Speak about Speech: Shuno の方言千夜一夜




第535夜

気持ちを伝える、ということ



 例の方言ブーム。
 女子高校生と付き合いがないので、その後どうなったのかわからないでいた。そんなわけで岩波ジュニア新書の『方言は気持ちを伝える (真田信治)』はパラパラとめくっただけですぐに買った。
 あとがきの日付は去年の暮れになっているので、あの方言ブームからは 1、2 年経っていることになるが、残念ながら、今あれがどうなっているのかについては、あんまりはっきりした記述はなかった。

 ジュニア新書というくらいだから、若者の言葉の特徴から。まずは省略語。「うざい」「むずい」「きしょい」は当然としても、長崎で「うっとうしい」に相当する「やぜらしい」が「やぜい」になる、なんていうのは書名にぴったりの例。
 省略語はほかの省略語や既存の単語と衝突することがあるが、「マイルドセブン」の「マイセン」、「ハイソックス」の「ハイソ」などはその典型だろう。「グランドコート」が「グラコン」になってしまったのはなぜだろう。確かに「グラコー」は言いにくいだろうけど。これも「グラフコンクール」と衝突する。なお、「グラフコンクール」は、秋田県のページから引くと「広く県民の皆様から統計に関心を持っていただくとともに、統計知識の普及と統計の表現技術の研さんを図るため、全県の児童、生徒及び一般の方々から統計グラフ作品の募集を行」うものらしい。
「スミスのせんろく」と言えば「イージースミスの 1,600 円のルーズソックス」のことらしい。盛岡の例という記述があるが、イージースミスというのは、そのルーズソックスで有名になった会社のことだそうだ。表現を拾った場所が盛岡だった、ということか。
 同じように、子供に避難訓練の肝を教える言葉として「おはし」が挙げられている。「おさない、はしらない、しゃべらない」の頭を採ったもので、秋田とあるが、これに「もどらない」を加えた「おはしも」、「はしらない」ではなく「かけない」から「おかし」、「おさない、あわてない、しずかに、すばやく」の「おあしす」もある由 (Wikipedia から)。

 それ以降の節は、方言に深く触れていく。秋田弁の「を」に相当 (やや強調含み) する「どご」が「のことを」の変化したものであることを「文法化」の例として紹介している。いや、この説明で初めて「文法化」という言葉の意味が胸に落ちた。お恥ずかしい。
 標準語と方言を、スタイルを軸として捉える、という文があるのだが、このことは本の後半部分でも登場する。確かに、氏の基本的な考えであるらしい。
 スタイルというとやや軽めのニュアンスだが、主体的に方言と標準語 (共通語ではないかと思うが、氏は、標準語と共通語は実質的に同じものだ、という立場をとる) を選んで表現するのだ、ということだと理解する。

 方言にまつわる動向を、世界的な観点から位置づけ、いわゆる“Endangered Language”とも結びつけた節へと続く。イギリスで、Queen's English が「ダサい」と評価されていること、“Endangered Language”は英語支配への抗議と受け取られるが、英語サイドからそれに対する反発も起きていることなどは興味深い。

 実は続けて、井上史雄氏の『変わる方言 動く標準語 (ちくま新書)』を読んでいるのだが、国際的な視点といい、時として政治の面に触れたりする点といい、どことなく共通点が感じられるのが興味深いところである。

 末尾に、「方言のキーワード 65」というタイトルで、真田氏が感銘を受けたエピソードとともにさまざまな表現が並べられている。その中から。
 岡山で、スイカが熟れることを「てれる」と表現するらしい。確かに、人間も照れれば赤くなるが、スイカには黄色いのもあるなぁ。スイカだけらしいぞ。
 山口の「しあわせます」。そうしてもらうと助かる、という意味だが、「幸せ」+「ます」ではなく、「都合がいい」という意味の「しあわせる」という動詞があるのだそうだ。きっと「仕合わせる」とか書くのだろう。だとすれば「仕合わせます」という言い方は、ごく当然の言い方となる。第一印象、違和感を抱かせるような表現であっても、こうして説明がつく、というのはやはり一つの言語なんだ、ということだろう。
 徳島の「あるでないで」も同様。「あるのかないのかはっきりしろ」と言いたくなるかもしれないが、字に書けば「あるじゃないか」と全く同じ形であることがわかる。山陰では、「行きましょう」という勧誘を「行かず?」と言うところがあるが、これも「行かない?」と同じ形。
 大阪の「行けへんかった」は、特段、おかしなところのない俚諺形に見えると思うが、「へん」には本来、否定の意味はなかった、と言ったら驚くだろうか。俺は相当、驚いた。もともと「行けへなんだ」で、否定を担っていたのは「なんだ」の方。それが強調するために「」が重ねられ、「行けへんなんだ」になったときに、「へん」+「なんだ」という意識が生まれた、ということだそうな。
 おそらく方言調査の例文だったのではないかと思うのだが、「お前のところは金持ちでうらやましい」「バカなことを言うな」という表現が何度も出てくる。嫁と姑もで、なんとなくほほえましい。

 氏はあとがきで、「方言を定義するのは難しい」と述べている。
 同じ方言でも、コミュニティによって、個人によって異なる。これを厳密に定義しよう、というのが間違いだ、ということである。
 実は、『方言は気持ちを伝える』という書名には、なんだかなぁ、という感覚が否めなかったのだが、それぞれの個人が、自分を強烈に表現したときに使うのが方言である、という言葉でやっと腑に落ちた。




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