Speak about Speech: Shuno の方言千夜一夜




第534夜

都会のハンカチ



 こないだ東京に行ってきた。
 よく行く奴だな、と思われる方もあるかもしれないが、まぁ反論はしない。去年の長期出張以後、仕事での上京の話は沙汰止みになってホッとしているのだが、プライベートでの移動のペースはそれほど変わってない。
 それにしても、あの出張から一年も経つのかぁ。
 別に出張自体はやぶさかではない。一、二ヶ月なら、異郷で暮らしてみるのも悪くない。ただそれは、仕事の内容と環境による。ピアノも自転車も不自由、という状況はごめんこうむる。
 会社のルールで月に二回までの帰省は負担してもらえるのだが、それをフル活用すると飛行機のマイレージも溜まって非常にありがたいものの、隔週移動ってのは、グータラできない週末が隔週でやってくる、ということで意外にキツい。何事も経験しないとわからないものである。

 さて、その上京時。
 目の前を歩いてる婆さんが、メガネかなんかを取り出した拍子にハンカチを落とした。気がつく様子がないので、ちょいと走ってそれを拾ってあげたところ恋が芽生えて実はなんて話ではなく。
 そのとき、「今、これ、落どさねがったすか」と言いそうになった。いや、「今、これ」までは完全に秋田弁のイントネーション。「これ」で、そこまで言ってから、あ、と思って、「落としませんでしたかゴニョゴニョ」という具合に軌道修正した。
 そこは都会の雑踏で、もともと話が聞き取りやすい状況ではなく、同時に向こうはおそらく聴力の衰えた年寄り。特に問題は起きなかったが、俺自身は冷や汗と言おうか苦笑と言おうか。

 これをちと分析してみると、まず、俺のイントネーションについては、どういう状況でも比較的、秋田弁的特徴が出てきやすくなってきている、ということは何度か書いた。去年の長期出張時にも、電気屋の店員に「ふたっつ」と口走ってしまったことも紹介した。実は、この両事件の現場は近い。事件なのか。
 もう一つ、これがメインだろう。老人は方言話者である、という強いイメージが俺の中にある。それが、そこが秋田ではない、都会である、という現状認識を凌駕してしまったのだ。

 これが、俺がぼけたから、というわけではないといいのだが。

 さて、老人と方言は親和性が高い、というのは説明の必要もないと思われる。
 かなーりに、「グロットグラム」という図の説明をした。線上の各地点で、年齢層別に調査する。たとえば、鉄道の各駅で、十代から七十代まで 7 人ずつ、という具合。これを並べると地域的な違いと時間的な変化 (共時的な違いと通時的な違い) を擬似的に把握することができる。
 大方の例で、老人層は昔の言葉遣いを保持しており、方言的特徴を濃く残している。
 それを追認するべく、「老人 and 方言」でググってみる。
 約 35 万件。
 まぁ、全部が全部、老人と方言のかかわりについて触れた文章ではないが、老人クラブが方言の冊子をまとめたとか、老人から聞き取り調査をしたとか、それらしい文章が並ぶ。
 なお、「年寄り」だと 23 万件。何が減ったのかは不明。
 で、裏を取るべく、「少年 and 方言」をググる。方言の使用頻度は低いはずだから、ぐっと減る…80 万件。増えとるやん。
 ざっと見ると、いくつか理由が見つかる。
 岩手放送が出した、『方言詩の世界〜少年時代編〜』という CD が上位に来るが、これは話題になっているからで、数から言えば千件に満たない。
「少年」は、それ単体ではなく「青少年」の一部としても登場する。これを除外すると、10 万件ほども減る。
 ざっと見ていくと、ブログや日記サイトなど、複数の文章が単一のページに掲載されているものが多いことがわかる。「少年」と「方言」が無関係な別の文章に登場しているだけ、というものが少なくない。
 が、これは、「少年」は「老人」よりもネットとの親和性が高い、ということではないのだろうか。つまり、自分のブログやホームページを持っている人、あるいは知り合いにそう言う人がいる人って、「老人」よりも「少年」の方が多いだろう、と。そういう彼らがちょっと方言に触れた文章がひっかかる。その結果が 80 万件ではないか。
「少女 and 方言」は 60 万。「少年」よりも減るのは、「少年」が (特に、「青少年」という言い方をしたとき)「少女」を包含するからだろうか。
 その「青年」の場合は 40 万。
 いずれも、「老人 and 方言」よりも多い。やっぱり、ウェブで検索する、ということは、その対象がネットとどれだけ親和性があるか、ということと関連があるのではないだろうか。
 ちなみに「壮年」だと大幅に減って 1.7 万件になるが、これは「壮年」という単語自体の使用頻度の問題だろう。日常会話で使わないからな。「中年」で 18 万件と盛り返すが、この程度にとどまるのは、いささかマイナスイメージを持った単語だから使いにくいせいではあるまいか。尤も、「老人」もニュートラルな単語とは言いにくいが。

 まぁそんなわけで、ネットでちょっと検索して文章らしきものをでっち上げる自分のホームページを否定しかねない仮説が出たところで逃げる。




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