笹原宏之氏の『
訓読みのはなし 漢字文化圏の中の日本語』は、『
日本語学』か『
言語』かの書評で見て面白そうなので買った。
確かに、よく考えてみると、訓読みというのは不思議なシステムである。よそから入ってきた字に、自分ところの言葉による音を割り当てているのだから。この本の例を借りれば、国に相当する単語は、英語で「ネイション」、フランス語で「ナシオン」、ドイツ語で「ナツィオン」となるがこれは元をたどれば一つの単語である。
一方、「国」という字は、音読みでは「コク」だが、訓読みでは「くに」。この「くに」は元々日本語にあった言葉で、それを中国から入ってきた「国」という字に割り当てている。
この二つのメカニズムは全く異なる。
漢字文化圏はアジアに広がっているが、訓読みをするのは日本だけらしい。
読んでみてわかったのだが、この本の中にも方言の話題があった。
勿論、漢字の方言である。「
哘」という字が取り上げられていた。
これは「さそう」と読み、漢和辞典でも「誘」と同じという扱いをされているが
*1、ググってみるとわかるとおり、ほぼ、地名と人名にしか使われてない、と言える。
国字なのは間違いない。平安末期の漢和辞典に載ってたそうだから必ずしも方言字ではないが、地名としては青森の
東北町でしか使われていない。苗字としてもこの地域の人が多いそうである。
この本は、「Wる」と書いて「ダブる」と読ませるのを訓読みと捉えたり、楔形文字にも訓読みと言える用法があったなど色々な話が書かれている。面白いのでお薦めする。
同じ著者の『
日本の漢字』も読んだ。
例えば、「大谷」という苗字は、西日本では「おおたに」が多く、東日本では「おおや」が多い、というような地域差があるらしい。
近畿では、「和歌山」を「
和可山」と書くことがあるらしい。ある、というよりは、あった、という方が近いようで、ググってもほとんどヒットしないが、阪和線でそういう表記があった、という記事が見つかる。列車の先頭につけられるパーツでもあったようだ。
*2
鹿児島のことを地元では「
鹿県」と書くことがある、という話は
何度か取り上げたが、長い県名の省略が、長さではなく字画で行われていたわけだ。
となるとはやり手書きメインになるので、ウェブで例が少ないのは止むを得ない、ということになる。
岐阜の大垣まつりなどの「やま」は [
車山] (という一字) と書くらしい。
確かに、「山車」って書いて「やま」「だし」って読むもんな。なんで [山車]ではなかったんだろう。
方言字は地名に現れることが多いが、これは普通名詞に現れる珍しい例。地元では、なんの注釈も無く使われる由。
秋田の協和町 (現在の
大仙市) に「[
男老]ケ森」というような地名があるそうだ。ググっても見つからなかったが、岩手の古い文献でも使われているらしい。
女性の場合、「姥」という字があるが、これに対応する男の字がない。「婆」には「女」があるのに、「爺」には「男」がない。そういう非対称のために生み出されたのではないかとのこと。
「鶴」の左側だけを取り出した字もあって、山形の
鶴岡で使われるそうだ。
同じような省略形は秋田にもあって、象潟の「潟」の右側が「写」になっている字が時々使われる。
新潟でもあるそうだ。ナンバープレートの字もそうじゃなかったっけ。松尾芭蕉も使ってたそうな。
地名の話になると、大きくは市町村合併、もっと細かくは住居表示変更で従来からの地名がどんどんなくなっていく、ということもある。
で、氏はこれを「地名は上からも下からも崩されつつある」と書いている。確かにね。
そういえばこの本には、
さいたま市や
さぬき市が誕生したとき、「さ」の字の二画目と三画目 (上から右に降りる線と、一番下の線) がつながっているのと切れているのとあるが、どっちが正しいのか、と国語研究所に問い合わせた、という話が紹介されている。そこまで決まっていない、と回答したところ、結局、どちらもつながっている方を取ったらしい。さいたまの方については Wikipedia に
記述がある。
それにしても、市町村レベルでも大騒ぎだったのに、道州制とか導入されたらどうなるんだろうね。またもめるんだろうか。
実は、この人の『
国字の位相と展開』が読みたいんだけど、一万円もするのよね。県立図書館には無かったし…。