Speak about Speech: Shuno の方言千夜一夜




第547夜

天気予報の的中率は 80%



 春から初夏へと移る中、自転車シーズンの到来。毎年恒例、宮城県南三陸町歌津は田束山 (たつがねさん) でのレース。
 いつも運転手をやる友人が数年前にカーナビを導入して以来、もうコースは決まっちゃった感じがある。昔は、ドライブ半分の試行錯誤で、青森から戻ってくるのに、日本海側を回ったり、八戸に出てずっと高速できたり、ということもやった。後者は、いくら高速使用率が高いとはいえいかにも遠回りだが、それは ねぶた の開催日と思いっきり重なったから、青森市街は避けよう、という意図による。
 今回の たつがね 行きは (も)、秋田道−東北道−若柳金成というルート。
 決まっちゃった、と言いながら、今回は高速を出た途端、仮面ライダー (の看板) に出迎えられ、時間もあることだし、とあっさり予定変更、石ノ森章太郎ふるさと記念館へ。今更ながら、その早すぎる死を思う。
 数軒となりには生家もある。そこのボランティアの人たちが石ノ森章太郎を
しょたろうさん
 と呼ぶのが印象に残った。
 なお、「石森」「石ノ森」はその辺の地名を元にしたペンネームで、本名は小野寺である。車で走っても、商店の看板などで、小野寺という苗字は相当に多いことがわかる。

 歌津での宿は、去年もお世話になったところ。
 レース当日の昼食用に買っておいたオニギリとかドリンクとかを忘れていったのだが、宿の人はそれをきっちり覚えていた。さすが客商売というべきか、それとも、そんな間抜けは滅多にいないだけか。
 あるいは、レースでその辺に泊まる者がさほど多くない、ということなのか。
 出走したのは全部で 200 人もおらず、宮城北部・岩手南部の人たちは自宅から来ることもできるだろうし、自転車者にはキャンプしたり大きなワゴンで来てそこで一夜を過ごすものもいる。
 コースもなかなかいいし、もうちょっと大々的に宣伝すればいいのにねぇ、と友人と意見が一致。
 そのとき泊まっていた人たちのイントネーションは、どことなく津軽風。あるいは山形か。一型アクセントだったかもしれない。そう聞き耳を立てていたわけでもないので、この辺で勘弁して欲しい。

 走るのは 200 人でも、その友人、家族ということいなるとおそらく 1,000 人くらいにはなる。山頂付近の駐車場は埋まってしまう。登山・ハイキング コースもある山なのだが、そういう目的で来た人は停める所がなくて困っていたようである。もうしわけない。翌週は つつじまつり があって、おそらくもっと混雑したに違いない。
 集まってくるのは東北がメイン。ときに首都圏で、ナンバープレートで言うと名古屋の人もいたようである。
 気心の知れた仲間で来ているせいだろう、彼らは割と、それぞれの方言を使って話をする。これもよその人たちの会話だから気に留めること自体があれなんだが、「今、なんて言ったの?」と振り向いて聞きたくなる衝動に駆られることが多い。
 そう思うのはやっぱり、アクセントやイントネーションが耳立つ方言で、上にも書いたが、津軽弁や宮城・山形北部の一型アクセントはすぐに気づく。
 単語そのものは割とわかる、と思う。

 そこで考えたのだが、我々は「方言の衰退」に対して、過剰に反応していないだろうか。
 言い換えると、自分たちが思っているほどには、方言は衰退していないのではないだろうか。
 ほんのちょっとした変化、大勢には影響を与えないような些細な変化に対して、「そ、それは!」と声を上げてしまっているのではないか。
 よその地域に行って、そこの土地の方言に触れたり、そこへやってきた別の地域の人の方言を耳にして、「おや」と思う。そうした方言が使われていることに気づく。それは、その方言は自分のものとは異質だからである。自分とは違うからすぐにわかるのである。
 それと逆に、自分と同じであることを期待する地元にいる場合も、やはりほんのちょっとした差異が非常に耳立つ。実は、ごく一時的なもの、あるいは、個々人の言葉遣いの癖であるものなどだったりするのに、「方言が衰退している!」と騒いではいないか。
 日本の天気予報は世界的には高レベルだそうだが、我々はあまりそう思ってはいない。それは、当たったときよりも、外れたときのほうが印象に残るからである。「晴れの予報だったが、確かに晴れた」ということはすぐに忘れられるが、「晴れだって言うから遊びに行くつもりだったのに雨になった」「雨の予報だから傘もって出たのに降らなかった」ということは、といつまでもねちょふげぐ覚えているものだ。予報どおりに晴れたときに、「いい天気でよかったねぇ」と思うことはあっても、「予報が当たったねぇ」とは思う事は少ないだろう。
 それと似たような側面があるんじゃないだろうか、と思ったことであった。
 尤も、方言はその地域のものである、という観点で言えば、その地域の人の感じたことがすなわち真実だ、ということになるのかもしれないが。

 このイベントでは、無料で わかめ汁がふるまわれる。それをもらいに行ったら、「おどさんも?」と聞かれて、大いにショックだった。




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