Speak about Speech: Shuno の方言千夜一夜



第862夜

コドモ東北学



 もう一か月も前のことになるが、石ノ森萬画館に行った。
 毎年参加している、南三陸町田束山 (たつがねさん) で行われる MTB レースに参加するついでにちょっと足を延ばした。
 実は GW 前半に練習中に転倒して左手の人差し指の付け根を骨折しており、レースには参加できないので、石ノ森萬画館が主目的な感じなきにしもあらず。
 これは北上川の中州にある。当然、あの震災の時も大きな被害を受けている。
「マンガッタン*1」という雑誌が出ているので買ってみたのだが、それに詳しい様子が紹介されている。一段落して泥を掻き出す作業を始めたのだが、床が見えたのは 16 日後だったそうである。
「へぇぇ」と思ったのは、この建物の設計で、チリ地震の津波を参考に、天井の高さを 8m にしてあるんだそうである。あの震災後、昔の災害の記憶が失われている、というような意見が多かったが、かならずしもそういう建物ばかりではない、ということだ。
 Vol.1 の「浜人の唄」という漫画は、基本的に標準語で描かれている。ところどころ「だべ」という語尾が出てくる程度である。

 というわけで、ついこないだまで連載していた「もう二年、まだ二年」続編である。
 今回は『こども東北学 (山内明美、イースト・プレス、初版 2011/11/6)』。
 山内明美氏は、出版当時は一橋の院生だったが、現在は大正大学人間学部の特命准教授。ついこないだまで宮城大学で研究員をしていたらしい。

 冒頭、「爆発した原子力発電所を根こそぎ引っこ抜いて、宇宙空間へ持ってってくれるウルトラマンも存在しない」とある。
 これは俺が当時思ったことである。あれは、仮にメルトダウンを回避することができたとしても、根本的な解決は不可能である。
 1998 年の作品「ウルトラマンガイア」の主題歌に「ウルトラマンが欲しい」というフレーズがあるのだが、あの時は本当に「ウルトラマンが欲しい」と思った。
 これには「ギリギリまでがんばって/ギリギリまでふんばって/ピンチのピンチのピンチの連続/そんな時」という言葉が先行する。現場はともかく、上の人たちが「頑張って」いる方向が頓珍漢であるだけにその思いは強かった。

 氏の祖父は戦争で心を病みアルコール中毒となった。それで家族と衝突したとき、「俺を余すな!」と怒鳴ったそうである。
 これ、ものすごく東北的方言だと思ったんだが、大辞泉を引いてみた。
1 余分なものとして残す。余らせる。「料理が多すぎて―・してしまった」
2 限度に達するまでの余地を残す。「今年も―・すところあと三日」
3 (主に受身の形で用いる)持て余す。手に余る。「天の原朝行く月のいたづらによに―・さるる心地こそすれ」〈頼政集〉
4 こぼす。満ちあふれるようにする。「憐みとる蒲公(たんぽぽ)茎短うして乳を―・せり」〈春風馬堤曲〉
[可能]あませる
 3. が近いような気がする。尤も、俺の語感では、「うとまれている」というニュアンスが加わる。それにしても、「余せる」はちょっと厳しくないだろうか。
おどけでねぇ」は「ただごとでない」「容易ならざる」。漢字で書くと「戯けでない」で、「冗談ではない」程度のニュアンスになってしまうが、「おどげでねぇ」はかなり強い。

「トラホーム」という眼病が登場する。「トラコーマ」って形なかったっけ、と思って調べたら、「トラホーム」はドイツ語だそうである。

 氏の小学校は、「僻地教育」のモデル校に指定されていて、毎週、全校生徒が体育館で発音矯正の練習をしていたそうである。
「東北ってそうだよね」と納得しかけたのだが、氏は 1976 年生まれ。そういうことが 1980 年代の中葉、昭和の最終盤まで行われていた、ということに驚く。
 この後、氏が大学に入ることを決めたとき、周囲から「結婚もさせないで遊ばせておいていいのか」と言われた、ということも書かれている。時期としては、とっくに平成である。
 が、俺自身は言われていないが (男だから、ということもあろうけども)、妹の友人は、東京にちょっと遊びに行こうとすると周囲との軋轢がひどくて苦労する、というようなことを聞いたことがある。田舎は、氏の表現を借りれば、「スーパーだって深夜まで営業している、二十一世紀の東北」であっても、やはり田舎なのである。

 東北が必要とされている様相についての本を読んだのは、NHK で「炎立つ」を放送していたころである。
 今でこそ東北は穀倉地帯とされているが、それはこの『こども東北学』にある通り、ごく最近のことである。なにせ稲というのは本来は熱帯・亜熱帯の植物、雪国が主産地になるについては相当の苦労と技術が必要である。
 では、その前、つまり、コメが貨幣的価値を持つ前の東北はどうだったかというと、金の一大産地だった。奈良の大仏に東北の金が使われたことを思い出してもよいし、奥州藤原氏を思い出してもよい。
 で、金は昔ほどは採れなくなり、コメも余ってしまう時代になった。高度経済成長の時代には (今もか) 人材供給基地とされたこともあるが、今は労働者も余っている。
 あるいは、東北は中央から余されているのかもしれない、と思ったりもする。




*1
 これは、石ノ森章太郎のネーミングで、中州をニューヨークのマンハッタン島になぞらえたもの。 (
)





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