である。
前に『
はじめての秋田弁』を紹介したとき、クイズになるような高度な秋田弁として「
ねねね (寝なければならない)」について触れたが、それと同じ形である。
つまり、インタビューされた人は、仲間内では「
さねね」と言うような内容を、改まった場面向けに翻訳すると「
しなきゃない」になる、と判断したわけである。こういう秋田弁は、「一ヶ月」を「
いっかつき」、相手の話をひとまずは了解した、というときに言う「
まず、わかりました」などいくつかある。
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インタビューされた人は一般の人だし、緊張もしていたかもしれないから、翻訳した結果も方言だった、というのはある話だろうと思うが、NHK のスタッフが字幕をつける作業で、「
しなきゃない」は標準語形である、と判断したのだとすれば、それはちょっと問題であろう。
明らかに俚諺形であるほうの「
さねね」はかなり特異である。
「しない」が「
さね」になるのはまぁいいとして、「しなければならない」に比べるとあまりにも省略されすぎている。
と思ったのだが、よくよく考えて、比較するべきは「~なければ」ではなく「~ねば」ではないかと思い至った。「
しねば」だと誤解されそうなので、今後は「やる」で考える。「誰かがこれをやらねばならぬ」の「やらねば」ならわかりやすかろう。秋田弁だと「
やらねね」となる。
「ば」が抜けてるのはすごいと思う。何せ、「やらねばならぬ」は、「やらないと話が成立しない。つまり、やる必要がある」ということで、「ば」は仮定の肝である。この「ば」があるから仮定の文になる。それが欠落しているのだからすごい。
だが、これもよーく考えてみると、例えば大阪弁の「
やらなあかん」などもなかなか削ってある。想像するに、こっちの場合は「ば」ではなく「やらないと」系ではないかと思うのだが、仮定の意味を担っている「と」がない。「
やらんならん」という形もあるな。
「
やらにゃならん」も同様。「なければ」が「
にゃ」というのも凄い話だが。
標準語形の「やらなければならない」も「やらなきゃ」と変形されると、辛うじてカ行の音は残っているが、やはり「ば」が落ちている。
仮定の形って、はっきり示さなくても大丈夫なものなのかしらん。
まぁ「
やらな」も「
やらにゃ」も、これだけで仮定だってことはなんとくわかるものの、秋田弁の「
やらね」は「やらない」の「
やらね」と同じ形なので、大阪弁みたいに「
早よやらなあかん」を「
早よやらな」とするような省略はできない。この場合は、「
やらねば」というように「ば」が復活してくる。
「やらねば」の「ね」は助動詞だが、原形 (終止形) は「ず」である。「ず」という否定の意味を持った助動詞があるのは理解できるが、これが「ね」になる、というのは納得いかない、と中学生の頃から思っている。
ニュースで最近、気になっているのが、名前は出さないが、やたらと単語の後ろが高くなるアクセントで話すアナウンサー。こないだも、「青く」を