石に文句を付けるなんて、こいつは変人か?」と思われてしまう。
この「
つっかかる」は「
つまづく」という意味だ。
実は、辞書で「突っかかる」を引けば「つまづく」という意味も載ってはいる。しかし、一番最後に出てくるところを見るとほとんど使われないと思われる。実際、秋田以外の土地で、そういう使い方をしているのを聞いたことが無い。
秋田弁では「
つっかがる」=「つまづく」である。これが「食って掛かる」という意味に使わ
れることはない。
コップに水が入っている。これをひっくり返してしまったとしよう。秋田では「
まがす」という
ところだが(
第7夜参照)。で、大した量ではないが、あなたのスカートにかかってしまった。
これをなんと形容するか。
秋田衆の場合、「
あー、スカートがよごれちゃった」と言う可能性がある。
標準語では「あー、スカートが濡れちゃった」であろう。
「汚」という字が使われていることからも分かる通り、標準語の「よごれる」は「きたなくなる」という意味である。
これに対して、秋田弁の「
よごれる」は、「
濡れる」ことを指し、汚くなったかどうかを問わない。何も溶けてない透明の水がかかった場合でも、「
よごれる」ということができるので、こういう誤訳が起こりうる。
ただ、ニュアンスとしては、「濡れる」よりも「
よごれる」の方が、水分が多いというか、損害は大きいような気がする。
テーブルのビニールクロスにさっきの水が残っているとか、窓ガラスに水分が結露している場合、「濡れている」は使えるが、「
よごれでる」は使えない。
津軽でも同様の使い方をするはずである。
筆がノってきた。来週は第 3 部。