Speak about Speech: Shuno の方言千夜一夜




第713夜

疑わしい



 こんなニュースを見つけた。
 シカゴ大学で「キリンはラクダよりも長い間、水を飲まないで生きられる」という内容の英語を、いろんな言語で訛っている形で聞かせて、その内容の信憑性がどのくらいかを問う、という実験をした。
 その結果、聞き取りにくい訛りがあると、その内容の如何にかかわらず信憑性が低く感じられる、というのである。
 俺がこのニュースに引っかかったのは、「『お国訛り』で発言の信頼性損なわれる可能性」という見出しのおかげなのだが、そういうことって確かにあるかもしれない、と思った。
『言語』か『日本語学』かで類似の実験について読んだことがあるような気もするのだが、思い出せない。買った分は全部、とってあるんだが、大半は押入れの中なので、捜索してみようという気になれない。
 ただ、よくわからないものに対しては警戒する、というのは当然のことだから、その結果自体は妥当なもののような気はするが。

 実験の趣旨を汲むならば、「言語イメージ」の問題は排除されているはずである。少なくとも、そうするような努力はしたはずだ。
 が、排除できるもんだろうか、とは思う。
 スペイン語とポルトガル語の区別は難しいだろうが、英語とドイツ語、フランス語辺りはなんとなくわかるだろうと思う。で、わかった途端に、イメージから逃れられなくなるんじゃないか。
 話を日本語の方言に寄せてみると、例えば、ある商品の説明を、大阪弁で聞いたら「調子いいこといいやがって」と思ったりしないか。逆に、その調子のよさに楽しくなってつい買っちゃったりとか。
 で、更に言えば、大阪弁といっても千差万別であり、男性が言うのと女性が言うのとではまた雰囲気が変わる。島田紳助がまくしたてる京都弁と、沢田研二の京都弁、どっちが信憑性高く感じられるだろう。
 その辺の中立性ってどこまで確保されたんだろうか。探し方が悪いのかもしれないが詳しい記事を見つけられなかった。

 配信はロイターで、「天下のロイターなんだから信頼できるニュースでしょ」という声もあろうが、二年前の大統領選で、二人の候補者の支持率が「二桁差」って訳したニュースを見て以来、あそこのニュースは半歩引いて読むことにしている。

 こういう実験をする場合、架空の言語をこっそり混ぜて比較したりすることがある。
 グロンギ語は濁音ばっかりだから問題あろうが、オンドゥル語辺りだったらどうだろう。
 いや、アメリカだからクリンゴン語?

 話を現実世界に戻す。
 このニュースの冒頭部分は、カリフォルニア州のシュワルツェネッガー知事が、お国訛りを直したことで信頼を得られた、ということだった。
 この辺、感じ方が全く違うのかなあ、と思う。
 日本の場合、方言が残っている政治家は比較的、よい印象を持たれることが多いと思う。素朴な人柄を想像してのことなんだと思うが、その人が次第に標準語になっていったら、変わっちゃったね、とか言われるような気がする。海の向こうじゃ、素朴なのはプラス要素ではないのだろうか。

 そういや、“simple”って単語。これ、人間について使うと褒め言葉でない場合があるので注意。

 尤も、方言を使うことで素朴を演じて信用を勝ち取る、ということもあろう。営業ツールとして使う人もいるだろうし、ここに並べるのは悪いが、そういう点を悪用した詐欺の事件も時折、耳にする。
 この辺りから、「県民性」とかいうものの領域に入ってくる。
 こないだ、プレジデントの別冊が出した怪しい県民性絡みのムックを紹介したが、ああいう世界。東北弁から純朴を連想するのは勝手だが、東北に犯罪者がいないわけではないし、都会の人全てが冷たいのではない。
 だが、その個体差がわからない以上、ぼやんとしたイメージに頼らざるを得ない、というのも事実ではある。そういうやりかたをする限り、「なじみのない言葉で耳にした内容には信憑性が感じられない」ということになる。
 実は、あの実験、正しいのかもしれない。
 サンプル数 30 ってのはどうにもひっかかるけどな。




"Speak about Speech" のページに戻る
ホームページに戻る

第714夜「『あぎだ弁』とは何か」へ

shuno@sam.hi-ho.ne.jp