Speak about Speech: Shuno の方言千夜一夜




第606夜

石ノ森と方言 (上)



 去年、MTB のレースで南三陸町に行ったとき、時間に余裕があったので登米の石ノ森章太郎ふるさと記念館によった、という話は当時の文章に書いた。
 そこの土産物屋 (ミュージアムショップと言うべきか) では、フィギュアとかコミックスが並んでいて、うっかり財布の紐を解かないように気をつけていたのだが、そのくせ、妙なものを買ってしまった。
 妙なもの、とか言うと作った人が気を悪くするかもしれないが、『宮城県北方言の語源』という冊子である。「石森方言研究会」が編んだもので、発行は平成 11 年、発行者は中田町 (現登米市) 立 石森公民館である。
 おそらく、公民館に籍を置くサークルが作ったものだろう。二部構成、200p を超える大部である。それをだしに色々と書いてみたい。

 第一印象は「素朴」。
 さすがに今時、手書きではなく、ワープロで印刷したものを版下にしたのだと思われるが、長音が「―」なのは表記方法として注意書きがあるものの、省略を示す線が「ー」だったり、外字が印刷されていなくて抜けていたり、括弧の対応が取れてなかったりして、手作り感満載。なので、ちょっと手心を加えて書くことになる。

あずだす
「思い出す」という意味で、「案じ出す」という字が当てられている。
「思い出す」に、「心の中に浮かんでくる」のと、「考えて記憶から引きずり出す」のと二つある、と鋭い。「あずだす」は後者らしい。

あんべぇ
「具合」「調子」のことで、「塩梅」と書く。塩気と酸味でそのバランスをとるような具合、ということだと思っていたが、これは本来「えんばい」で、「巧い具合に並べる」という意味の「按排」と混同されて、今の意味になったのだそうな。

あんたなもの
「あんなもの」だが、この冊子 (以下、「冊子」とする) は「あんたなもの」と割る。曰く、「あの手のもの」だそうである。
『語源探求 秋田方言辞典 (中山健、秋田協同書籍)』(以下、『語源』)は、「あんた」から「あんたら」に変化した、としている。確かに、宮城と秋田、「な」と「ら」という違いはあるが、「だ」と「な」は決して離れた音ではないことも考えると、『語源』の説明の方が正しい様な気がする。
 尤も、「こすたなもの」という言い方もあるらしい。これが、「こうした手」という解釈が成り立つとすれば、確かに体系だってはいる。

うだづあがんねぇー
「うだつが上がらない」でいいのだが、これを読んで初めて知った。「うだち」「うだつ」には二つあるらしい。
 一つは、「梁と棟木の間に立てる小さな柱」。と言っても何のことやらわからない。ネットであちこち調べたのだが、図を挙げているところが少なくて呆れた。珍しく写真があったかと思うと、建築中の家の写真がポンとあるだけで、どれが梁でどれが棟木だかわからない、というのもある。用語辞書のサイトもたくさんあるが、ほんとに不親切な業界である。
 で、わかりやすいのがここ。この写真の「束」と書かれているのが、「棟束 (むねつか)」とも呼ばれる「うだつ」。こういう風に、上を押さえつけられていることから、出世できないことを指すようになった、という説。
 もう一つが、屋根の端っこの方にある、まるで縁取りのように一段高くなった部分。隣との屋根の仕切りのように見えるが、これによって延焼を防ぐ。こっちは、町並みの保存、なんてことで売っている地域もあるようなのでたくさん見つかる。
 で、余計なものを作るわけだから金がかかる、「うだつ」を上にあげることができない、というのは、出世できない、一人前でない、ということである。
 大きな火災だと役に立たないらしい。さもありなん。時代が下がると装飾的な意味合いの強いものになってしまうんだそうな。

えぐねいぐね
 宮城で特徴的な「イグネ」についてはに取り上げた。
 この冊子によれば、「くね」は「竹などを編んだ垣」だそうである。
 こういう、俺程度では確認のしようのない語が、この冊子には山ほど出てくる。

えずい
 これまた仙台方言の横綱級「いづい」だが、語源は「怨」と書いて「ゑんず」と読む語で、「ん」という字のなかった時代に「ゑんず」というつもりで「ゑづ」と書いたのをそのまま読んだことから今の形になったのだそうな。
 Wikipedia によれば、「」という字が使われるようになったのは室町時代らしい。それ以前は「む」が使われていたわけだが、「ゑむず」とは書かなかったわけだ…。

えんつこ
 赤ん坊を寝かせておく籠。「飯詰 (いづめ)」で決まりだと思ってたが、冊子では疑問としているし、念のために『語源』も見たら、これも諸説紛々としている。「揺らす」との関連も指摘されている由。

えがらこい
「いがらっぽい」と言い換えればわかると思うが、喉がイマイチな状態。
 これを「喉がせらせらする」と解説している。なんじゃそりゃ、と思ったが、ググってみると、数十件はヒットする。使ってる人は、全国的に使われる表現だと思っているのかもしれない。この冊子でも何度か出てくるのだが、俚諺形のほうからそういうことだろうな、と想像がつくものの、俺の感覚では「せらせら」はしっくりこない。つか、違うと思う。あの感じには是非、濁音を使いたいところである。

おしぎな
 大根などの千切り。「お引き菜」だそうである。仙台の雑煮には欠かせないものらしい。
「引く」は「切る」の忌み言葉。
 これが千切り一般なのか、雑煮に特有のものなのかは不明だが、少なくともググった範囲では雑煮の話しか出てこない。だとすると忌み言葉を使うのも大いに頷ける。単に、今は雑煮でしか使われなくなってしまった、ということなのかもしれないが。

 か行以降は来週。全 3 回の予定。





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