もぐら氏の『
見とこ、行っとこ、トコトコ東京』を読んだ。
前に『
見とこ、行っとこ、トコトコ関西』『
見とこ、行っとこ、トコトコ四国』を紹介したことがある。
東京だけに方言色は薄い。多少、べらんめぇが出てくるくらいで、「お」という表現には出くわさなかった。したがって、今回の文章も方言色は非常に薄い。
この本では、東京を「江戸」「政治経済」「オタク」「カルチャー」の四領域でまとめている。オタクはカルチャーじゃないのだろうか、という感じがするがそれは脇に置く。
もぐら氏のシリーズは、各都道府県を擬人化していてそれぞれのキャラ立ちが売りなわけだが、今回は「東京さん」が 5 人登場する。
まずは「江戸」だが、ここでの東京さんは和服である。
最初に「ふむ」と思ったのは、谷中で徳川慶喜の墓地に行ったとき。東京さんは慶喜を「けいきさん」と呼んでいる。
NHK で放送中の「八重の桜」は主人公が会津の人であるだけに、明確に会津方に立ったスタンスで話が進んでいる。こないだ大政奉還に続いて鳥羽伏見の戦いが終わったところだが、会津の松平容保を振り回した徳川慶喜は、自分のことしか考えてないダメダメなおぼっちゃんとして描かれている。これ、江戸っ子の人たちがどう思っているのかちょっと聞いてみたい。
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毎週、本木雅弘の「徳川慶喜」ってどうだったっけなぁ、と思うのだが、今から大河ドラマを一シリーズ、見直すのもおっくうで、思うだけで終わっている。
次が「政治経済」だが、スーツ姿の東京さんと一緒に国会議事堂などを回っている。
内部は写真撮影禁止。この本は漫画と写真をミックスしてる体裁なのだが、ここではその方法が使えない。「ここからは背景を手書きしなきゃならないのか」と覚悟してるのが可笑しい。
三つ目が「オタク」。ラフな格好の東京さんと秋葉原、中野、池袋を巡る。
ちなみに東京さんはオタクであリフィギュアを作ったりする。
秋葉原はしばらく行ってない。20 世紀のころに、もう普通のパーツ屋では売ってないようなハードディスクを探しに行ったことがあるが、それっきり。メイドさんとアイドルの街になってからの秋葉原を知らない。興味もないけど。本当だよ。
中野ブロードウェイには三度ほど行った。最初に行ったのはまだ東京にいたころで、
まんだらけヘマイナーなコミックスを探しに行ったのだが、後の二回は聖地としてメジャーになった後。スケジュールの都合上、どちらも午前中で開いてない店が多く、「こんなもん?」と思った。多分、そんなもんじゃないんだと思うが。
ここで、もぐら氏が、フィギュアやセル画を欲しいとは思わず、私って意外とオタクじゃない、と言ったのに共感した。
俺が持ってるフィギュアは全部、食玩もしくは何かのおまけで、しかも商品入れ替えで投げ売りしてたのを買った、というのが大半。セル画も欲しいとは思わない。財布が緩むのは本や CD だけで、世間から見たら十分オタクなんだろうけど、ああいうところではさほどテンションは上がらない。
池袋しかり。俺が雑司ケ谷に住んでた頃、すでに
アニメイトはあったと思うが、ひょっとしたら行ったことないかもしれん。
で、氏は、メイドさんに幇間の流れを見出す。仄聞するところでは、メイドさんたちのプロ根性は本物らしい。衣装にしろ、あの話し方にしろ、決して実生活の延長線上にはない。お金をもらってやっている演技なのである。何言ってんの、と思う人は少なくないと思うが、それは適切な比喩のような気がする。
と言うか、知らないものを否定するのは間違いである。知らないのに肯定するのもあれだが、想像力を働かせることくらいはできる。
ここの節で重要なのは、「東京はマニアック」ということ。
漫画では「クリップ専門店」などが取り上げられているが、需要が人口の O.1% しかない商品があったとして、秋田では 1,000 人でとても商売にならないが、東京だと昼間人口で言えば 12,000、東京にはよそから人が来やすいということも考え合わせると、十分、商売が成立する。
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最後が「カルチャー」。
「銀ブラ」は一般に「銀座をブラブラすること」と理解されているが、「銀座でブラジル (という喫茶店) のコーヒーを飲むこと」というのが先なんだそうな。
この本では、江戸を「川」「水」で解釈している。
よく「大江戸八百八町」「大阪八百八橋」と言われるが、江戸も川の町である。
「水は方円の器に従う」の言葉通りで、たとえばメイドさんに幇間の面影があったり、現在の漫画には浮世絵が先行していて…という具合。
方言要素は、あとがき漫画にある「しっちゃかめっちゃか−
ひっちゃかめっちゃか」の違い位。
東京さんは、俺が言ってるのが世界標準、と信じて疑わない。
東京の人は東京タワーに上ったことがない、などとはよく言われる。
同様で、秋田の人は「秋田には何もないよ」などと言う。
どっちも自分の地域のことをよく知らないことの表れなのじゃないか。外からの方がよく見えたりする。
その割に、そういう人たちがなんか言うと、何も知らないくせに、とか反論したりする。
「無知の知」というのは学校の授業以外でもかみしめるべき言葉のようである。